ゆず『嗚呼、青春の日々』

サウンドリスニングメモ

イントロのキメ。エレクトリック・ギター&ベース、アコースティック・ギター、ドラムスのフロアタム&スネア。シンプルかつ強烈に轟くトリプレットリズム。岩沢厚治のハーモニカが鋭く揺れ鮮やか。

オルガンがさりげなく主要なサウンドの背面をオレンジ色に染める。ピアノやリードギターの合いの手(オブリガード)も入る。ストリングスのキレが良くドライな響き。曲想をビショビショにすることなく、ボーカルの胸熱な表現をブーストしていて好感。エレクトリックギターやピアノがストリングスと共にズンと響く私の好きなサウンドのリファレンスは例えばOasisだ。

ギターは両側にダブってあり演じ分けられていてオブリガードは主に左寄りの定位。ピアノのオブリガードは右寄りで左右のバランスを取っている。1、2回目のサビ前や2度目のBメロ前などのギターのグリッサンドは両側から聴こえて臨場感と高揚を煽る。

2度目のBメロ前はエレキ勢とドラムを削ぎ、アコギとピアノとストリングス主の編成で清涼感差す構成が妙。

後奏のハーモニカとボーカルフェイクが重なるところが華。エンディングでイントロのキメの再現があるが、オープニングはドライな余韻の印象なのに対してエンディングではピアノが余韻して豊潤な響きの印象(音を止める・ブレイクさせる瞬間にそれがよく分かる)。

ドラムスがタムやシンバルで定位を出していて派手に感じる音場が気持ちいい。ベース&エレキギターはドライな音作りが漢気。

コミカルさや愛嬌がはじける歌の内容やフォーク的な様式から来るサウンドが私の思う原初のゆずの魅力の一面だけど、『嗚呼、青春の日々』は大人の階段を登り思い出を俯瞰している。同時に過去と未来を含めて現在の景色があるのを強く思わせる。様式(スタイル)のバラエティは大人になり身につける広い視野。少年を経て精神の成熟を見せる。

歌の内容から思うこと 連名の輪と眺望

亡くなった友人に宛てた手紙のよう。その宛先の人物と自分に共通するたくさんの友人・知人一同と連名の輪を感じる。故人を含めた友愛の歌。

一定の経過を共有するコミュニティのメンバーが情報を最新のものに更新し、うなずいたり変化に感嘆したりする。限定的な時事・近況を枕に、離れたところにいる誰かに思いを伝える。

いずれは誰もが行くことになる「そちら側」。今だけは、束の間かもしれないが、まだ川の流れのような隔たりがある。あるいはそれも思い込みかもしれない。川も何も、そもそも一体のものなのだ。川があるように見える物語。川があるというフィクションは、私の精神を豊かにするが、同時に現実の姿を歪めてしまう。足先あるいは腰ぐらいまでどっぷり浸かっている。流れに足を取られ腰を浮かされ、アップアップしながら海へ出る。

半分遠く、半分一緒。

遠くへ行ってしまった誰かへ寄せる思慕、初期のゆずからの成長を思わせるサウンドと一体の成熟しつつある曲想が魅力。一皮むけんとする当時のゆずの挑戦、「それまでの自分たち」を認めた上で新しい1歩を踏み出そうとする姿勢を歌の内容と呼応して感じる。あるいは「何かしよう、変わろう」といった打算・挑戦的なものでなく、自然に至った境地であるとも思わせる。

故人に宛てた手紙のようでもあるが「故人」という存在には「それまでのゆず」が重なる。あるいは北川悠仁・岩沢厚治、個人の過去でも良い。『嗚呼、青春の日々』で区切り、足跡を残した。俺もそのうち行くけどさ(ゆず『嗚呼、青春の日々』より、作詞・作曲:北川悠仁)とも言っている。今はまだ、道半ばなのだ。区切るというか、それもアナログ(無段階)なもので、徐々に私もあなたも変化していく。半分遠くへ行っても、半分一緒にいるのだろう。

ジャケットイラスト

『嗚呼、青春の日々』シングル。本宮ひろ志の描いたジャケットイラストの強い印象。ゆずの2人の似顔絵。スーツを着て、ネクタイを締めている。口を開いて笑った表情が希望やエネルギーを宿す。

1拍3連のリズム

1拍を2つに分けるエイトビートの曲は世に多いが、1拍を3つに分けたバラードもまた多い。「歌詞を詰め込みたいところにはたくさん詰め込める」し、「長く伸ばした音はよりたっぷり伸ばしている錯覚が得られる」気がする。

1拍を2つに分けると、2つの音符の「長さ」はイーブン(5分5分)。カタカナであらわすと「タタ」。

1拍を3つに分けても、もちろん3つの音符の長さは均等(3割3分3厘……♾)。カタカナであらわすと「タタタ」。でもこちらは、前のふたつを結合して「タータ」とするか、うしろのふたつを結合して「タター」とするかで、音の「長さ」により大きな「強さ・弱さ」の関係が生まれる。これによって、フレージングに波が生まれる。1拍を2つに分けたときよりも、その「うねり感」は強いものになる感覚。

あの世とこの世の二分割ではなく、重ね合わせた三つ目の世界を思う。

青沼詩郎

ゆず 公式サイトへのリンク

ゆず 嗚呼、青春の日々 横浜の公演?

ゆず『嗚呼、青春の日々』を収録した『トビラ』(2000)

ご笑覧ください 拙カバー

青沼詩郎Facebookより
“ゆず『嗚呼、青春の日々』(2000年)。リリース時、私は中学生。まさしく青春の日々の只中。ギターをはじめたのも中学生になるときだった。ゆずのコピーを仲間とやった。
岩沢厚治メインボーカルの曲は声域がまるで合わなくて歌えなかった。北川悠仁メインボーカルの曲はかろうじていけるものもあった。私はとにかく歌が下手で声域も狭いというコンプレックスがあった。ハーモニカも当時は弾きながら吹けなかった。弾き語りしながらのハーモニカを身につけたのは大人になってから。青春の日々に聴いて真似した先人のスタイルに回帰した現在の私…(いや、元々どこにも行ってはいないが…思い出の曲を思うと独り言?が多くなる)。
亡くなった人に宛てた手紙のような曲。実際そんなようなものらしい。もう決して会えなくなったときに初めて素直になれる…そんなことを思わせる。
聴くだけじゃなくて歌ってみるとなお良かった。「手紙メソッド」のお手本のような作。”

https://www.facebook.com/shiro.aonuma/posts/3513528015407514