映像 オーケストラ・アンサンブル・金沢と共演
オーボエソロのイントロ。ストリングスがダウンビート。「Oh~~~」のメロディ、「Carry on Carry out」など、曲中の諸モチーフを諸パートが奏でるアレンジ。カットが入ってクロスで歌パート(フルコーラス聴きたい)。KANさんがグランドピアノの弾き語りでオケと共演。翼のようなものが背中についた衣装です。例のイントロのモチーフをフルオケと一緒に奏で、壮麗極まる。ドラムスが映りますがアクリルボードのような遮音壁を使用しており大きな編成でも音のバランスをとる物理的な工夫がうかがえます。近年、音楽番組のスタジオライブ映像などでも見ることの増えた遮音壁です。
間奏は世界の大作曲家・ベートーベンさんのなかでも特に日本人に好まれるという「第9」(歓喜の歌)のモチーフを引用。よろこびを表現したトリプレットのハネたグルーヴ。日本人に有名なこの曲と『愛は勝つ』がつながる痛快。不思議とふたつの異なる楽曲が親和します。どちらも愛の普遍が通底している作品だからでしょうか。間奏出口付近の打楽器のベルや金管楽器のリズムが華やか。
歌パートではピアノの強いダウンビートが目立ちます。ピアノのプレイが間近でみられるカットをふんだんに含んだありがたい映像。イントロの主モチーフは基本オクターブ奏法ですが、16分の細かい音符は両手をつかって素早いフレーズのオクターヴを実現しつつ、リズムが急いていないところでは左手はベースなど伴奏を同時に担い、その瞬間は右手一本でメインモチーフのオクターブを奏でているのが映像でわかります。
エンディング付近で歌詞「必ず最後に愛は勝つ」を歌うとベートーベン先生の「歓喜の歌」のモチーフ引用の再来。エンディング付近で3度目に「必ず最後に愛は勝つ」を歌うところでリタルダンドし低音位が下行する音形でフィニッシュ……かと思ったらコメディ的オチがつきます。Ⅴ→Ⅰのカデンツ。鐘、1つとはお厳しい。
楽しい発想をもつお人柄のようなので、KANさん本人のアイディアでしょうか。あらためて神妙に、もう一礼。
曲について
KANのアルバム『野球選手が夢だった。』(1990)に収録後、同年にシングルカット。 作詞・作曲:KAN。
KAN『愛は勝つ』を聴く
オクターブ・プレイのピアノがこだまします。イントロが記憶に残ります。間奏やエンディングにも帰ってくるモチーフです。ストロークは強拍の4つ打ち。ダウン・ビートです。
ストリングスがささえます。やや奥でサスティンし音の厚さを常に確保。間奏で右から猛々しい低音域の弦が雄弁にウワァと立ち上がってくるところがカッコイイ。イントロでは右から先に低音域が立ち上がり、あとから高音域が左にあらわれるのがわかります。この流れの低音弦が間奏でも再現されているようです。そこで音量があがって目立ってきこえます。
「オーオー……」とコーラス(バックグラウンド・ボーカル)。ときおり歌詞ハモで重唱します。歌詞のラインの末尾の語句ですね。曲中ほとんどの部分でいます。間奏ですら出ずっぱり。「Love is all」など、メインボーカルにないフレーズを歌ってもいます。
ベース。1拍目に1発、3拍目に8分音符2発のアクセント。2・4拍目は休符にしてバンドを引き締めています。4拍目ウラは次の強拍にかけて打点をつくっているところもあります。
ドラムスはそのベースにあわせて「ドッタ、ドドタッ」というパターン。シンバルのパターンがピアノのダウンストロークにあわせて4つストローク。ハーフ・オープンのサウンドです。
ボーカルは基本ダブリングサウンドですね。オケやコーラスともよく調和し協調しています。伸ばすところで、ノン・ビブラートのプレーンな感じがするところと、KANさん固有の独特の揺れが加わって感じられるところがあります。思いや感情を全身全霊でまっすぐに表現してみえる率直な声。クセも含めて素直に感じられるのは稀有です。
ベル(鐘)のようなサウンドがうっすらきこえるところがあります。エンディングのピアノのモチーフと強拍でユニゾンするような感じ? ときおりフィルイン後の次の構成のアタマでカーンと鳴っているような気もします。ベルは目立ってはいませんが隠し味的にオケの壮麗さを演出している感じです。祝福、祝祭のような雰囲気も出ますね。ストリングス、ピアノ、コーラス、ベルの音が合わさって絢爛です。
ほとんどいない気もするのですが、フィルインのキメだけサウンドにドライブ(ハイゲインなトーン)が加わって感じられます。もしかしてここにだけ(あるいは他の部分にも)エレキギターの歪み系サウンドがいる……? ちょっと私のリスニングが至らずなんともいえません。ベースやピアノのサウンドの合音を私がそう感じているだけかもしれません。
転調のはこび
コード進行、調のうつろいがユニークです。
曲はDメージャーではじまりますがエンディングで長2度上がってEメージャーでフェイド・アウトします。
DメージャーでAメロ。Dメージャーのドミナントの和音、Aを出口に、Bメロアタマ「キャーリオン、キャーリアウッ」のところで長2度上にスライドしてBのコードにつながります。このBメージャーコードが新たな主和音。すなわち、ここからBメージャー調になります。
Bメロの出口「愛されるよろこびを知っているのなら」のところの終わりではBメージャー調のドミナント、F#を経て元の調のドミナント・Aコードにつながります。ここにはメインボーカルに「Oh~」を充てて、1小節のかさ増しをしています。F#→Aと、長和音どうしの短3度上行。異世界の響きに心がフワっとし高まるポイントです。この1小節をのりしろに、またAメロのAメージャー調に戻るのです。
つまりAメロとBメロの調性の関係はD⇔Bで短3度の関係になります。コーラスを重ね、エンディングでD調からさらに長2度上のEメージャー調へ進化。調の流れを記すと、D→B→D→B→D→Eとなります。なんだかこれだけでもコード進行みたいですね。
感想
いくつものライブ映像をみると、途中でベートーベン先生の引用をするアレンジは『愛は勝つ』恒例のよう。イントロのメインモチーフのストローク数をある部分だけちょっと増やすといった、生演奏時の恒例アレンジがあるようです。
KANさんのピアノは非常に優雅です。動きに無駄がなく的確。ストロークが引き締まっていて音色がイケメンです。相当な素養を感じます。
私にとっては昔から知っていたヒットソング。豪華絢爛、全部盛り! なイメージを抱いていましたが、意外とベーシックパートの数はコンパクト。ピアノ、ベース、ドラムスと歌だけでも素晴らしい演奏が味わえそうな確かな骨子ある曲だと思います。
もちろんこれらを華やかに飾る壮麗なストリングス、バックグラウンド・ボーカルのハーモニー・ワークが聴き手に与えるイメージは大。編曲は小林信吾です。KANさんとの棲み分けのラインがどこにあるのかはわかりません。ある意味、棲み分けのラインを感じさせない共同(プロデュース、編曲、etc…)こそが正義であるとさえ思わせる。そんな気づきをくれます。
ベーシックが意外にコンパクトなのに絢爛な響きを備えている理由としてはやはり、緻密なピアノのオクターブ・プレイが一因でしょうか。両手をフルに活用して、歌がいないところでも常に広い音域にわたる豊かな響きを確保しています。イントロのモチーフのピアノ奏法としては、小節のアタマやコード・チェンジ・ポイントでは右手でオクターブをとり、左手で下声部を確保。後続拍での動きでは左手をモチーフのオクターヴィングに加勢させます。細かい16分音符の移鍵が複数の指で素速く弾けるのでフレーズが滑らか。4分音符のようなおおまかな動きにおいても体の重みやスナップのスピードを分散させることなく出力できます。
歌メロディについて。経過音の入り口と出口、そして跳躍進行などで、そもそも歌メロディに和声の性格が備わっています。美メロのゆえんでしょう。
歌詞。「愛は勝つ」なんて、どうしてそんなこといえましょう。でも、「これこれこういうわけ」ゆえに「愛は勝つ!」という因果があるとして、その具体条件は人によって違うはず。むしろ、「愛は勝つ」を証明するのがリスナーに託された宿命なのです。答えを用意したから、この答えと対になる問題を一人ひとりが考えてね、と。その人生を実演してね、とKANさんからのバトン。あるいは、すでにそれを、誰もがしてきているはず。この曲に私が猛烈に感動するのは、そういうところなのじゃないか。自分がしてきたことを肯定し、勇気に変えられる。勇気はそれのみじゃ役に立たないけれど、行動のための着火剤にはなるでしょう。
ところで、愛ってなんなの?……というのもまた問題。でも、そんなの人に訊いている暇はないね! 愛はそもそもオリジナルなのです。独創なきところに愛はなし……などと想像。良い作品の傾向のひとつは、鑑賞者に考えさせる点です。
青沼詩郎
やはりKANさんは児童期にクラシックピアノを学んだようです。小学校〜高校受験期に7年半とあります。教会で讃美歌の経験もあるとのこと。幼少期(6歳頃?)にはヤマハ音楽教室にも行ったそう。詳しすぎてちょっと可笑しい豊富なKANヒストリーを貯えた公式サイト。
『愛は勝つ』を収録したKANのアルバム『野球選手が夢だった。』(1990)
ご笑覧ください 拙演