作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦。編曲:スティーヴン・ガーリック。赤い鳥のシングル(1972)、アルバム『美しい星』(1973)に収録。

各パートがいちいちカッコイイ。圧倒的なボーカルの力量。で、この脱力といいますか、ふわっと自然体で望んでエネルギーを発したような、それこそ飛んできて枝に止まる鳥みたいな当然の所作を感じます。

ベースが強拍でゆったりするのですが次の強拍までの空間をつかって細かく刻みます。

ドラムスの匂いのついた残響感がいいですね。タムで左右にふります。ミュートがきいていてタスっと短いスネア。キックももとてもタイトです。ゴフッゴフッといった感じで、アタック中心ですね。∴ベースが目立ちます。すみわけがキレイ。

エレキギターがすごい絞った出どころのわきまえ方で、たまにスチャっと短くほとんど音程のないノイズのようなものを出したかと思えばちょっとだけミャ〜ンと光を置いていく。玄人です。

オルガンは出ている時間が長く楽曲のバッキングの重要成分。トーンがいい。音色が心地よくずっと聴いていたいです。サスティンでささえ、ちょっとペンタトニックを出した動きで息継ぎをします。

ブラスのごきげんなこと。リズムが精緻に決まっていますし音色も最高です。

メインボーカルが男声になるところがあります。赤い鳥、すなわちグループでいちばん主要なボーカルとりは山本潤子さんですが、Bメロのところは男声がメインになります。楽曲の主題として、「赤い屋根の家」。一軒家にひとりで住むには広すぎる。やはりパートナーがいてこそのメインモチーフ、「赤い屋根の家」。登場する女声と男声の主がイコールその主人公だとはいいませんが、もちろん重なりを想像するのもリスナーの自由でしょう。

“幼稚だと誰れもが 笑うけれど それでもかまわない 楽しい夢だから”(『赤い屋根の家』より、作詞:山上路夫)

家をかう、たてる、といったのはおおむねオトナのすることでしょう。お金がいりますから。オトナが決める意匠として、「赤い屋根」にすることを選ぶのは、幼稚でしょうか。

大人は、子供をふくむという考えもできます。ずっと、胸のなかに、あのときの自分がいるのです。それからたくさん時間がたって、いろんなことがおきて、いろんな自分が生まれる。変化していく自分の履歴は、ぜんぶ心に残って同居するのです。もちろん、影を潜めてしまうものもあるかもしれません。でもきっと思い出せる。それでもずっと呼び出さないでいると、ついには消えてしまう……完璧に忘却してしまうこともあるかもしれませんが、それでも基本、おのれの経過はおのれのうちに残って、全部が一体になったのが自分であるとここでは主張しておきたいと思います。

だから、赤い屋根という意匠をえらぶのは、確かに幼稚かもしれないけれど、大人のする選択としてなんら不可思議ではないのです。大人は、子供(幼稚)を含むのですから。「経過」をふまえた選択ができるということです。歳をとるのは悪くありません。歳の取り方、にもよりそうですが……

“旅を続ける 二人の夢は いつも同じ夢 いつか旅路が終るところに 家をたてたい愛の家”(『赤い屋根の家』より、作詞:山上路夫)

ロマンチックです。理想をみて、それに向かって現在に手を加えていくことの連続が人生です。

旅はいつか終るのか? いつも、プロセスの連続なのではないか? 真実をいえば、赤い屋根の家すらも、経過のひとつ、ハイライトでしかないはずです。終わったと思っても、まだ動いている。生きる限りついて回る宿命ではないでしょうか。

家だけが人生の全てではありませんが、生活の拠点、基地として、家は重要であり、人生を大きく左右します。

大きくそのクオリティを占める、人生の重要事物が家であると思うと、理想形のそれを手に入れることは、さも、「人生をあがってしまう(ゴールしてしまう)」かのような響きがあります。そこが、どこか盲目な甘い響きを連れてくる所以でしょう。現実的か理想的かでいえば、あきらかに理想的な表現であり、赤い鳥の表現に対する選択の姿勢、その一面がうかがえる作品だと思えます。私の好きなところです。

“穏やかな人生 送りたいの 小さめの 幸せ それだけあればいい”(『赤い屋根の家』より、作詞:山上路夫)

その幸せが小さめであることを認知するには、もっと大きいものを知らなければ比較してそのように形容することはかなわないはずです。この登場人物は、それを知っているのを思わせます。「暗に」示している? いえ、小さめ、といってしまえる時点でそれは「明らか」です。

さまざま比較する材料(知識・経験)をもったうえでそれを選ぶ意向がうかがえます。

おなじくらいの質量のものを享受するにしても、これまでにどんな質量のものを享受してきたかによって、享受する同量・同質のものに対する評価が変わるのでしょうか。

それが、その人にとって最高の水準に達する質量であった場合、その人は幸福のドバドバに浸る思いでしょうか。

それが、その人にとって、経験したことのある水準、その最高の目盛りの位置に対してかなり余裕がある場合……その人は……ほどほどの幸福の浴槽に浸る、半身浴くらいの思いがするのでしょうか。

ピークを恐ろしいと私が考えるのは、そのあとは下がるしかないからです。エクスタシー、頂点、ハイライトをその表現に感じると、同時に、その向こうにある下り坂を想像してしまうのです。先回りして、おのれの身を安全に永らえる私の原初的な保守機構かもしれません。誰にでも備わりうるものでもあるでしょう。

つまり、のぼせてしまうことがないスタンスこそ、主人公が選ぼうとしている身の振り方に思えます。

のぼせたら、ぐったりしちゃいますもんね、その瞬間はよくても。

のぼせないためには、おのれにどれだけの物量が流れ込んできたら、おのれにどのような変化や反応が起こるのかを知る必要があります。失敗して、適切で快適なお酒の飲み方を学ぶみたいな感じでしょうか。

そのデザインが「赤い屋根」であることは、「理想にのぼせた経験の所有」を、外面的にだけでも刻みこんでおこうという意匠にも思えます。純粋に、おさない頃に童話で読んだ憧れの意味に尽きるのかもしれませんが、そういう理想を持つことのできる人は、きっとその後の人生でもいろいろ経験するでしょう。その人が、赤い屋根を好み、選ぶ……といった姿勢は、私にとって理解できるふるまいに思えます。

もちろん、ひとりひとりの心と外の世界とのあいだでは日々私の想像を絶する摩擦が起きていて、「まさかあなたが?!」という人がある日突然赤い屋根の家を建てる、ということも日々起きうるものです。それは、私の観察が足りていなかったことを私に教えてくれる瞬間。

青沼詩郎

参考Wikipedia>赤い鳥 (フォークグループ)

参考歌詞サイト 歌ネット>赤い屋根の家

赤い鳥『赤い屋根の家』(1972)

『赤い屋根の家』を収録した『GOLDEN☆BEST 赤い鳥 翼をください〜竹田の子守唄』(2009)

赤い鳥のアルバム『美しい星』(オリジナル発売:1973年)

The Red Birds

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『赤い屋根の家(赤い鳥の曲)ピアノ弾き語りとハーモニカ』)