フィッシュマンズの曲じゃなかった

『青空のように』は本気でフィッシュマンズの曲だと信じ込んでいました。空中 ベスト・オブ・フィッシュマンズで聴いたのだったか。私が高校生〜大学生くらいの頃にかなり好んでフィッシュマンズを聴いていました。その楽曲の作曲者が誰かとかをいちいち確認することのないリスナーが当時の私でした。

フィッシュマンズが心底自分自身のもののようにパフォーマンスしレコードにした功績をたたえたいです。その人のオリジナルだと思わせてカバー曲は成功。というか、その人のものだと思わせることがカバー曲の定義かもしれません。覆う、Coverって言葉で表現するくらいですからね。とにかくフィッシュマンズの見事さよ。

人の表情だとか心はお天気のようなものなのかもしれません。ころころ変わるように見える。でも、地続き……いえ、空続き(そらつづき?)に、本当はすべての因果がつながっているのです。いまこの瞬間にみせている空の表情(あなたの表情)は、たぶんずっと前から今この瞬間そうなる確率が高かったんだよね。あなたの顔の表情予報、なんてものも成立するかもしれません。あなた自身が一番それをわかっていたりしてね。あ、大雨がそろそろ降りそうだ、なんてね。

晴ればかりでは何が晴れなのかわからなくなるではありませんか。変化が多いことを豊かだと称えることもできます。あなたの顔は豊かです。

青空のように 大滝詠一 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:大瀧詠一。大滝詠一のシングル(1977)。アルバム『NIAGARA CALENDAR』(1977)に異なるバージョンを収録。

大滝詠一 青空のように(シングルバージョン、『Singles & more』収録)を聴く

手のひらに余る自由さ、天真爛漫さと愛嬌。

アタマをあまり打たなかったり打ったりするベースとキックのパターンが独創的です。アタマにストロークを置くパターンと、1拍目をあけて2拍目に置くパターンをひっくり返して配置したような独特なキックとベースのパターン。これが独特の盆踊りみたいなグルーヴの基礎でしょうか。

スネアドラムはこれでもかと壮麗なリバーブ感です。トリプレット……3分割でシャッフルのリズムを奏でているのですが、先に述べたドラムとベースの基礎のせいか盆踊りの様相なのです。

カスタネットのとどろく雄弁さは大瀧印のひとつと称えたいですね。チャカチャチャカチャ……と至極規則正しくなります。

クラップのような音の粒の揃いかたもこれでもかと音楽的。足を踏み鳴らした音も一緒に入れたのではないかと思わせるほどに芯のつよい、しかし耳に痛くないクラップの音がピースフル。

ぶいぶいとサクソフォンのご機嫌なことよ。実際に演奏のときにそうしていなくても、まるでベルを振っているかのように揺らぎ……スウィングしています。

ーーーと伸ばす女声のBGVとストリングスに対の存在感を覚えます。役割が近い感じ。

右のほうから漂うようにポルタメントするギターもきこえます。かわいくて柔和です。お天気の日に、草のてっぺんからふよふよと飛び立っていくテントウムシみたいですね。

和声がころころと変わり、副次調に片足つっこんだかと思えばすぐ戻る。マイナーのかげった酸っぱい響きに曇った空を感じたかと思えば、つぎの瞬間には和音の響きまで機嫌を取り戻している。もうなんなんだよ!カワイイかよ!(カワイイよ!)

『スピーチ・バルーン』なんかを思い出させる、中間部のマイナーの和音へのオチかた、転調の動きも至極大瀧さんの印籠を感じるところです。

愛嬌いっぱいで、西洋音楽……いえ、機能和声的な意匠の高さを備えているのに、よろよろとほろ酔いで盆踊りを楽しむような平和さと愛嬌はなんなのでしょう。絶妙すぎますし独創の極みです。

これだけの音数を統率しているのですが、なんといいますか自由を与えたままにみんなで和をもって同じほうを向いているだけなのです。そこが、この楽曲の聴き心地の良さなのです。リスナーまで一緒に、自由意思で一緒に楽しんでいいんだよと、和への入り口をあけてくれているのです。軍隊も傭兵もオエライもみんなこれを一緒に聴いて歌って踊って演奏したら世界が平和にならないもんかね、和と遊びの匠の曲のもと。

青沼詩郎

参考Wikipedia>NIAGARA CALENDAR

参考Wikipedia>大瀧詠一の作品一覧

参考歌詞サイト 歌ネット>青空のように

大滝詠一 ソニーミュージックサイトへのリンク

『青空のように』シングルバージョンを収録した大滝詠一の『Best Always』(2014)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『青空のように(大滝詠一の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)