結婚によせる歌

レミオロメンの『3月9日』は作曲者の藤巻さんのご友人の結婚に寄せた歌だと聞きます。なんで3月9日なん? ってなりますよね。その方の挙式が3月9日だったそうです。そう聞くと、まんまのタイトルですね。

でも、その挙式をした日付を強く印象づけます。現に、私の「なんで3月9日なん?」という関心を生じさせたわけです。うまいですね。

私自身も自分が挙式した日付は覚えています。自分の挙式のために、ゲストやらパートナーやら親族やらへの感謝や親愛友愛もろもろをモチーフに曲を作って披露宴で自ら演奏しました。いい歌なんで貼っときます。

私のバンド仲間が挙式したときにも、私は曲をつくって新郎と一緒に演奏をしたこともあります。

レミオロメン『3月9日』もしかり、友人の結婚というのは、曲づくりのモチーフとして大定番なのです。フジファブリックにもなんだかいいのがあった気がします。

『wedding song』これです。メロのボーカルメロディの跳躍ぶりにヘンテコな魅力が光っています。サビも跳躍しますね。癖のある愛嬌が絶妙。オルガンの神々しい音色が祝福の意趣です。

たいせつな人の結婚を祝うことを直接の動機に制作したかは別として、メッチャ挙式でつかわれがちな楽曲ってありますよね。私の世代だと木村カエラさんの『Butterfly』とかSuperflyの『愛をこめて花束を』とかが思い浮かびます。『Butterfly』は実際、友人の結婚を動機に書き下ろしたもののようです。

3月9日という時期は挙式にはちょっと寒そうな気もしますが、ジューン・ブライド……6月じゃなきゃいけないなんてきまりはありません。日本は4月から年度が変わる国なので、3月はなんだかそろそろ新しい生活がはじまる感があるのが挙式にとっては良い時候でしょう。もう春だってのに急に雪が降ったりすることもありそうですが……

レミオロメンの藤巻さんとも藤巻さんのご友人とも私はお知り合いではありませんが、『3月9日』という素敵な楽曲のいちリスナーとして勝手ながらお祝いしたくなります。楽曲『3月9日』がくれたご縁だと強引にこじつけまして……でも、そのための曲かもです。

なにかを刻んでおきたい。それが、ありふれた普遍であっても。そのために歌を書いたりする生き物が人類の有史、あるいはそれ以上でしょう。

レミオロメン 3月9日 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:藤巻亮太。レミオロメンのシングル(2004)、アルバム『ether [エーテル]』(2005)に収録。

レミオロメン 3月9日を聴く(『ether [エーテル]』収録)

荒削りというかすごくシンプルです。音数がほとんどメンバーの人数と一致している印象。ボーカルフェイクで熱量をあげたエンディングからの結尾の収束のしかたとか器用だなとヘンなところで感心してしまいます。

このシンプルで骨子そのままのようなサウンドの楽曲が大きい認知を得るのはやはりテーマとかそれをうつした歌メロ・作曲作詞、それを実直に届ける演奏などが全部まっすぐで美しいからだと思います。

エレキギターのアルペジオではじまりますが、上声の響きに少し複雑な感じ……というかクセを覚えます。ちょっとおやっと思うような低音位とかをからめて、シンプルにせつせつと歌い、バンドが入ってきます。

ゴム、ゴム、というキックの音が独特でバンド出している音を尊重する態度を感じます。ドラミングが面白くて、2コーラス目とかでキックをちょっと4つ打ちにしたりとアイディアを感じるところです。スネアのゴーストノートが潤沢で、オープンハイハットのからめ方で変化を出します。このバンドがスリーピースで魅力的な要素のひとつはこういうバンドの演奏に実直なところでしょう。ベースの音がプレーンで好感です。

実直なサウンドだから、なお歌メロが映える。レミオロメンのボーカルメロディの強さに、華美な背景はかえって邪魔かもしれません。藤巻さんのボーカルの揺らぎも独特です。エモい感じですが実直。特徴があるのですが、これがありのままなのでしょう。ホントにそういうお人柄なんだろうなと想像します。

私が想うバンドの理想は、いかにメンバーそれぞれがありのままで勝負するかというところです。そこをやってくれると、私に刺さる。売れるとか、リスナーに価値を感じてもらうために最善をつくす、どんな手段もとる、といったようなある種「ゲンキン」な態度もエンターテイナーには必要なのでしょうが、私が見たいのはそこじゃないのです。ひねったりささくれたりの勝負でなく、最短で飛んできてほしい。

レミオロメンはそういう鏡の純度・明度を問うてくれているように思います。高校時代の級友がレミオロメンを好きだったのを思い出します。私はいま、それを思い出して聴くのです。

歌詞をみる

“溢れ出す光の粒が 少しずつ朝を暖めます 大きなあくびをした後に 少し照れてるあなたの横で 新たな世界の入口に立ち 気づいたことは 1人じゃないってこと”
(『3月9日』より、作詞:藤巻亮太)

油断している姿を相手に見られて恥じらうのは、同居を始めたてのあるあるでしょうか。いつまでたってもそういう初々しい仲もあるでしょう。あるいは、もうデリカシーもなんにもなくなっておかまいなしになってしまう仲もまたあるでしょうが……

もうすでに結婚に至っているのなら、1人じゃないってことに気づくの遅すぎない? というのは私の不粋なツッコミでしょう。何かを始めて、実際にやりながら人は学ぶのです。もちろん、始める前にあれこれ準備することも大切でしょう。あんな不安やこんな可能性への対処を検討し、あらかじめ万端に備えてから何かを始めることで救えるものごとも否定はしません。

でも、とにかく「始める」「やる」ことで気づくことのほうがはるかに甚大だと私は思います。

あなたが”1人じゃないってこと”に気づくのは、これ一回きりではないでしょう。きっと、この後に及んで、10年経っても20年経っても、繰り返し繰り返し”1人じゃないってこと”の実感を重ねるのです。

あの頃の“新たな世界の入口”から見たら、現在は道のりのかなり半ばまで来ているほうかもしれませんが、それでもやっぱり未来には見えていないことがあります。それに直面するたび、”1人じゃないってこと”が心強いのです。

“瞳を閉じれば あなたが まぶたのうらに いることで どれほど強くなれたでしょう あなたにとって私も そうでありたい”
(『3月9日』より、作詞:藤巻亮太)

過去を顧みるような視野を思わせる描写です。楽曲がどこかせつない匂いをまとう所以でしょうか。幸せの渦中にいる気もしますが、遠く隔たったところからある時点をもの恋しくみているような感じもするところが、この楽曲がパカリと竹を割ったようにいかない特別な魅力かもしれません。

今この瞬間も、すぐに、矢のようなスピードで過去になり続けています。一瞬一瞬が、あなたのうしろに飛んでいくのです。だからこそ、いつもまぶたの裏にいる存在でお互いがあり続けることが、奇跡であり恩恵なのでしょう。

青沼詩郎

参考歌詞サイト 歌ネット>3月9日

Remioromen 公式サイトへのリンク

参考Wikipedia>3月9日 (曲)

『3月9日』を収録したレミオロメンのアルバム『ether [エーテル]』(2005)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『3月9日(レミオロメンの曲)ギター弾き語り』)