星野源『ばらばら』を聴く

コンコンとマリンバの余韻短い音。星野源の絹の声。布の表面のような、ざらざらしたような、それでいてすべらか。ピアノの複雑な倍音が水に放たれた染料のように広がります。ベースはアコベでしょうか。ブーンと響き、支えます。ドラムスはブラシ。サカサカ・パシンとソフトな衝突音。歌とけんかせず、小気味良い。

和音がこまやかに色彩をかえます。低音位もよく動きます。半音や、となり合った音への印象的な推移も。やわらかく、やさしいなかにもくせ(癖。曲。フック)。星野源のコードの感性は独特です。外しすぎず、でもちょっと品よくなりすぎないように。「地べたの音楽」を感じます。

雑感

私が星野源を知ったのは『ばらばら』が含まれたアルバム『ばかのうた』でした。親しい人に紹介してもらったアルバムでした。星野源はそのときすでに「時の人」で、人気者といって違いない存在でした。それだけで、ななめに見てしまうチイサイ私……でした。星野源はすでに俳優としても活躍しておられましたし、文筆業もなさるというのでなおさら「多才、なにくそ!」みたいな「斜め見スイッチ」が入ってしまうのです。ああ、愚かな私。

このブログを書いていて、かつて斜めに見てしまっていた素晴らしい曲たちと正面から向き合う機会が得られたのは財産です。

『ばらばら』を聴いていると、歌詞が光るのがわかります。これも星野源のくせ、癖、曲(くせ)のひとつ。「くそ」という単語のちかくに「めし」とか「きれいごと」とかいう単語を置く。対比がうまいです。キラリと「耳をふりむかせる」ワードをふんだんにちりばめ、地面を感じさせる、やさしく親身でかつ、ひん曲がったくせのある大衆性。

この『ばらばら』含むアルバム『ばかのうた』以後、星野源はどんどん進んで独自の大衆性を深め華々しさを増していくのを思います。アルバム『ばかのうた』の時点で、ここに、こんなに「地面」を感じる歌を置いた。これは星野源自身にとっても、自分が歩んでいく道のりのランドマークではないでしょうか。私が星野源だったら、「ああ、そうそう。この頃、こんな歌を書いたよなぁ」って思うかもしれません。

歌とは歌うたいにとって、ソングライターにとって、そういうものでもあると思うのです。日記とも重なるけど違う。人に見せるための手紙なのだけれど、その宛名の中には歌を書いた自分自身も含まれるのです。素敵なこと。歌がもたらしてくれる幸福のひとつです。

青沼詩郎

星野源 公式サイトへのリンク

『ばらばら』を収録した星野源のアルバム『ばかのうた』(2010)

ご笑覧ください 拙演