Bye Bye Love The Everly Brothers 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:Felice and Boudleaux Bryant(Boudleaux Bryant・Felice Bryant)。The Everly Brothersのシングル(1957)、アルバム『The Everly Brothers』(1958)に収録。

The Everly Brothers Bye Bye Loveを聴く

1950年代後期のリバーブってどんなものなのでしょう。プレートなのか、エコー・チャンバーなのか。しっとりと空気にはりつく粘り。残響がついている・エフェクトがかかっている状態を「ウェット」と表現しますが、これぞマジモノのウェットです。こういうのをウェットというんだぞと中坊の自分に教えてやりたい。

ふたりの兄弟のシンガーユニット。下のリードボーカルに、上ハモが儚げに甘美なハーモニーを加えます。むかうところ敵なし。最強。そう讃えたくなる美しく柔らかな声の綾です。PPMなんかも思い出させますね。

モノラル音源でしょうか。ベースは輪郭が霧散してしまいそうですが、グモっとしたサウンドで1・3拍目を強調します。コントラバスタイプのアコースティックベースでしょうか。パサっとブラシのようなものでアクセントするスネアがいるでしょうか。

スチャっと2・4拍目を強調するのはエレキギターか。非常にキレが短くタイトです。1・3拍目のベース、2・4を強調するギターやスネア。そしてそれらの間を埋めるゴーストノートのようなニュアンスがハネ具合を決めます。かるくはずんだグルーヴです。アコギがシャラシャラと木々のざわめきみたいな背景を敷きます。

日本の金字塔的大衆音楽、『涙くんさよなら』を思い出します。

……と、『涙くんさよなら』はさておき『Bye Bye Love』のタイトルの通り……失恋が主題です。明るく甘美な響き、軽く弾んだグルーヴに余裕を感じるので本当に傷ついているの? と思わせます。死にたくなるほどの心の痛みや苦痛、不安や不満、焦りが失恋に伴う症状だと思うのですが、そういうものを客観した音楽。たとえば一人称として「I」を用いたとしても、もう失恋の痛みも一通り経験し認知済みにし、それを台本にかかれたものを一流の役者があらためて事後にナレーションしているような、そういう余裕を感じます。感情のコンプレッションを経たあとの美麗と哀愁のわびさびだけを抽出して鑑賞している気分です。

俺はつらいんだ!苦しいんだ!傷ついたんだ! というのを泣き叫び喚き散らす描写をそのまま音楽でやったとして、それを大衆が聴きたいか? と問う時、それは違うだろうと結論に至ります。もちろん、これだけ甘美にされてしまうコンプレッションに物足りなさを覚える別の表現者が、痛みや苦しみを直情的に訴求する新しい音楽を生み出しもするでしょう。それは大衆に撒き散らすにはかなり尖りすぎた音楽になるかもしれませんが、その矢が胸にささり、そのことで救わるユーザーもきっと大衆ほど多くはないにせよいるのだと思います。

大衆という観念もまた空虚です。どこに大衆がおんねん、と。一人ひとりの集まりに対して付した幻想が「大衆」という観念だとも思います。楽曲『Bye Bye Love』から話がそれてしまいました。

キュっと素早いエンディングのフェード・アウト。曲がコンパクト。モノラルの音像、失恋の歌い方。もろもろの要素に時代を感じます。郷愁なんて感じるほどの余地もないほどに古い音楽ですが、私の耳に馴染む私好みの音楽です。「大衆」という空虚さは、その反動として時空を飛び越えるのかもしれません。

青沼詩郎

参考Wikipedia>Bye Bye Love (The Everly Brothers song)エヴァリー・ブラザース

参考歌詞サイト Musixmatch>Bye Bye Love

The Only Official Everly Brothers Websiteへのリンク

『Bye Bye Love』を収録したThe Everly Brothersのアルバム『The Everly Brothers』(1958)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Bye Bye Love(The Everly Brothers エヴァリー・ブラザーズの曲)ウクレレ弾き語り』)