X万回目のリバイバル

初期のゆずがみるみる有名になり活躍が顕著にめざましかった時期に私はちょうど中学生くらいだったのです。

先日(2024年8〜9月頃)、ラジオを聴いていて耳に入ったのがゆずの『友達の唄』でした。リクエストするのはやっぱり私ど同年代くらいのリスナーなのか、あるいはそれを採用するラジオ番組のディレクターも私と同じくらいの年代なのかもなとか想像します。

あるいは1990年代〜2000年代初頭くらいのゆずの作品に、近年になって初めて触れる世代もいることと思います。デスクトップで作った音楽がはびこるなかで、90〜00年代のゆずの作品に新しくふれる世代はどんなことを思うのか話を聞いてみたいものです。

現在でも、ギターをかき鳴らして唄を練ってそのままの方向性でそれを完成形までもっていくアーティストは、もちろんいくらでも新しく現れているとは思うのですけれど。

そもそも90年代〜2000年代初頭という時期においても、ギターをかき鳴らして唄を生みほとんどそのまま完成形にしてしまうスタイルは、それこそ何万回も繰り返されてきた定番スタイルのX万回目のリバイバルなのかもしれません。

友達の唄 ゆず 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:北川悠仁。ゆずのシングル、アルバム『ゆずえん』(1999)に収録。

ゆず 友達の唄(『ゆずえん』収録) リスニングメモ

楽曲のほとんどの部分で、歌詞の字ハモもしくはウー系のコーラスなどなんらかのボーカル情報が厚みとともに込められています。

Aメロなどの比較的平熱な部分でも字ハモを多用。当時の中学生の「ハモり好き」を加速させた立役者のひとりが間違いなくゆずだ!と思わせます。

これにともなってふと思い出したのですけれど、お笑い芸人のネプチューンが出演するバラエティ番組でハモネプという企画がウケていたのもおんなじくらいの年代だったかもしれません。

『友達の唄』の話にもどります。

ゆらめくエレキギターのトレモロサウンド。アコギは左右にそれぞれことなるストラミングがいます。まったく同じ意図の演奏を2回録って重ねてサウンドに厚みを持たせる手法もありますが、ここではあえて、「ストロークを揃えない」ことを積極的に意図したアコギ演奏が左右に振ってあるようです。ゆずメンバーふたりともがアコギを携えて歌うライブをしたらこんな感じのストロークを二人でするのでしょうか。

デン、デン! とティンパニがインパクト。全面を覆うサウンドではありませんが下方向に、地面に轟く幅をサウンドにもたらします。

ストリングスのアルコがみずみずしい青春のさわやかさを演出します。

タスっとドラムのサウンドはかろやか。ピアノがしゃしゃり出はしませんが確かなきらめきを添えます。

大サビ“変わってゆく暮らしの中で”のところで音の厚みをあえて間引きます。そこから、「きょ・う・は」のおおまたぎなリズムのキメで長二度上へ転調。GからAメージャーへ。テンションアップ。

エンディングは「ぱっしゅび、しゅびどぅばっぱ」。青少年が登場しシンガロングし厚みのあるクラップ。

友達の観念は、孤独の対極。複数の人の関係でできる観念です。人数がふえるほどに「輪」になります。フェードアウトでフレーミングをぼかしてリスナーを現実へ誘導。背中を押してくれるようです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>友達の唄 (ゆずの曲)ゆずえん

参考歌詞サイト 歌ネット>友達の唄

ゆず 公式サイトへのリンク

『友達の唄』を収録したゆずのアルバム『ゆずえん』(1999)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『友達の唄(ゆずの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)