チキンライスを聴く
H Jungle with t『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』のインパクトが記憶に残る浜田さんの歌唱ですがバラードもいけてしまうのです。音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』への槇原さんの出演時に提案された冗談半分のような依頼がきっかけになって作られたというには出来過ぎというか、曲の良さに対してきっかけがあまりにも軽率すぎるくらいです。
この曲の良さの心臓は作詞の松本さんの実体験にもとづく人生と家族のストーリー。歌詞の内容を思い浮かべただけで私は涙が込み上げますし、歌詞やコードをデッサンしようと聴き取ったときも涙が出た。じぶんでこの歌を歌ってみようとしてもやはり涙が湧いて仕方ない。松本さんの少年期のエモーショナルがとめどなく流れ込み、ちょっと無理ですというレベルで歌えなくなってしまう。曲を聴き返すたび、無尽蔵に涙が込み上げます。
恋のストーリーでないところに視点を置いたクリスマスソングであることを槇原敬之さん自身も評価しているといいます。この歌は家族のヒストリーであり、子から親に対する気遣いとその胸の内が少年期と成人期にまたがり吐露される内容は心情の普遍と成長・気づきを表現したつづれ織りのよう。
頼む料理の高価さをおもんぱかって、安い料理こそが自分が一番食べたいものなのだと言い張る。そういうことにする。それで、実際にそれを注文する。高い料理に興味を持つこと自体を封じてしまう。たとえ、親の方から、「なんでも好きなものを頼みや」と自由にふるまうことを促されようとも、むしろ防御を固めてしまう。本当に「なんでも好きなもの」を頼んでしまったら、出費が大きすぎて次にこうしたところに来て食事ができる機会は二度と来ないかもしれないから……と。
子から家計への気遣い、すなわち親への気遣いがそのっっっっまんまの話し言葉で描かれています。
歌詞のカッコ(見てくれ)だけについていえば、おおよそ、歌詞らしい歌詞ではない。「歌の言葉」としてのカッコのつけ方を悠然と俯瞰しています。それもそう。コメディアン、芸人さんとして成している松本人志さんの作詞なのですから、職業作詞家でないのは明らか。ですが、その内容はまさに高純度なポップソングの核心です。「あのとき感じていた、胸の内の真実」を歌わずに、あらゆる大衆歌の表現者は何を道草食っているんだ。少年期の心情を顧みる内容はドラマティックで、まさに歌づくりのお手本にするべき目の付け所です。
槇原敬之さんの楽曲はおおむね詞先であるといいます。歌詞を先に書く制作方法で、『遠く遠く』『どんなときも』などといった、私を何度涙の海に沈めたかわからないハートをぐらぐらと揺さぶる多くの傑作を生み出しているようなのです。きっと『チキンライス』も、作詞のプロセスに松本さんが入る点以外についてはこの制作方法といえるのでしょう。
歌詞を書く職業人が書いたらこうした言葉は絶対に(とまでは言い過ぎたが、そう易々とは)出てこない。あえて悪くいえば、歌詞、すなわち歌の言葉としては無駄が多いです。
“親孝行って何?って考える でもそれを考えようとすることがもう 親孝行なのかもしれない”
“へこんだとこへこんだ分だけ笑いで 満たすしかなかったあのころ”
“昔話を語り出すと決まって”
“親の顔色を気にしてチキンライス 頼む事なんて今はしなくても良い 好きなものなんでもたのめるさ”
(作詞:松本人志、『チキンライス』より引用、選り抜き。同じ単語の重複・反復使用、「それ」「事(こと)」「かもしれない」「しなくても良い」、「〜すると決まって」といった常套句などは、私ならつい推敲して洗練させる方向性を考えてしまうところです。それをあえてそのまま用いる英断と敏捷な作曲能力のすばらしさは曲を聴けば明らかでしょう。)
本当に思い出、子供から親を気遣う心情を傾聴者にそのまま話すような、しゃべり言葉のように紡がれた歌詞です。無駄が多いというのは暴言かもしれません。出てくる「思い」を、出てくる順序のまま、語尾や語頭の「まよい」「うつろい」「まどい」といったものを洗練させたり推敲したりすることなく、そうした子供のリアルな心情を「最適化(歌の言葉として)」「平均化」することなく、ありのままに映し出している。音楽人がこうした「思い」を紡ごうとしたら、きっとこれが「音楽」であることを気遣って、最適化したり、おあつらえ向きにするべく言葉を選りすぐってしまうでしょう。楽曲『チキンライス』は「音楽」の形をしているだけで、心底の思い出と愛と家族の形のリアルを記録したドキュメンタリーなのです。映画のようでもあり、小説のようでもある。音楽はそれほどに雄弁です。言葉のつらなり、章立ての芸術であり、すぐれた音楽は映像を喚起します。
この湧き出でるままの言葉をそのままに歌にするのはもはや槇原敬之さんの専売特許のよう。超絶技巧で特殊技能です。見事という形容では足りまい。私のハートはぐらぐらで目頭はびしゃびしゃです(語彙崩壊)。音楽の進行(小節線)に合わせて柔軟に言葉の手綱を握り、私を感動に導くメロディの贈り物です。
もちろん、実際に完成形に至るまでのプロセスでいかなる問題発覚やその解決があったのかは計り知れません。このリアルなストーリーをほんとうに大衆歌というエンターテイメントとして形にする苦労が数多あったかもしれません。それを感じさせない、浜田雅功さんの、松本さんの少年ごころをそのまま憑依させた歌唱がまたブラヴォー極まる。
私の一番好きなクリスマスソングかもしれません。おれはチキンライスがいいや。家族のストーリーそれ自体が本物のギフトです。
青沼詩郎
浜田雅功と槇原敬之のシングル『チキンライス』(2004)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『チキンライス(浜田雅功と槇原敬之の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)