何したって、メリットがあればデメリットがあるのです。
「いやいや、そんなことないよ。コレは絶対やった方がいい。やるしかない。メリットしかないから!」
ついつい、そんなモノイイをします。私もだれかに向かってしたかもしれないし、このご時世、インターネットをうろつこうものなら、かならずしもそんなようなおもむきの言葉に出あうのではないでしょうか。
その言葉は、デメリットに目をつぶっています。といいますか、デメリットに焦点を当てていません。話題にしていないのです。
インターネットって、すごいです。便利です。メリットしかないような気さえしています。現に、多くの人がユーザーとなりました。普及しました。でも、じゃあ、デメリット、ないの?
初期費用と、固定費用が継続してかかるとか、あるかもしれません。ぜんぶ無料だったら、たぶんそのほうがいいから、このコストはデメリットかもしれません。
でも、私は、インターネットのある生活を選びました。いえ、いつの間にか選んでいた。積極的に、このライフスタイルをこの手でつかんだぜ! というような自覚もないうちに、するっと、生活に取り込んだ。洗濯物をベランダから中に入れるみたいに。それが、私にとってのインターネット、でしょうか。
ネットが存在することは、楽しいです。離れたところにある情報を、瞬時に、好きなときに引き出せます。中学生くらいのときに、ゲームソフトの「ファイナルファンタジー」の美麗なグラフィックなんかを実家のマックで検索して見ては驚き、心酔していたことを思い出します。
インターネットがあると、そういう生活になるのです。生活様式が、それに適応したかたちになる。
「事務連絡」を、東京にいる人が、大阪にいる人に放ちたいとします。飛脚に手紙を託して・・・・なんてしていたら、数日かかるでしょうか。これが、ネットで、ポンとメールやらチャットやらすれば一瞬です。
「かかる時間が、短いほどいい」。そう認めれば、たしかに、これは、ネットに分があります。(なにをいまさら)
でも、別に、そのことをメリットにしなけりゃ、なんでしょう、あえて自分がよくわかっていないことばをつかえば「ぱらだいむしふと」が起こります。なんのこっちゃ(使い方あってます?)。価値観の変革といいますか、かるちゃーしょっく? といいますか、あたりまえに「そうだ」とおもっていたことが、「そう」でなくなるのです。
事務連絡を伝えるために数日、人間の足で費やした生活様式。その時代に、その世界にいた人は、今の私よりも、幸せだったり不幸せだったりするでしょうか? 医療もいまほどでなくて、命を落とす危険とより近くにいたかもしれないことは、「でめりっと」でしょうか? それは違うんじゃないか? という素朴な思い。いえ、もちろん、発達した医療で、助かるものが助かる世界は、もちろんそれはそれでしょうけれど。
ある「とらえかた」をするしかありません。ある「とらえかた」を選ぶと、そこには、長所と短所が生じます。長所も短所もないところにいたかったら、何も選ばないことです。でも、この世に生をうけて、ここにわたしが、そこにあなたがいる限りは、何かを選択することに必ずなるのです。「何も積極的に選ばないでいる」だって、選択のうちです。
だから、わるいところに物怖じして、何も選ばないでいるのは、自分の望む先を明るくしないんじゃない? ということを、ちょっと、控えめに言ってみたいだけだったのです。
たったそれだけのための長文。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
青沼詩郎