家事をしながらラジオを聴くのが最近の私のブーム。

なんなら食事しながらも聴いてしまう。

テレビつけっぱなしで食事するのはマナー違反という家庭で育った人も多いかもしれない。

ラジオは視線が自由だからいくぶんテレビの場合のそれとは事情が違う。

いくつかのお笑い芸人がパーソナリティの番組を渡り歩いてみる。私は笑いに飢えているらしい。

彼らのネタが私は好きなのだ、と思っている芸人さんの番組でも、ラジオとなると何かが違うのか。テレビだと多くの場合数分程度(中には長尺もあるだろうが)で終わる芸人さんのネタに対して、ラジオは1時間近い尺を持っている場合があるせいか? なんとなく新鮮味がない。薄く伸ばされたものを賞味している気になる。

やっぱり音楽好きのおれにはミュージシャンがパーソナリティのラジオだよな、と謎のひとり合点。で細野晴臣のDaisy Holiday!(InterFM897)を聴き始める。コレだわやっぱ(コレってなんだよ)。

次々に飛び出すいい音楽。私のちゃんと知らないものばかり。世界中のいい音楽を細野さんはどれだけ知ってるんだよと思う。存在が巨大。研究されているんだろうな。それを研究とも思わずに音楽を採集、観察、分析、思考、実践しているんだろうな。同時に、意識的に研究してもいるんだろうな。

次々に飛び出すいい音楽。アーティスト名と曲名をおっしゃってくれるも、覚えられないし聴き取ってタイピングしていては進行に遅れてしまう。だいいち音楽が始まってんだから携帯打ってないで聴かなきゃ。てかそれ以前におれは食事中だ(ラジオに夢中じゃないか)。

Shazamで聴き取る。音楽を聴き取って、ネット上のデータベースと照合してそれが誰のなんというトラックなのかを正解を提示してくれるアプリ。ラジオを聴きながら私はこいつを動かした。こいつならタイピングなんかすることない。ワンタップで音楽を聴き取って、それがなんなのかを表示してくれる。ジャケットアートワークやアーティストのビジュアルイメージも表示してくれるのがいい。その画面にApple Musicのその楽曲への直接リンクもなされているからそのままそちらへ飛ぶこともできる。

なんて涙ぐましい(?)作業をちくりちくりとしながら心地いい音楽と過ごした。食事中だったので曲が変わるたびにShazamをちょこっとタップするのがマナー的にどうかは微妙なとこだったが気持ちよくおいしい時間を過ごせた気がした。

Shazamをつかってチコチコとやったはいいが、検索したら放送のアーカイブが番組サイトで、それもしっかりどっしりしたテキストでちゃんと載っていた。後記というやつ?http://daisy-holiday.sblo.jp/これがあればあのShazam作業はいらなかったかもしれない。けれど、心が動いたそのときに身体も一緒になにかするのは精神衛生上よろしいのではないかと私は思っている。たとえば、私は頭のなかに勝手に知っている曲がひんぱんに再生されるのだけれど、それが許される環境のときはそれを感知したそのときに、実際にその曲の音源をプレイして聴き始める。音が鳴り出すと、これこれ!(キタコレ!)感が半端ない。サブスクリプション、配信といったかたちでのサービスが少なくとも私の手元にまで行き届いたからこんなアクションも簡単になった。あのCDは家のどの棚のどのへんにあったっけかな、仕舞ってある部屋に移動してごそごそ・・・これじゃないな・・・別のが出て来て、うわっ、なにこれ懐かしい! なんてやっているとスピード感が死んでしまう。心が動いてからだが動く慣性が減衰してしまうのだ。「うわっ、なにこれなつかし…」なんてやるのがリアルの棚漁りのたのしみででもあるのだけれど。

番組の最後にかかったThe Song Is Ended / 細野晴臣。彼のカバー集『Heavenly Music』(2013)収録。オリジナル・アーティストを辿って聴き漁れば今後のネタにはしばらく困らない?

音楽ブログを書いたりカバー演奏したりしているこの頃の私。「ネタに」といった観点で音楽に価値を見出すようになっている自分に気付く。それどうやねんと思う一方、音楽ブログ、カバーをひんぱんにやりだしてからこれまでよりも「音楽」と仲良くなれたような気がする。いままでいかに自分が音楽を聴いてこなかったかを思う。脈々とうごめく潮流。その歴史をもっと知りたい。

ちなみに、ずっと後になって、オンエア曲を任意でお気に入りリストに記憶しておく機能がラジオアプリ(radiko)にあることに気付いた。特定の音楽配信サービスへのリンクがされているからワンタップでオンエア曲の音源へのアクセスも可能だけど、リンク先の音楽配信サービスが自分の望む特定のサービス(たとえばすでに有料会員に加入しているサービス)と必ずしも一致しない。結局曲のタイトルを自分の手で打ち込んだり、どこかで文字列をキャプチャして検索窓の中にコピペしたりする程度の手間はかけることになる場合が多い。にしたって、ネット上で音源にありつけてしまう便利さは脅威だけど。レコードなどの物体で音楽を聴く楽しみとはまた別。

青沼詩郎

細野晴臣 公式サイト
http://hosonoharuomi.jp/