はがれおちたままの木の葉
4分打ちのリズムのピアノに吉田拓郎さんらしい16分割の譜割りで細かく節を与える唄が乗ります。中庸なテンポはおあつらえ向き。プロコル・ハルムの青い影を思い出しもします(類例は枚挙に暇がありませんが)。
言葉の洗練を凌駕する個人の気持ち、感慨のポテンシャルを思います。職業作家における、歌手やリスナーを選ばない磨かれたシェイプのものづくりを美徳とする方向性がひとつあるとすれば、その死角になるのがこうした個人の気持ちを直感をたよりに言葉、声、音であぶりだすようなクリエイションでしょう。ニッチあるいは穴だった部分かもしれません。でもそこを照らしてほしかったんだ、そこを歌にしてもしかったんだと無意識に潜在的な想いをくすぶらせていたリスナーはこうした吉田拓郎さんのレパートリーに出会って光をみる思いがしたのではないでしょうか。シンガーソングライターの時代の到来と仮に設定させてもらえば、本曲はその象徴、トピック、ハイライトの一つかもしれません。(訓練や技術を背景に、様式への適合を経て)ユーザーのために最適化される前の想いをそのままに出力するからこそ届く・伝わるものがあります。胸と胸を直接つなぐような歌だと思います。
どうしてこんなに悲しいんだろう 吉田拓郎
作詞・作曲:吉田拓郎。吉田拓郎のアルバム『人間なんて』(1971)に収録。
吉田拓郎 どうしてこんなに悲しいんだろう(アルバム『人間なんて』収録)を聴く
サビがあるようなないような不思議な曲。ワンコーラスの最後の最後でボーカルの使用音がいちばん高くなる。じわじわとくすぶった思いが火種にとどいてしゅわっと火花を散らすよう。
プリアンプを通ったようなカラっとした増幅感あるアコギが両側に定位して耳を包みます。まんなかを導くのはピアノの4分打ち。ずうんとベースの音色が深くドラムのタム回しはデッドです。吉田さんの歌が孤独にさまよい、要所でハーモニーのオーバーダブをまといますがそれも旅先でひととき邂逅しただけ、みたいな様相でずっとべたべたするでもありません。
間奏はぐらんぐらんとダイナミクスを揺らすオルガンがリード。歪みをたくさんまといます。ロータリースピーカーから出力したものをステレオに振り分けないで用いるとこんな感じになるのでしょうか。いつのまにかエレキギターが2拍目を強調するリズムを添えているのに気づきます。
1コーラス目よりも2コーラス目のほうが熱の総量が増して感じます。そもそもがじわじわと高まっていく構造をしているワンコーラスを2回重ね、その反復のなかでも階段をのぼっているみたいです。“明日になるといつもの様に 心を閉ざしている僕サ”と、結びがつく。ここからまた開いていくために閉じる必要があるのでしょう。
青沼詩郎
『どうしてこんなに悲しいんだろう』を収録した吉田拓郎のアルバム『人間なんて』(1971)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『どうしてこんなに悲しいんだろう(吉田拓郎の曲) はがれおちたままの木の葉【ピアノ弾き語り・寸評つき】』)