まえがき

Tokyo FMのラジオ番組『Blue Ocean』が『2秒でアガる!神曲ウィーク』として5日間に渡り多様なお題でリクエストを募りました(2023年6月12~16日)。

お題に対してとりとめなく曲を思いつくので、リクエストを絞るためにその楽曲を聴き返しますと改めて気づきや思いが立ち上がります。

このときのお題は「コラボ神曲」。

 

Paul McCartney & Stevie Wonder『Ebony and Ivory』

あえてのデモバージョン

デモ・バージョン。あえてこちらについての話から始めさせてください。余白にエレクトリック・ピアノのトーンがじわりと響きます。エレピと声のハーモニーのみで曲の骨子を素描。神妙でピュアな響きです。天国があるならこんな場所なのではないかと思わせます。信心深く、清らかです。

音域と表情に富んだオリジナルの完成したほうの音源を知っているからか、記憶の中の『Ebony And Ivory』からの振れ幅を持って曲の確かな器量の良さが伝わってきます。このデモが録れたところで、もろもろのプロジェクトが“イケる(勝った……!)”的な手ごたえを、私がこの曲のソングライターだったらば感じてしまうところです。

この曲の完成したトラックをもって、アルバム『Tug Of War』のラストが括られます。完成したほうのデュエット・トラックは有名かと思いますが、こちらのデモ・バージョンの発揮する含蓄のほうに私はむしろ斬新な感動を深く覚えます。未聴の方にはぜひ知って欲しいです。

音数を絞る余白が、リスナーのイマジネーションを豊かに映してくれる可能性を持つことを思い知ります。

両雄がコラボしたオリジナルバージョン

作詞・作曲:Paul McCartney。Paul McCartney & Stevie Wonderのシングル、Paul McCartneyのアルバム『Tug of War』(1982)に収録。ノン・クレジットですが実際はソングライティングも二人の共同だとか。(Wikipedia>タッグ・オブ・ウォー>楽曲

ポール・マッカートニーの世にも美しいデモ・バージョンに心を打たれたうえでこちらの本来の完成したフル・バージョンを聴いてみます。

楽器の響きを聴きたい趣味

私を深く感動させる、澄み渡る理想を映す絶世の美漂う神曲を前に、あえて批評的に感想させてもらえば、サウンドの質感に対する私の個人的な趣味とのギャップについてでしょうか。

ギター、ベース、ドラムス、ピアノといったベーシックなリズムを築く楽器の演奏を広くマルチにこなせる、ひとり多重録音が出来るシンガーソングライターの古今東西の最高峰に位置付けるにふさわしいポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーの両雄のコラボなのです。

ひどくわがままで勝手な願望を許してもらえば、私は、可能な限りトラックのすみずみに渡って、おふたりの奏でる声と「楽器そのものの音」が聴きたかった。ボーカルと生楽器と電気楽器のエアーの音(マイクを通した、空間に響いた楽器の音の収録)による二人の競演を聴いてみたかったのです。

シンセサイザーでしょうか、ストリングス風の音、ブラス、ホーン風の音、ちょっとエスニックな撥弦楽器をチョーキングを交えて演奏した風に聴こえる音など、電子楽器によって実在する楽器の音をイメージしたような質感が無駄に気になってしまいます。

私のこの感想は本当に「無駄」で個人的なものかもしれません。アレンジは緻密で、それぞれの音色がそれぞれの然るべき場面を適確に演出しています。

あわよくば、ブラス風の音なら本物のブラスで。ストリングス風の音なら本物のストリングスで。エスニックな撥弦楽器風の音なら、エスニックな撥弦楽器で。「それ風」でなく、それの音を、再現する音の元になっている楽器の生演奏で聴きたいと思ってしまいます。

もちろん、ストリングスやブラスなど、実在する楽器の音に似た特徴があると私が思うだけで、アーティスト側は、これらの電子楽器的な音を、代替の効かない固有の音として独自の価値を認めて用いているかもしれません。これはあくまでも私の趣味の話です。実際、「それ風の音色」すべてを、イメージの元となっている楽器の生演奏に単純に置き換えたからといって、かならずしも確かな手応えの作品が出来るとは限りません。

繰り返しますが、ポール・マッカートニーもスティーヴィー・ワンダーも、一人で全パートのアンサンブルを多重録音で成立させてしまうマルチ・プレイヤーです。スティーヴィーならクロマティック・ハーモニカの類稀なる表現力もあるでしょう。電子楽器の質感を排除して、自分たち二人で鳴らせる生の楽器の演奏の響きのみで、『Ebony And Ivory』の二人のコラボを成立させることだって、彼らの表現の辞書に含まれるはずです。

解の幅

私にヘンな願望を抱かせるのは、あのデモ音源なのでしょう。先にリンクした、エレクトリック・ピアノと共に最低限に重なった声のパート、その響きと余白の美しさ。あの方向性を二人でやってもらっても良かったかもしれないし(いや、あのデモ音源はあれで完成した最高のものだからあれ以上どうにもしなくて良い、とも思いつつ……)、もっと大きい編成にしたって、生の楽器の演奏のニュアンスや響きを活かす「もしも存在したなら」のアレンジを、聴いてみたくさせます。

それほどに、デモ・バージョンを聴いて、私は楽曲のアイデンティティが腹に落ちるのを感じました。なるほど、これは良い曲だ。このすばらしい発明品を得たソングライターなら誰でも、すばらしいコラボレーションの成立を確信するだろうと思うほどです。

その発明品(Ebony And Ivoryのデモ、プロット)を用いたスティーヴィーとポールによる最大の解が、フルサイズ版で一般に認知される、完成した『Ebony And Ivory』の姿なのでしょう。

華やかで多様なサウンドが適所で活躍するオリジナルの『Ebony And Ivory』には、協調や調和のメッセージをすべての人と共有するべく心を開いた態度を感じます。

一方のデモのほうには、もっと原始的な個人の願い、貴いものに直接問いかける、思想信条とのノイズレスな接続を思わせます。私が猛烈に惹かれる部分です。いってみれば、規模を最小にした最適解でしょうか。コンパクトでも成立するものなら、そのままで味わいたいと思うのです。お野菜とか、素材が良いとそのままでも美味いです(藪から野菜スティック)。

青沼詩郎

『Ebony and Ivory』を収録したを収録したPaul McCartneyのアルバム『Tug of War』(1982)