人の気持ちは「見える」もの?
目は口ほどにものをいうといいます。また、「顔に書いてある」という慣用表現があると思います。目で何かをいう以前に、表情に意思や気持ちが出るということのしるしでしょう。何か、意思や気持ちを口に出して言わなくても、その人の思っていることが観察できるということ。それほどに、表情は、人の意思を伝えるものです。
恋の機微となると、なかなか、表情だけで、二人のその恋に望むスタンスや未来への展望などがわかるとは言い難いでしょう。表情はその瞬間のものですが、「ふたりの関係」ともなると時間的に幅の広いものだからです。
どれくらい長く付き合っていたいか、そのざっくりとした展望でさえ、それぞれに違うこともあるでしょう。片方は「もうずっと付き合って結婚したい」とか思っているかと思えば、もう片方は「今とりあえず楽しくて良い影響を与え合える関係であればそれでいい」くらいに思っているという、「思い(想い)」のアンバランスなカップルは今この瞬間にも数多誕生しては破局もしているのではないかと思います。
そうした事実は悪いことではありません。ヒトは恋から学ぶからです。そんなじじくさいお説教みたいな一言でまとめられては、「恋」や「恋の当事者」は不服でしょう。「恋」のまっ最中の過去の私だってそんなじじくさいお説教を聞いた日には「フンッ!(耳を貸す価値なし)」と思うかもしれません。
そういうエネルギー、強い慣性をもっているがゆえに、個人個人の思いの食い違いによる摩擦熱やそのダメージも大きい。恋とは反動も大きいものです。
時がずっと経ってから、そういう多様な「恋」のひとつひとつを振り返ったときに、どんな気持ちになるんだろう。しんみりしてしまうのかな。あの時、相手はどう思っていたのか。こっちはこう思っていたのに伝えられなかったり、伝わらなかったりしたな……などと、複雑な思いを新たに抱き直すのでしょうか。
一瞬の表情にすべてが詰まっているとも思う一方、一瞬の表情の裏には連綿とした長く深い文脈が潜んでいることも同時に思わせる楽曲『駅』を聴いてみます。
曲についての概要など
作詞・作曲:竹内まりや。中森明菜のアルバム『CRIMSON』(1986)に収録。 竹内まりやのアルバム『REQUEST』(1987)にセルフカバーを収録。
中森明菜の『駅』を聴く
うろうろするような、居所のさだまらない和声感のオープニングは恋の不安定な感情の記憶の反映でしょうか。雑踏にかき消されてしまいそうな儚さがすごい。主に中森明菜さんの、吐息そのものみたいな繊細な歌唱の与える印象でしょう。他人の乗り合わせた電車の中で、人の迷惑にならないくらいの声量でそっっっっっと口ずさんでいて、歌っていることがばれることすらない……くらいに、オケに埋もれてしまいそうです。
オケはさまざまな色味のサウンドが華やかです。おのおのの都合を主張しあう、「他人の意思」がひしめくことで色合いが決まる都市の景観を映したようなサウンドです。チラチラと尾を引くようなエレクトリックピアノっぽいサウンド、すーっと糸をひくストリングス、ポンポンと短くつぶやくようなエレキギターのハーフミュートなトーン。ベースとドラムスはしっかししたサウンドです。
こうした音景……音の背景に、中森明菜さんの声がまさしく埋もれてしまいそう。
振り返る恋とは、そういうものなのだという真理を突いているような気もします。声のでかい人の主張にかき消されてしまう。己の都合を主張しまくる町の景色に埋もれてしまう。主人公の過去、恋の記憶なんてものは、うごめく都市、せせこましく騒がしい世相においては、些事とみなされ、いえ、些事とみなされることすらもなく流し去ってしまうような無情さに私はせつなくなります。
竹内まりやの『駅』を聴く
表情とは一瞬のものだとも思うのですが、その表情に至る深く長い背景、文脈が、ひとつひとつ語られる確かな言葉、モチーフ、シーンによって、ヒトの気持ちが、意思が高らかに代弁されて思えます。竹内まりやさんの確かな歌唱のすごみ、豊かさでしょう。
「私はこうだ、こう思うんだ」と直接的に叫ぶのでない。なのに、語られる語句、発語のひとつひとつが、主人公の経験した恋のいたみも悔みも、曲がったところもまっすぐなところもみな表現されているような見事さ。
ベースもドラムスもしっかりしています。右のほうでさわさわとささやくようなエレキギターのカッティングがさりげなくも巧い。ドラムスのフィルインのタムでうわっとサウンドに臨場感と広がりが出ます。ストリングスは終止感情により添います。ラテンパーカスはコンガでしょうか、明るいノリの音楽において活躍させやすそうなパートにも思えますが、こんなにシットリ降り注ぐような、抒情的な雨のような演出もできるのだと思うと価値観を覆される思いです。
エンデイングのラララのフェイクというのかスキャットというのか、恋の当時の記憶から時間を経て、現代のまちで「あなた」を見た言葉を超越した複雑な思いを表現するかのようです。フェイドアウトにしたがって遠くなるのですが、残響の深みもどんどん増して遠くなっていく。ただ音量を下げていくのみの処理ではない丁寧な演出がうかがえます。
思念と感情、それらを映すモチーフ、情景の解像度の高さから、歌唱の表現の底力といいますか、竹内まりやさんという表現者の凄みが遺憾なく発揮されたセルフカバーに感服です。
うつむいた顔の語るものは
“見覚えのある レインコート 黄昏の駅で 胸が震えた はやい足どり まぎれもなく 昔愛してた あの人なのね”
(『駅』より、作詞:竹内まりや)
記憶の中で、私の価値観を情勢する大きな手綱になっている恋の当事者、あなたの今の姿を見た衝撃を淡々と語る、平静なのに雄弁な名フレーズではないでしょうか。
レインコートは、ふだん着とちがって雨のときしかつかいません。長持ちして、ずっと前のものがずっと現役でいることも考えやすいアイテムでしょう。また、雨で視認性が下がるなかでも安全に行動しやすいように、特徴的な柄や、強い色味のものも多いでしょう。レインコートを、ひとめ見て記憶とつながるアイテムとしてチョイスしたソングライティング上の演出のうまさときたらピカイチです。
“ひとつ隣の車輌に乗り うつむく横顔 見ていたら 思わず涙 あふれてきそう 今になって あなたの気持ち 初めてわかるの 痛いほど 私だけ 愛してたことも”
(『駅』より、作詞:竹内まりや)
どういう気持ちなのかなと、当事者のふたりの思いを想像しておや、ととまどったことがひとつあります。“私だけ 愛してたことも”のラインです。
最初、主人公からあなたへの想いばかりが強い恋愛だったのかなと私はとらえてしまったのです。それで、想いの強さのバランスが悪く、ふたりの恋はやがてうまくいかなくなったのかなと。だとしたら、今の主人公の、現代の街であなたを見たこの瞬間の気持ちとか、うつむくあなたの横顔から想像しうるあなたの気持ちやそれをみた主人公の気持ちって、どんなものなのだろうと。少し、当事者でもなんでもない私には複雑に思えました。
“私だけ 愛してたことも”のとらえ方を、私は少し取り違えていたようです。「あなた」のほうが、主人公のことを、主人公だけのことを強く愛していたのですね。もちろん、主人公のほうも、そのあなたの想いに見合うくらいに強く想っていたのかもしれません。
とにかく、主人公だけに対象を絞る、強くまっすぐな愛をあなたは主人公に対して寄せていたのがうかがえるのです。
その愛を寄せた当事者がいま、現代の街で、うつむく横顔を主人公に対して見せている。見せている意思で見せているというより、主人公がそれを発見したのですね。この矢印の向き、一瞬の都市のすれ違いのドラマを淡々と描く言葉の連なりがもう見事というほかありません。数分間のポップソングに2時間ないし連続シリーズの長尺ドラマのような長い文脈を表現しきっている。あなたは魔法の脚本家か何かなのですか?! もう頭が下がって二度と上がらない思いです、私は。
見られている意識のない、油断の瞬間。そこには、地のその人自身が出ます。一日の行動に疲れて、気を抜いていたのかな。その程度のことでしかなく、今のあなたも、主人公のほうも、それぞれ幸せなのかもしれません。それぞれに、強い後悔を抱いたまま、長い時間をすれ違って経つづけている……ということもないのかもしれない。ただ、今は今なりに、元気で幸せだよと。心のなかで唱えることのみがかない、二人は、都市でそのまますれ違って、暮らし続けていくのかもしれない。
なんだか、映画の『バタフライ・エフェクト』を思い出しました。すれ違うハッピーエンドです。
“ラッシュの人波にのまれて 消えてゆく 後ろ姿が やけに哀しく 心に残る 改札口を出る頃には 雨もやみかけた この街に ありふれた夜がやって来る”
(『駅』より、作詞:竹内まりや)
後ろ姿がやけに哀しく感じるのは、主人公の主観でしょう。あなたの背中が主人公にそう見えたとしても、実際にその時のあなたの心のうちが哀しいかどうかは“あなた”のみぞ知るはずです。主人公に哀しい後ろ姿だと感じさせるのは、ふたりの間で共有されるなんらかの記憶が原因でしょう。同じ時間を共有した記憶すらも、持ち主によってその感じ方はさまざまです。果たして“あなた”のほうはあの頃の記憶を今どう思っているのか……それを話し合って交換する機会は、この瞬間ではないようです。
“あなた”と主人公が、今、現代のこの瞬間も関係を続けて、一緒にいる仲でいる未来が現実のものとなっていたならば、雨あがりの街にやってくる夜は“ありふれた夜”でなく、特別なものだったのでしょうか? あなたといる、居続ける未来があったとしても、それはそれでやっぱり“ありふれた夜”になってしまうでしょう。
ありふれた夜を迎えることが悪いなんて言いません。それを誰と迎えるのか。その相手があなたでなかったことに、一抹の哀しみを覚えることなんて、あなたの今の姿をたまたま目撃することさえなければなかったかもしれない。
その哀しみこそが、あなたと主人公の共有する特別な財産なのかもしれません。共有といいつつも、それぞれに未知で、違った姿・形・価値をもつ特別な財産です。その財産こそが、成立しなかった数多の未来と比べて現在の未来……すなわち現実の価値・ありがたさを教えてくれるはずです。この夜ばかりは、“ありふれた夜”もいつもより特別に感じられるかもしれません。一方的にあなたを目撃したであろう、主人公のもとだけに訪れる特別な夜です。
青沼詩郎
『駅』を収録した中森明菜のアルバム『CRIMSON』(1986)
『駅』を収録した竹内まりやのアルバム『REQUEST』(オリジナル発売年:1987)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『駅(中森明菜の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)