細野晴臣『フニクリ、フニクラ』を聴く

32ビートのハイハット、シンセ・ベース。細野晴臣に対して「YMOを感じる」はあまりにアホなコメントかもしれませんが通ずるものを感じます。その時期の本人が含まれているユニットなのですから当然でしょうか。

細野晴臣のボーカルにある種の「冷たさ」を感じるのはなぜでしょう。感情を排しているように聴こえるのです。声質は暖かいのに不思議です。

シンセサイザーやらサンプル音? の類がわっちゃか。ストリングス、ブラス、ティンパニ……オルガンや鳥の声(チュンチュン、チュリチュリ……)を思わせる音、エア・リードっぽい音……ぜんぶサンプルやシンセでしょうか。

1サビのお尻でリズム以外がパっと消える“フニクリ・フニクラ”の歌い終わりに注意していると、2コーラス目のサビのお尻、今度は“フニクリ・フニクラ”を壊れてしまったレコードみたいに延々と繰り返します。

最後のコーラスは自分の声による「ん〜〜」「フニクリフニクラ」といった発声をサンプルした素材を強拍にドンと置いたり切り刻み乱れ打ち、高速スクラブ再生したかのよう。生のボーカルが機械じみます。細野晴臣の歌唱のキャラクタ、声の質と相まって非常な環境:地獄の釜を眺めている気分。

火の山の雄々しさを感じるのは「ジャーン」「デンデン(ティンパニ)」と鳴る派手な音づくりによる印象のせいでしょうか。人工的なシンセのサウンドがフェイク……自然をイミテーションしています。メインボーカルのダブリングも超自然です(「めっちゃ自然」ではなく、自然を超えているの意)。

小鳩くるみ,東京混声合唱団『フニクリ・フニクラ』を聴く

イントロの歌詞外の歌詞? はなんと言っているのでしょうか。ジャンボ? ヤンボ? ポッポヤンボヤ? あまり意味はないのでしょうかね。左から女声、右から男声コーラスがきこえます。

まんなかから現れる小鳩くるみの頭声っぽいボーカル。呼びかけ、両側からコーラスがレスポンスします。

タッカタッカ……とリズムを刻み軽快なグルーヴを出すスネア。ベースはウォーキング風? 拍頭に打点で緊迫を持続させます。

フルートとグロッケンがユニゾンするカウンター。左のほうでアコーディオンのような音色もダイナミクスに幅を与え、表情を演じ分けます。

サビの“行こう 行こう”は“こ”にアタマを合わせています。こちらのほうがオリジナルのリズムなのでしょうか。日本で子供の歌として知られているアレンジは“いっこう いっこう”といった具合に“い”に拍の頭が合う歌い方ではないでしょうか。“行(い)”が前にはみ出すと、スパーンと飛んでいく力を得たかのようです。“い”に頭があるアレンジだと、喩えていえば、安定した箱の中でわっちゃか揺すられて楽しい雰囲気。

Luciano Pavarotti 『Funiculì, funiculà』を聴く

“ヤンボ!” といったコーラスはこちらのアレンジにもみられます。パヴァロッティさん、※イタリア語でしょうか。

管弦楽が伴奏の本体。流れるような木管楽器の上下行のスラー。恒常の波のようです。ハープのグリッサンドが彩ります。3連符でトランペットがパパパ……と小気味良いリズムを刻みます。ティンパニも入って壮麗。最後のボーカルの跳躍は第3音まで上に飛んで行きます。

言葉(言語)の小話

パヴァロッティさんの歌った言語は※ナポリ語だそう。こちらに曲の概要についてもわかりやすく書かれています。MUSICA CLASSICA>ホーム>歌詞解説>『フニクリ・フニクラ(Funiculì funiculà)』の解説(歌詞・対訳):デンツァ

ナポリ語はいまも話されている言語だそうです。イタリア語といかに違うかは、ナポリ語の映画をイタリア人がイタリア語字幕を追って鑑賞していたというこちらの記事の執筆者の体験談が物語っています。たびこふれ>ヨーロッパ>イタリア 安易に日本国内の標準語と方言にたとえるのは控えますが、似て非なるものなのでしょうね。親族のような関係ではあると思うのですが。標準イタリア語とは文法上の差異もあるとのことです。Wikipedia>ナポリ語

Jammo(「ヤンボ」と聴こえる?)は「行こう」の意味のようです。サビの頭で、日本語歌詞でも「行こう」とそのまま訳されているのですね。

つまり小鳩くるみさんらがパフォーマンスし録音に残したものは、イントロでナポリ語のコーラスを用い、本編は日本語詞を用いたものということになります。言語チャンポンアレンジだったのですね。

曲の名義、概要、背景など

日本語詞:青木爽・清野協、原詞:Giuseppe “Peppino” Turco、作曲:Luigi Denza。 1880年にヴェズヴィアナ鋼索線(Funicolare Vesuviana)の周知・宣伝のために作曲・発表されました。

作曲者のデンツァさんはロンドン王立音楽アカデミーの教官。作詞のジュゼッペ・トゥルコさんはナポリのジャーナリスト。彼をソングライターとする紹介もあるようです。運営元からなのかスポサンーからなのかわかりませんが、依頼によって作られた曲で世界最古のコマーシャル・メッセージ・ソングと呼ぶ人もいるようです。

ヴェズヴィアナ鋼索線はケーブルカーだったそうです。Vesuviusは火山。1944年に噴火していてケーブルカーをダメにしています。サン・セバスティアーノという村を埋没させた噴火だったそうです。1947年に復旧するも、1953年にケーブルカーをリフトに変えました。1955年に、標高1000メートルの駐車場へ至る道路を開通させます。お客さんやお金を多くまわすのは、リフトよりもむしろ道路のほうだったとか。1984年にはリフトも廃止。

日本語詞

“赤い火をふくあの山へ登ろう そこは地獄のかまの中のぞこう 登山電車ができたのでだれでも登れる 流れる煙は招くよみんなを 行こう 行こう 火の山へ 行こう 行こう 山の上 フニクリ フニクラ フニクリ フニクラ だれも乗る フニクリ フニクラ”(『フニクリ・フニクラ』より、日本語詞:青木爽・清野協)

噴火している山に登るのは自殺行為に思えます。何もいまこの瞬間噴火している山に登ろうぜと誘っているわけではないと思うのですが、現に1944年に噴火しています。実はアブナイ観光だった……のでしょうか……? 地獄のかまの中と表現されるような場所を安全に覗くことはできるのでしょうか。ものの喩えでしょうかね。おおげさめに言っているのか。

冒険心をくすぐる神秘の(デンジャラス)スポットに、ケーブルカーができたおかげで誰でもアクセスできるようになった! と歌の中でうったえる日本語詞です。直球の売り込みソングですね。

流れる煙に招かれてみんなは行く……アブナイ火山ガスじゃないか心配になります。一体どこへ招くおつもりでしょうか。あの世じゃないよね? “行こう 行こう” が「逝こう 逝こう」になってしまいます。悪いご冗談を……(私か)。

フニクリ・フニクラはフニコラーレ(登山鉄道)をかわいく言った表現のようです。愛称といったところでしょうか。このフニクリフニクラが呪文のようです。

“だれも乗るフニクリフニクラ”とありますがそう、誰もがいつしかあの世へ逝くものです(まだ言うか)。

“暗い夜空にあかあかと見えるよ あれは火の山 ヴェスヴィアス 火の山 登山電車が降りてくるふもとへ 燃える炎は空にはえ 輝く 行こう 行こう 火の山へ 行こう 行こう 山の上 フニクリ フニクラ フニクリ フニクラ だれも乗る フニクリ フニクラ”(『フニクリ・フニクラ』より、日本語詞:青木爽・清野協)

あたりを暗くし夜に映える火山を描きました。昼間でもあかあかと見えることでしょうが、夜ともなればなおさら映えるでしょうね。深い闇の色に目を刺す赤、でしょうか。固有名詞、ヴェスヴィアスを出しました。これで場所が特定できます。イタリアの人なら言われなくともわかる……?

1番では「登る」を表現しましたが、2番では「降りる」と逆のイメージを誘います。「ふもと」という単語もつかっています。頂上(点)へ向かう1番に対し、カメラをズームアウトしてより広い範囲(面)を描いた2番。火口で煮えたぎる溶岩の光は空にまとどくのでしょうか。見てみたいですね……あ、CMソングの意中だ。

ナポリ語の歌詞

先にもリンクしたこちらが参考になりました。原語の歌詞ではわりと「ふたりの物語」「ラブソング」風のもっていきかたをしているようです。愛や情熱の温度と火の山の熱さが直喩に思えますね。ナポリ語で「結婚して」の意味の単語「Sposammo」も歌詞に含まれているようです。本当のところの結婚を意味するのか、比喩なのか。

またこちらのサイト(『梅丘歌曲会館 詩と音楽』)にもフニクリ・フニクラの対訳があります。こちらでは、ケーブルカーに乗るので歩かずに頂上まで行ける旨が訳に表現されています。曲をラブソングと評しているのもうなずけるところかもしれません。

さまざまなサイトにさまざまな方が意味、解釈を書いています。どんなニュアンスがいちばん作者たちの意図したところや、ナポリ語を理解する人たちが受け取る意味に近いのか。自分自身で原語を習得しないことには、本当の理解は遠そうです。というかそもそも歌詞って人によって受け取り方がまるで違うのは、すでにジャパニーズ・ポップスを例にしても私が実感していること。

いずれにせよ、主人公がいて、主人公にとっての「あなた」がいて、火の山があって、頂上のほうへ行ける登山電車がある……という大筋には違いなさそうです。

メロディ、作曲のこと

フニクリ・フニクラ 出だしのメロディ 譜例(in C)。

歌い出しは4度跳躍。火の山の標高をおもわせます。順次下行したと思ったら小刻みに跳んだり上行したりもしつつ下の主音(ⅰ)まで下がって着地。まるでケーブルカーがゴトゴトいいながら乗客をふもとまで運ぶみたいな音形です。♪ミレードドー(in C)をコーラス隊がレスポンス。ひとりで歌うなら自分で返してもいいかもですね。細野晴臣さんのアレンジはそれに近いかもしれません。

私がとっても気になるのが、フレーズの音形にみる拍のまとまりかた。何回も数え直しました。歌い出しから3拍+2拍×2timesで分けると私としてはすっきり数えられるのですが、いかがでしょうか。9小節のまとまりを成しており、すっきりしないというか、トリッキーな「ハズし感」は奇数小節フレーズだからか? YouTubeでいくつかの指揮者と楽団の演奏を見ましたが、指揮者は普通に2拍子の跳ね上げで振っているようです。作曲者のデンツァさんが書いた一次資料なども普通に2拍子でしょうか。興味あるところです。ドアタマから2拍とちょっとを朗々と伸ばす音形は歌手の目立つところです。

主調で9小節フレーズを2回しした後はⅢmに転調したようになります。同音連打を小刻みにつかいつつ、4度下行跳躍で足場を確保。

Ⅲm調でモチーフを扱ったあとは、Ⅴ調です。直前のⅢm調のフレーズ尻から、6度上行して高くポジションを取り直します。ここは、ケーブルカーに乗ってたら歩かずに一気に頂上近くに着いちゃった! みたいな転移(ワープ)感。

サビ……といっていいのか、一番盛り上がるところ。

冒頭7小節は主調における属和音でひっぱっているような感じもします。Ⅴ調でこまかくカデンツを重ねたリハーモナイズド(コードで言うとG→D、G→D、とか……)も成立しそうです。「シーラ、シーラ」の「ラ」をどうとらえるかです。シに解決する非和声音なのか。「シーラ、シーラ、ドシラドシー」と、和声音「シ」を中心にうろうろする音形。

サビ8小節目、主調Ⅰに忙しく解決。そのままⅢm→Ⅵm→ⅥmのⅤ→Ⅵm(私調べ)とまさしく起承転結の「転」のような響きの展望。どうなるの〜と振り回しつつⅥmで一度トメ!(「フニクラ〜」の「ラ〜」のところ)  この間、メロディは怒涛の同音連打です。転々と変わる和音、同じポジションにとどまるメロディ。性格の違いでお互いを引き立て合っています。

同音連打の「フニクラ」の最後がボンと6度跳躍しています。Ⅵmの第3音なので終止感は薄く、しかしやや長い音価によって「結」を迎える心の準備がここで整います。

「フニク」「フニク」と、それぞれ4音節持った単語(?)のおしり(4音節目)を強拍にあてているのも巧妙。ズレたような、半端で不安定な印象のまま聴衆をケーブルカーで揺するかのよう。作詞・作曲家とスポンサー・運営陣らの術中でしょうか。

最後の4小節では「レドラド・ソミミファ・ソファミレ・ド」と主音に着地。Ⅳ→Ⅰ/Ⅴ→Ⅴ→Ⅰときれいなカデンツ。Ⅳをここぞで用いています。ほかではほとんど出てきません。

はじめのコーラスは下行形で着地していますが、最後のコーラスではパヴァロッティさんは主音の3度上までぶっとんでいましたね。小鳩くるみさんなどほかの演奏例では第3音ではなく主音(1コーラス目のオクターブ上)に解決するものがほとんどでしょうか。

曲の気になるところまとめ

・呪文みたいで可愛い「フニクリフニクラ」は登山電車「フニコラーレ」の愛称。

・変拍子っぽく聴こえる、小節線を無視したようなトリッキーなモチーフの割り付け、奇数小節フレーズ。

・ⅢmやⅤへの部分的な転調。

・サビ後半の転々とした和音進行と怒涛の同音連打「フニクリフニクラ」。

登山鉄道の広報・宣伝の機能を満たし、主人公に想定上の相手役を配したアツいラブソングにもなっています。和音や調の進行にも起伏があり、音形もゆたか。ケーブルカーに乗った火山観光の冒険心をあおる秀でたCMソングです。たくさん演奏され録音されているので聴き比べも楽しいですね。

田中星児『おにのパンツ』を聴く

フルートとグロッケンのコンビ、ストリングスの合いの手。ピアノのウンチャウンチャ……というウラうち。ハンドクラップが鼓舞します。気合い入りますね。コーラスはまさかの「パンツパンツパンツパンツ……」。

“よわいパンツ”にもほどがあるでしょうが5分でやぶけるパンツって……金魚すくいの「ポイ」(取手のついた輪っかにうすい紙の膜を張ったアレです)くらいよわいです。それでも「履こう」なのですね。ダメなパンツはそぉ〜っと履くんですね。やぶから棒に「君のパンツはダメパンツ」と言われます。ええ?! 戸惑います。

強いほうのパンツにもほどがあると思いますが10年使用に耐えるパンツはすごい。いくらで売れば製造者や販売者は割に合うでしょうか。誰も消耗しないので新しいパンツが売れないのでは。余計な心配でしょうか。おにのパンツは売り物じゃないのかもしれません。100年はいても破れないパンツはもはやファンタジー。ロールプレイングゲームだったら主人公らの最終装備レベルではないでしょうか。鬼気迫る戦いができそうです。急所は俺にまかせろ!……とパンツが言っています。

『おにのパンツ』は作詞者不詳?

『おにのパンツ』は田中星児の歌唱の発表が1975年。発表とはテレビでしょうか? 彼の歌唱による、曲のシングルが1980年。

JASRACに作詞者:不詳で届けられています。田中星児が作詞者という説があります。だとしたらなぜ不詳で届けたのでしょう。翻案権を得なかったとか、権利対策でしょうか。原曲の作詞者のトゥルコさんは1903年に没しているようです。田中星児が歌をはじめて発表した時点でパブリック・ドメインだったのでは?

デンツァのほうが1922年没のようですので、作詞者と作曲者で不可分の権利が何かあったのでしょうか。当時の日本の著作権保護期間は死後50年間のはず。田中星児の発表が1975年だったら、トゥルコよりあとに亡くなったデンツァでさえ1922年没ですから、50年経過しています。イタリアは日本とは違う法律だったのかもしれません。

あるいは、田中星児以外のアイディアがある程度の分量注がれており、そのアイディアの持ち主が誰なのかわからない、あるいは特定できない、アイディアの持ち主が集団やコミュニティにまたがっており複雑……などの可能性も考えましたが、真実はいかがなものでしょうか。

フニクリ・フニクラの内容と関係がない

フニクリ・フニクラのどこをどう見ても「おにのパンツ」のアイディアやモチーフはありません。……いえ、それは言い過ぎか。「存在しないこと」の証明は宇宙一ムズカシイといいます。火山のドッカーンという赤々とした危険なイメージと、コワくて力強くてデカい鬼のイメージは直結するじゃないか! と言われればそれもそう。

ノリが良く親しみやすいメロディやリズムを持ったフニクリ・フニクラは「おにのパンツ」ですら許す器の大きい曲なのでしょう。からあげ粉とか「ハワイアンズ」のCMソングで替え歌されていた記憶もあります。

青沼詩郎

『Funiculì, funiculà』を収録した『Pavarotti Forever』(2007)。

『フニクリ、フニクラ』を収録した細野晴臣のアルバム『フィルハーモニー』(1982)

小鳩くるみ,東京混声合唱団の『フニクリ・フニクラ』を収録した『〈COLEZO!〉世界の愛唱歌ベスト~ローレライ サンタ・ルチア』(1991)。

『おにのパンツ』を収録した2枚組ベスト『<COLEZO!TWIN>田中星児』(2005)。

ご笑覧ください 拙演