リスニング・メモ

打ち込みの4つ打ちビート。シェーカー、ラテン・パーカッション、ハイハットがチキチキいう16ビートに乗って、ピアノトーンがシックスティーン移勢リズム。感情に有無を言わさんばかりに降り注ぎます。歌謡の匂いまとうシンセ風トーンのイントロメロディも16ビートで異なるリズムです。ストロークのピアノは弱起の移勢リズムですが、旋律のシンセトーンは強起の移勢リズム。波状にたたみかけ、聴き手を曲想に没入させます。

ベースもジュンジュンとにじむような沁みるようなトーン。正確無比に運ぶシックスティーンのリズム。

ストリングスが高鳴り、感情をあおります。クラシック・ギター風のクリーンなトーンがオブリガードし、メランコリックな響きを添えます。間奏のシンセやストリングスとのかけあいが流麗です。

エレキ・ギターもときおり「チャカッ」とワウがかったクランチサウンドのカッティングが左側に聴こえます。さりげなく、達者な脇役です。

メインボーカルはAメロを8小節ごとに堂本剛・堂本光一で歌い分け、Bメロとサビはユニゾン。一糸乱れず一本の道を同調してトレースするKinKi Kidsの歌。2人の声質には違いがあるのですがこの協和の神秘はなんでしょう。

ニュアンスを統一するように、子音のスピード感、息の量、サスティンの聴かせ方などを揃える訓練やリハーサルを重ねたのでしょうか。また、デビューに至るまでのお二人のパートナーシップがどのようなものだったのか興味がわきます。

声の魅力が出やすい音域、その頂点が似ているのかもしれません。2人の声域の違いについて私の観察は及んでいないので、このあたりも興味のあるところです。

『硝子の少年』作者について

作詞:松本隆。はっぴいえんどでの唯一無二にして息の長い存在感、バンド活動以後数多の歌い手への詞の提供で、この国のポップスのあゆみを知るほどに彼の重要さを思い知ります。

作曲・編曲:山下達郎。毎年そのシーズンになるたびに『クリスマス・イブ』で氏の歌を耳にするのは、私以外の国民にも広く及ぶ普遍です。

はっぴいえんどで松本隆とともに活動した大滝詠一と、特にキャリアの初めの時期の山下達郎の関係はナイアガラ・トライアングルなどの関連で私の知るところです。改めてこの松本隆・山下達郎という組み合わせをジャニーズ発のお二人、KinKi Kidsのデビュー曲に抜擢したところに鮮烈さを覚えます。

曲について、感想 儚さと大衆性

1997年のKinKi Kidsのデビュー曲。シングル(1997)、アルバム『B album』(1998)などに収録されています。

儚さを纏ったメロディと歌詞は、(当然ですが)作者たちの意図がよく表現されたものだったようです。ジャニーズ、さらにはポピュラー音楽の歴史を踏まえた王道を目指したともいいます。

作曲意図のとおりといいますか、この曲は特定の時代を私に想起させる、いわば歌謡曲としての特徴を感じさせる一方、聴く人や時代を選ばない恒久性を備えています。こういうものを目指せば、劣化しない。時代の姿に左右されず、いついかなるところでも、人間の営みの本質に沿い、聴き手に響く。作者らの狙いに誠実な努力と創造が、映像を反映し、透過しもする、曲のタイトルのとおり硝子のような硬質さと儚さと大衆性を備えた作品を実現したのかもしれません。

いつの時代にも、少年はいます。かつて少年だった人の中にも、外にも。性別さえ超えて、どんな人の中にもいる、「少年の顔をした私」。『硝子の少年』は、誰しもが胸に棲まわせている少年の顔をした人格を、聴く人に自覚させます。輝き、透き通り、光を当てる角度によって多彩な反映をみせる。硝子に囲まれてもいるし、硝子を胸に秘めて、私は今日もここにいる。そんな自覚をくれます。少年の顔は、青。

青沼詩郎

Johnny’s net > KinKi Kids(ジャニーズのKinKi Kids ページへのリンク)

『硝子の少年』を収録した『KinKi Single Selection』(2000)

『硝子の少年』を収録したKinKi Kids『B album』(1998)

KinKi Kidsのシングル『硝子の少年』(1997)

初回限定盤のみのボーナス・ディスクに山下達郎が歌った『硝子の少年』を収録した『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』

ご笑覧ください 拙演