地域や郷土を思わせるアイコンとして、童謡や唱歌、日本の歌が使われることがある。『浜千鳥』もそんな曲のひとつで、最近、ある映像のBGMとして耳にすることがあったので私の意識の表に出てきた。
童謡として広く知られる『浜千鳥』。私は、音大受験を視野に声楽を学んでいた頃に出会った。童謡というよりは日本歌曲として扱い、レッスンで歌った。その頃の私には、この曲のテンポや歌の性格が、ユッタリモッタリとし過ぎて感じられた。
歌詞に描かれた情景。拍子やテンポなど、音楽的な要素にみる曲のキャラクター。そうした点で似ている日本の歌に、『浜辺の歌』がある。タイトルに含まれた「浜」の字も共通している。
あるとき、私はこのふたつを間違って結びつけた。『浜辺の歌』のメロディを思い浮かべながら、それを『浜千鳥』という名前で間違って表現したことがあった。表現してしまってから、あれの正しい名前は『浜辺の歌』であって、『浜千鳥』は異曲だったと気付いたのである。それ以降は、このふたつの曲を取り違えたことはない。だけど、他のことで私はしばしば「わかっているつもり」で堂々と何かを間違える。
『浜千鳥』は川崎市の夕焼けチャイムとして使われているそうだ。伴奏がなくて、ぽつねんとした単旋律の音が虚空に響く想像をする。むなしい。こわさもある。音色の無感情さがそうした印象を私に与えるのか。一方で、夕焼けチャイムは親しみや故郷を思う心の象徴でもある。いろんな想像を私にさせる。
『浜千鳥』の作詞者は鹿島鳴秋。彼には娘がいたそうだ。療養するも、彼女は亡くなってしまう。『浜千鳥』は彼女を偲んで書いたともいう。療養のために訪れ、さらには彼と家族の移住先にもなった土地が千葉県の南房総市和田町で、そこには『浜千鳥』の歌碑がある。一度訪れてみたい。
弘田龍太郎の作曲で『浜千鳥』は1920年に発表された。『少女号』という雑誌だった。
童謡文化の発端としてその名が挙がることが多いのが『赤い鳥』だろう。1918年に創刊し、数々の童謡や童話を掲載した。『浜千鳥』発表の場となった『少女号』の創刊は1916年で、こちらの方が古い。どちらの創刊が先にせよ、大正のこの時期に、童謡を雑誌で発表するというスタイル(様式)があったのだ。これが、いまの私につづく童謡文化の発端といえるのだろう。(参考にしたサイト d-score へのリンク)
歌詞に出てくる「親をさがして鳴く鳥」。作詞者エピソードを知ると、亡くなった娘さんを自ずと重ねてしまう。それを作詞者自身が意図したかどうか私は知らない。そうでないにしても、ある事実を経たその人の表現には、それ相応の積層がどことなく映り込む。その厚みが表現を支える。遠景、奥行きを醸す。それは鑑賞する者の知識や感性によって認知できる。
今日、私は『浜千鳥』を改めて知った。若かった日の私の知る『浜千鳥』と同一にして、別ものである。同一の作が、さまざまに姿を変えて私の前に現れる。歌に描かれた浜辺の鳥も、誰かの生まれかわりかもしれない。
青沼詩郎
さだまさしによる好演。『浜千鳥』も『浜辺の歌』も入った唱歌・童謡アルバム。