先日このブログで朝鮮民謡の『竹田の子守唄』を味わった。

多くの歌い手の唇を通ってきた唄だけど、数ある演奏のなかでも際立って魅力的なカバーをしたのが一青窈。彼女のカバーアルバム『歌窈曲』(2012)に収録されている。

そんな一青窈の代表曲といえばこれだろう。

ハナミズキ』(こちらは合唱の入った新しいバージョンだ)。

意外だったのが、この曲のうまれた動機に2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件があるということ。彼女の友人がニューヨークにいて、メールを交わしたのをきっかけに詞を書いたという。

どのような内容のやりとりなのかまでは不明。現地で過ごしていた友人は、不安や恐怖や絶望でいっぱいだっただろうか? 毎日身の危険に怯えただろうか? 亡くなった人、怪我をした人。仮に自分自身がそうでなくとも、その影響は? 私には量り知れない。

その年、私は夜のテレビドラマを見ていたら急に臨時ニュースに切り替わった。飛行機がビルに突っ込む映像を繰り返し見た気がする。当時私は中学生だった。ボンヤリしたやる気のない野球部員で、エレキギターをかじった釣り好きの中学生だった。

ハナミズキというもの

ハナミズキは英語でdogwoodというそうだ。

楽曲名は一青窈が学生時代に訪れたという二子玉川の商業施設にちなむという(Wikipedia)。

曲のうまれた背景にあるという同時多発テロ事件はともかく、そのタイトルは『ハナミズキ』。私の住む関東では4〜5月頃に街路樹のハナミズキが咲いているのを見られる。

ハナミズキについて興味深いと思った話。原産は北アメリカとのこと。1912年に東京市長がアメリカ合衆国ワシントンD.C.にソメイヨシノを贈った。その返礼として1915年に贈られたのがハナミズキだったという。

このことから、私はハナミズキに「尽くしあうこと」「何かをしてあげること。してもらったら、それに応えること」というイメージを抱く。

一青窈『ハナミズキ』に私は、「献身」の印象を抱く。無償で何かしてあげる、相手に尽くす態度。

この歌を投げられた私は、どんな反応をし、なんの行動を起こすのか。一青窈から私に、あなたに、あらゆるリスナー、ミュージシャン、老若男女一般に贈られた祈りのようなもの。

良くも悪くも、音楽と祈りは似ている。祈りは音楽に説得力を与える。音楽は祈るきっかけになる。祈りのために音楽を利用するのも、音楽のために祈りを利用するのも私は嫌だ。ただ、それでも、音楽と祈りは似ている。そのことをただ受け入れる。嫌な自分も好きのうち。好きな自分も嫌のうち。受け入れるのみなのだ。

悲しいことがあったとき、心や体に傷を負ったとき、不安や焦燥でたまらないとき。身近な誰かが、自分から直接の支援や影響が届かないくらい遠くに行ったとき。あるいは、自分がそうなったとき。そのとき、私やあなたは祈るしかない。

じたばたしてもしょうがないことが多い。私にできることは少ない。ほとんどの場合、そう。

音楽は不要不急か? 食ったり寝たり着たり住んだりすることにくらべれば、生命の維持への影響が少ない。その尺度で不要不急という形容も私は許す。許すが私には必要だ。何がいつどれだけ必要かは、人による。

僕の我慢

僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと止まりますように(『ハナミズキ』より、作詞:一青窈、作曲:マシコタツロウ)

この世のものはだいたい「波」か「粒」だという。ここでは「波」の話をしよう。並(未満)の話だから期待しないように。

人間の気分には上がり下がりがある。ずっと平坦だったら死んでいるみたいなものだ。

平坦に限りなく近くても、クローズアップすればちゃんと上下しているはずである。小さい大きいはあれど、「我慢」があれば「解放」がある。緊張と弛緩だ。

「努力すれば報われる」と今までに何度聞いただろう。誰が言っているのか知らないが、その発言に高圧的な態度を見出す視点がある。努力しないと報われないのか? 努力すれば必ずしも報われるのか? 仮にそれはそうだとしても、我慢が美しいみたいな物言いは危ういのでは? という意見が立つ。それも確かにと思う。

花を咲かせるまで我慢を続けて、限られた瞬間だけ華々しい見た目で人々の視線を集めるが、たちまちはかなく散っていく…と、誰もがそうである必要などない。常緑樹みたいにずっと景観の中にあって、あまり変化せず、いつもスルーされる…そういう存在が支えるものも大きいだろう。

その波動は平坦に見えるかもしれないが、それはものさしの目が粗すぎるのだ。もちろん、ものさしが細かすぎるとしんどいこともある。

むすびに

メロディがいいとかコードがいいとか細かいところにいくらでも目の付け所がある。だけどこの曲の好きなところはそれ以上のところにある。呼んでもいないのに思考の波をいざなうところだ。そういう名曲は確かに他にもあるが、決して多くはない。良い曲・悪い曲と差別するつもりもないが、背景に埋もれることで、私の好きなものを意識の表層に支えてくれる存在がある。好きなものを好きでいさせてくれる。

今日も私は祈っている。たぶん、歌うみたいに。いや、祈るみたいに歌っている……かな? 音楽に届けるための音楽をやっているつもり。この感覚、おわかりいただける?

青沼詩郎

一青窈 公式サイトへのリンク

Biography>Messageに彼女らしい言葉。ぜひ読んでみてください。

『ハナミズキ』を収録した一青窈のアルバム『一青想』(2004)

ご笑覧ください 拙演

2020年11月に公開した一青窈『かたつむり』は作詞:本人、作曲:松任谷由実。