MV
ガラスってこんな風に丸く割れもするのですね(特別なガラスなんだそう)。ベーシストの頭についている診療器具のようなものが気になります。ピック弾きでベリベリいうサウンド。血を思わす赤い液体。画面のほうに視線をやりながら歌う椎名林檎が挑発するようで心を掻きむしります。
普通なら「手術中」とか「非常口」とかのランプであろうところ、赤地に白抜きの「本能」の文字が光る照明。ベッドの女性をはだけさせ舐め……見てはいけないものを見ている気分になります。目を覆うフリをば…。カメラがひいてスタジオのセットが画面におさまり、ガラスを持って支えたり清掃したりするモブキャストらはオペ着。こんな薄緑色のオペ着は実際の医療の現場にはあるのでしょうか。
エンディング付近、モブキャストが持つ、割れ残ったガラスの端くれに無慈悲なハイキックの追撃。あのガラス持ちのキャストが自分だったらと思うとヒヤヒヤです。最後の最後に、わずかにモブキャストに歩み寄った椎名林檎の立ち姿が、共演の彼らを気遣ったように見えます。
曲について
椎名林檎のシングル(1999)、アルバム『勝訴ストリップ』(2000)に収録されています。4枚目のシングル、2枚目のアルバム。作詞・作曲:椎名林檎。編曲は亀田誠治です。
椎名林檎『本能』リスニング・メモ
#9thのコードで開幕。根音から長3度の音と、根音から短3度の音をオクターブ上に転回した音を同時にならした、清濁あわせ飲まされ感のある悩ましい響きで主題の「本能」の本質を射抜きます。
ブリブリにドライヴしたベース。ボーカルとのユニゾンプレイなどもみせ、浮遊感を演出。コシのあるサスティンの効いたトーンで縦横に自由に動いている感じです。
ドンシャリスコスコと抜けたドラムスはゴーストノートや装飾音が繊細なダイナミクス。力の抜き方が達人の域です。ヌケたタムやバスドラムの音はハイエンドな楽器を思わせます。音の密度がすごいです。胴鳴りが引き締まっていますね。音づくりが左右する印象の大きさを思います。ドンシャリが椎名林檎の判子に思えるほどです。
ピアノはブライトなトーン。コードを担う要で、リズムもかなり出したストロークです。中央付近に定位しており、バンドの各楽器をまとめあげる「かすがい」という感じ。
エレキギターも抜けと歯切れの良い音です。左右にそれぞれいますね。それぞれ100%定位を振り切っている感じです(イヤホンを片方外すと完全にどちらか一方のギターしか聴こえないと思います)。ワウのかかったようなトーンも用いて、クライング(泣きわめくようなプレイ)しています。
シンセのストリングスのトーンがロングトーン。激し目なバンドの音の空中で宙吊りになっています。
イントロ、エンディング付近では加工強めの椎名林檎のサブボーカルが入ってきます。ベースとユニゾンなども。拡声器を通したような演出づけのされた声ですね。リングモジュールを通したような極端な色付けもあります。定位は左右それぞれに振ってあります。このエフェクテッドボーカルが入ってきて、フルキャストが出揃い音数が最大になる感じです。盛り上がりが、エンディングで最高潮になるのです。ドラムスもキックを8つ打ちしちゃう。
間奏には電子・金属的な、何かチーとかキーとかいう感じのノイズもいます。どうやって発生させた音なのでしょうか。こうした、録音物ならではの味付けもないではないですが、基本は5人ほどでライブ可能そうなギターバンドの音にまとまっています。全体的に音抜けがいいのですが耳が痛くありません。中域をすっきりさせる音作りを全パート徹底しているのかもしれませんね。椎名林檎の声質の魅力をそのまんまバンド全員でブーストしたような音作りに感じます。爽快です。
歌詞
“どうして歴史の上に言葉が生まれたのか 太陽 酸素 海 風 もう充分だった筈でしょう”(『本能』より、作詞・作曲:椎名林檎)
1コーラス目のAメロの歌詞です。ひとつひとつの単語の音の数、区切れ方が不均質で乱れた秩序。「たいよう」=4音、「さんそ」=3音、「うみ」「かぜ」=各2音。秩序がないようでもありますが、徐々に急いて短い単語を連ねる向きもありますね。ことばがリズムのキレを生んでいます。
椎名林檎は職業として仕事をする人だと私は思うので、歌の中に描かれる人格=パーソナルな椎名林檎というわけではないと思うのですが、一方で、こうしたスケールのさまざまな想像を頭の中で繰り広げているのだろうなと思います。
原始的な世界に、高度な知的文明が築かれた神秘を思わせるラインです。
“約束は要らないわ 果たされないことなど大嫌いなの ずっと繋がれて居たいわ 朝が来ない窓辺を求めているの”(『本能』より、作詞・作曲:椎名林檎)
約束をすると、果たすために己の行動を律することになります。そうしない限りは、破ることになってしまうからです。約束をすることには、そうした重みが伴います。
ですが、ここでいう約束とはおそらく、「果たすために自分を律するつもりなど毛頭ない甘言」を指しているのではないでしょうか。そんなものは大嫌いだと強い否定。そう言わしめるのに足りる経験、つまり果たされない見境なしの甘言を、誰かに囁かれた過去が歌の主人公にはあるのかもしれません。
無責任な甘い言葉にほんろうされることなく、ずっと一緒にいられたらいいのに……“朝が来ない窓辺”を求める気持ちを紐解くとそんな感じでしょうか。ずっと夜のまま、というのも重苦しい情景です。怨念めいた椎名林檎の歌の世界、彼女の作風の一面を思わせるラインです。
“気紛れを許して 今更なんて思わずに急かしてよ もっと中迄入って あたしの衝動を突き動かしてよ”(『本能』より、作詞・作曲:椎名林檎)
果たす意志のない甘言は嫌うのですが、こちらにはこちらで「気紛れ」があるようです。そのときによって、態度に振れ幅があるのかもしれません。
折り返しのライン“もっと中迄入って あたしの衝動を突き動かしてよ”は、性交を想像させる表現です。物理的な交わりを想起させるのはもちろん狙い通りでしょうけれど、精神の交わりのことをここでは同時に描いていると思います。
主人公はおそらく、無責任な甘言は嫌いです。物理的にも精神的にも深く立ち入り、衝動を起こさせるほどの関わりを望んでいるのかもしれません。こうした顛末に冠するならば、ずばりこの曲の主題の「本能」がふさわしいだろうと思います。
ずくずくとうずき、何かに向かって行動を起こさせる、原資。性欲なのか、社会的地位や名誉への欲求なのか。だれもなんの答えもくれません。不穏を提示し、突き抜けたバンドの音を刻みます。
ことばの意味の重複
ところで、みみっちく細かい話ですが、私が記事を扱う編集者だったら「衝動を突き動かす」は「動」の重複が気になる表現です。
ですが、作詞における重複は吉となることがあります。意味の純度を濁すことなく音の数を調えられるからです。『本能』における「衝動を突き動かす」という表現では、「衝動」は主人公の中のものであり、それを「突き動かす」のは主人公に入ってくる誰か、といった具合に、ふたつの「動」の主体が違います。ですので無駄な重複とは一概にいえませんし、控えるべきものでもなくむしろ「衝動を」「突き動かす」とたたみかけることで積極性や攻勢をあらわにしています。アグレッシブですね。
歌詞にみることばの重複・番外編
ちなみに歌詞にみる言葉の重複で、私の知る最も大胆なものは井上陽水『リバーサイドホテル』に出てくる“部屋のドアは金属のメタルで”というライン。井上流のナンセンスジョークと私は解釈しています。ここまで大胆にありのままに重複(“金属のメタル”)を含む表現を出されると、驚きを通り越して笑ってしまう域。ソングライティングの仙人芸です。
それから、大滝詠一『君は天然色』には“机の端のポラロイド 写真に話しかけてたら 過ぎ去った過去(とき) しゃくだけど 今より眩しい”(作詞:松本隆)と、表記上で「過ぎ去った過去(とき)」という表現。あて字によってあえて重複がもうけられています。聴感上はあくまで「すぎさったとき」ですので、見た目上のみの同じ意味のことばの反復の作詞例です。
メロディ、音域のことなど
サビの「約束は要らないわ」で、「ラファレ ラファレラ レラ~」と、コードのDmの構成音の跳躍進行。次いで「果たされないことなど大…」で「レミファソラ ソファソファファソ…」と順次進行。直前の「約束は要らないわ」の分散和音をトレースする動きと、こちらの「果たされないことなど大…」の滑らかな動きが対比になっています。
「嫌いなの」で「ラドーシ♭ ラー」と、メロディ中の最高音を突きます。
曲は最後のコーラスで長2度上に転調。ヒステリックさの地平を一段と高くします。これによってボーカルの音域もプラス2度。下のラからオクターブ上のレまで出せれば転調を含め原キーでフルコーラス歌えるでしょう。
感想、後記など
女性ボーカルでコピバンやるとなれば定番なのが椎名林檎でした。私の世代でバンドをやったことある多くの人が通ったのじゃないか。編成的にはコピーしやすいほうかもしれません。椎名林檎のボーカリゼーションの奇異まで消化して自分なりに表現できるボーカリストは限られるかもしれませんけれど……そこまでの域のコピバンはあまりみたことがありません。みんな林檎ちゃんの曲が大好きだったし、純粋に演って楽しいもの、という感じで影響大でした。
いま改めてきくと、ボーカルの技量とキャラクター、ことば紡ぎのセンスも方向性が感じられるうえユニークで流石。Wikipediaをみて知ったのですけれど、アルバムの曲名の字数、その配置が、シンメトリーになるようにしているそうです。『勝訴ストリップ』は13曲入りで、7曲目を境目にそうなるのだとか。詳しくはWikipediaを見てもらうと早いです。
ちなみに、「本能」をアルファベットでつづろうとして気づいたのですけれど、「honnoh」(ホンノー? ホンノウ?)とつづるとカンペキなシンメトリーになります。「honnou」と書くのが普通かもしれませんけれど、ここは是非とも「honnoh」でしょ! …と思って、この記事のURLに採用しました。
だからなんだというわけではないですが、そういう、見た目上のシンメトリーに気をつかうといった方針は、音楽の構築に(よく注意しないと見過ごしてしまうような程度かもしれないにせよ)、意匠的な美しさをもたらすこともあると思います。それは無意識に深くはたらきかける美しさかもしれません。椎名林檎の作品や発表をこまやかにチェックしていけば、まだまだ発見が多そうです。
青沼詩郎
『本能』を収録した椎名林檎のアルバム『勝訴ストリップ』(2000)
椎名林檎のシングル『本能』(1999)
ご笑覧ください 拙演