青沼詩郎Facebookより引用

“先日ボーカルの甲本ヒロトがテレビに出演した。見られなかったけど。

私は歌を鑑賞するとき、歌詞の意味の解釈を考え、味わう。でもそれ以前に、歌を好きになるときはその響きが好きなのであって、まず歌詞の解釈の可能性、その素晴らしさが先行してその歌を好きになるわけではない。

たとえば印象に残るワンフレーズがあって、その詞がその歌をより好きになるきっかけを与えたとしても、それはその部分の歌詞のもつ響き、そのユニークさが作用した結果であって、詞の「意味」が立ち回って「この曲をよろしく」と私に営業してきたのではない。私は自分で虚空をよぎる「音」をつかまえたのだ。

そんなことを(あとから内容を聞いた私に)思わせるような出演時の発言だったと聞く。

もちろん響きに心惹かれはじめたあとで歌詞の意味を考えるのが私は大好きだけれど。それはやっぱり、プロセスのどの部分に位置するかといえば、いちばん初めの出会いのところにいるのではない。多少なりとも出会いの衝撃よりもうしろにいる。

考えさせることを、素朴にさらっとあけすけに提示してしまう。やっぱり原初の手触り(耳触り)が重要なのかもしれない。THE BLUE HEARTSの曲をいま改めて味わって、そんなことを思う。”

https://www.facebook.com/shiro.aonuma/posts/3424921434268173

…という、私自身の投稿を前置きに。

甲本ヒロトがテレビに出た

私は先日こんな記事を見た。

https://news.line.me/articles/oa-rp73180/299c42b3ba20?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none

甲本ヒロトの番組出演情報を知った。もう放送日は過ぎていた。

THE BLUE HEARTSの曲は、私の高校時代の軽音楽部の同級生たちがカッコ良く披露していた。私もオリジナルを聴いたし、好きだった。曲に出てくるボーカルの歌の音域が、私の声域と相性の良い歌を多く持った貴重なバンド。だから、歌いたくなる。私にとってのTHE BLUE HEARTSにはそんな面がある。

THE BLUE HEARTSの解散は1995年。高校生の私が聴いていたのは、もうそれ以上新譜が出ないTHE BLUE HEARTSだった。私が高校生だった2002年頃に活躍していたのは↑THE HIGH-LOWS↓だ。ミュージックステーションに出演して演奏した『青春』がカッコ良かったのを記憶している。

情熱の薔薇

1990年のTHE BLUE HEARTSシングル

上にリンクした記事が告げた、彼のテレビ出演した際の発言。それが仮に「歌詞に比重があり過ぎること」や「その意味の明瞭すぎる出し方や受け取られ方」にちょっと思うところがある、というものだったとしたら、それに背くみたいなことをあえて言うけれど、何せ『情熱の薔薇』の歌詞が私は好きだ。もちろんほかの曲も好き。

歌詞

私が特に好きなのは

“見てきた物や聞いたこと 今まで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう”(THE BLUE HEARTS『情熱の薔薇』より、作詞:甲本ヒロト)

という行。

私はいつも昨日の自分を越えたい。捨てたいとも思っている。これまでが全部でたらめだったらいいのに。そんな明日が来たら、僕どうなっちゃうんだ? 面白すぎるだろ、そんなの。

もちろんこれに対立する自分を私は持っている。これまでを重んじ、大事にする。経験も知識も教養もすべてが宝だと思っている。この世界が最高だとは言わないが、なるべくしてこうなってしまった世界を愛したい気持ちがある。世界なんてごまかすみたいな言い方やめよう。自分を愛したい。明日にはそれが今よりできるようになっていたい。「明日には」なんてのも「逃げ」かもしれない。今すぐそれをしろよ、私。ほら、やっぱり私は私を捨てたい。覆したいし、ぶち壊したいのだ。そんなことを思わせてくれるこの歌詞が好き。しつこいかもしれないけれど、もういちどリフレインして引用しておこう。

見てきた物や聞いたこと 今まで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょうTHE BLUE HEARTS『情熱の薔薇』より、作詞:甲本ヒロト)

…と、ここまで言っておきながら、やっぱり意味なんてどうでもいいのかもしれない。だってほら、歌が、響きがカッコいいんだもの。

青沼詩郎

『情熱の薔薇』(シングルと異バージョン)を収録したTHE BLUE HEARTSのアルバム『BUST WASTE HIP』(1990)

ご笑覧ください 拙カバー