映像

からだの軸がぶれず。彼女の足の裏や空間すべてがつながって、会場のすべてが美空ひばりというひとつの楽器なのじゃないかと思わせます。

曲について

作詞:秋元康、作曲:見岳章、編曲:竜崎孝路。美空ひばりのシングル曲(1989)。

美空ひばり『川の流れのように』を聴く

サウンドリスニング・メモ

ドラムス。1コーラス目のBメロ、2Aメロではリムショット。1サビの少し前から・2Bメロからオープンサウンドのショットになります。キックはベースのストロークポイントと合わせていますね。最後のサビが繰り返すところからチャイナ?のようなエフェクテッド系のシンバルで16分音符単位のリズムパターンが加わります。

ベース。1Aメロではワンコードにワンストロークの緩慢なパターン。Bメロ、サビでは1・3拍目のオモテと直前のウラ拍にストロークする前にずいと進むパターンです。2回目のAメロは最初からずいと進むパターン。サビ前にちょっとした移勢のキメフレーズがありますね。

ストリングス。ピアノとタッグでサビのメロディをイントロで奏でます。サビでは長めの音符で緩慢にサスティンしたり合いの手したりします。エンディングではヴァイオリンソロ。美空ひばりの存在感を受け継いで曲を結びます。

ハープ。最後のサビが繰り返すところなどで、素早いグリッサンドで彩り優美さを醸します。エンディングのヴァイオリンソロのあとに残るアルペジオ。

ピアノ。ストリングスとの重奏でサビのメロディをイントロで奏でます。オクターブ奏法でシンプルな音形に厚みを与えています。

ホルン。2コーラス目以降のサビの途中など、歌のフレーズの切れ目で上行音形。歌に翼を与えるようなオブリガードです。

アコギ。1ABメロでアルペジオ。音数の少ないところではサウンドの要です。ピックストロークの音ですね。

シンセ。1コーラス目が終わったあとの間奏でキラリン・チャラリンとした感じのトーンで跳躍音形を奏でます。イントロを終えて1コーラス目に入るとき・2コーラス目にうつる直前でキラランと印象づける下行音形。次のコーラスに入る美空ひばりのための出囃子のようです。ストリングスとユニゾンして音を彩っているところもあるようです。

なんのサンプリング音なのかシンセの音なのかわかりませんが、1コーラス目が終わったあとの間奏で水をたくわえた鹿威しが水を落として軽くなるときにカッコンと鳴るような音が聴こえます。桶がカッポンと鳴るような音にも聴こえますね。

コーラス。最後のサビが繰り返すところから「Ah~」と曲想を荘厳にします。

ボーカル。独特のリズムのゆらめきある歌唱です。ちょっとタメたり、せきこんでみたり。どちらかというとタメてひっぱる傾向が強いかもしれません。ピッチの良さは言わずもがな。ダイナミクスの変化による表現の幅。音作りの面では、左から右に抜ける残響づけを感じます。ダブリングした音像と一瞬聴き紛いました。センターにモノラルトラックがいるというよりは、右と左の両サイドに各1本ユニゾンしたトラックがいるかのように錯覚させる音作り。

歌詞

“知らず知らず歩いて来た 細く長いこの道 振り返れば遥か遠く 故郷が見える”(『川の流れのように』より、作詞:秋元康)

こんなところまで来たんだという感慨。“故郷”は自分の過去の象徴、そのヴィジュアル。細い道は概して視界がよくないものです。経路を一望する機会なく、盲目的に何かを頑張りがち。ある瞬間にその蓄積を認知し、遥か遠くまで来た実感は普遍です。私もあなたも、コツコツと何かを積み重ねて来たはず。

“でこぼこ道や曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生”(『川の流れのように』より、作詞:秋元康)

経路の様子や条件はいつも不定ですし、その組み立て方も自分しだいです。どのような道があるのか俯瞰できているとも限らない。どこにいてもネットにつながってグーグルマップで確認できるのとはわけが違います。そうそう、グーグルマップも、道の傾斜や路面のコンディションの詳細まではたやすく教えてはくれません。この道が近道だ! と思ったたら、とんでもない悪路や急勾配だったなんてこともあるのでは。かなりの精度でそうした案内も実現しつつあるのかもしれませんけれど、あらかじめすべてを確認した通りに進めるなんてことは、人生においては稀なこと。未知が基本なのです。

“ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも時代は過ぎて ああ川の流れのように とめどなく 空が黄昏に染まるだけ”(『川の流れのように』より、作詞:秋元康)

日々の些事も、個人には一大事かもしれません。でも、それ次第で川の流れはたゆまない。大きなスケールで、方向を持った運動が自然界にはあるのです。泣いても喚いても日は暮れるし、夜は明ける。情け容赦ないですが、たゆまぬ流れに助けられてもいる。大きなストリームの一部に個人の情景を写し見るとき、わけもわからず感動するのかもしれません。

“生きることは旅すること 終わりのないこの道 愛する人そばに連れて 夢探しながら 雨に降られてぬかるんだ道でも いつかはまた晴れる日が来るから”(『川の流れのように』より、作詞:秋元康)

“生きることは旅すること”とは抽象的に論を結んだ歌い出しの2番。具体的な景色の欠如は印象をボヤつかせることもありますが、曲想や主題に沿えばその限りではありません。行って帰って来るまでが1つの旅。でも、この旅はどこまで行ってどこへ帰るのか? 旅を終えてみないと全容はわからないけれど、旅のパートナーにはそれぞれ具体的な誰かの顔を思うはず。抽象的で広範な提示で2番を始めましたが、ここであなたのすぐとなりに視線を誘導しています。“そばに連れて”だというのに、かえって遠く恋しい存在を思わせます。見慣れたものほど見失いがち。身近なものへは、注意深い観察を怠りがちではありませんか。雨やぬかるんだ道といった厳しい現実を思わせる情景に続けて、晴れる日の到来を示唆します。情景の反転を描いていてドラマティックです。

後記

偉大な歌手の偉大な曲に、私が何をコメントできもしませんけれど、少なくともていねいに見る・味わうことに努めると、いかに主題を最大公約数のモチーフで描いているかが多少実感できました。

ニューヨークのイースト川がこの曲の作詞の原風景だとも聞きます。遠く離れた国にいてこそ、こうした普遍の強みみたいなものがかえって出せたのかも? 川の流れは、まさに普遍です。その表情は、土地によっていろいろかもしれませんけれど。

川の流れのように……なんなのか? それに続くものを探しています。あるいは、それ以前のものがなんだったのか。区切るのもむずかしいし、どこが始まりでどこが終わりともわからない。主題の通り、川の流れのように、連綿と。

青沼詩郎

美空ひばり 公式サイトへのリンク

『川の流れのように』を収録した『美空ひばりベスト 1964~1989』

ご笑覧ください 拙演