映像

スタジオで歌う斉藤和義。アコースティックギターで弾き語りしています。左右からスタンドで伸ばしてマイクロフォンを2本立てていますね。主に向かって左から伸びた太いほうのマイクに向かって歌っているようです。音づくりの補佐の意味で2本立てているのでしょうかね。録音技術やエンジニアの意図が気になります。実際のこの曲のレコーディングの際の映像なのでしょうか。うす青のシャツがさわやか。曲想に合っています。休みの日の朝のよう。

斉藤和義『やわらかな日』を聴く

オリジナル音源(アルバム『NOWHERE LAND』収録)

コーラスで豊かに動きをつけたアレンジ。“ぱっぱっぱっぱ〜” “ウー” “アー”など、Aメロ以外のほとんどの部分に何かしらのコーラスがみられます。複数の声部にわかれてもいて、ひとつの声部につき2回くらいは重ね録りしているかもしれませんし、コーラスにコーラス(微妙に音程をズラした音を付加するエフェクト。揺れ、うねり、広がりのようなものを感じさせる効果があります)をかけているかもしれません。イントロからまもなく音数にピークのあるコーラスが聴けます。

アコースティック・ギターもサウンドの屋台骨。存在感はコーラスやエレキギターに持っていかれがちですがバンドの音があまりいないところでは目立ちます。歌いながら弾く感じのリズムストロークプレイです。コーラスとのぶつかりへの配慮か、中高域の鳴りの派手さは抑え目の音づくりに思えます。

左右に定位を広げるエレキギターがいます。サビで2本がジャーンと入って華やかになります。アルペジオやリズムのフレーズ、それらをなめらかにつなぐフレーズなど多様です。場所によって左右で弾き分けていたり、要所では2本が同時に鳴りサウンドを盛り上げます。華やかなコーラスとけんかしないアレンジになっていて巧みです。

ギターやコーラスに比重のあるバンドの音作りに、ホルンやハープのような音色も入っているのがちょっと意外です。くどくない程度に、出どころを絞ってサウンドに幅を与えています。

Kazuyoshi Saito 20th Anniversary Live 1993-2013 “20<21” ~これからもヨロチクビ~ at 神戸ワールド記念ホール 2013.8.25

弾き語りですね。テンポ早めです。冒頭からお客さんのクラップ。シックスティーンでビートを出したギターストローク。パターンの違いで巧みに聴かせています。Bメロの後半〜サビ前のあたりでは各拍のウラを強調したストローク。原曲で厚みのあるコーラスのモチーフ“パッパッパッパー”を間奏で歌っています。お客さんがこれを歌う場面も。

やわらかな日(スタジオアコースティックバージョン)(シングル『やぁ 無情』収録)

ギターストロークの音像が近いですね。ライブ録音を聴いた後なせいか、テンポに落ち着きを感じます。アコースティックギターの音がリッチ。ボーカルもディティールに富んだ迫力ある音です。弾き語り:ギターと歌を同時に録音していると思いますが、とてもセパレーションが良い。それぞれが明瞭に聴こえます。彼の素の魅力を堪能できる音源です。曲想にも非常に合っています。この音源でシングルとして出されても納得してしまうかも。

歌詞

“レーズン入りのコーンフレーク カーテンを開ければサンシャイン 二人分のコーヒーが沸いた”(斉藤和義『やわらかな日』より、作詞・作曲:斉藤和義)

なんでもない朝であることを示すかのような記号。レーズン入りのコーンフレークは洋風の食べ物ですが、ごく普遍的な朝食の定番。レーズン入りコーンフレークを食べることがあるからといって、特別その人や家庭が西洋文化に造詣が深いとかいったことに直接つながりはしません。ありふれた光景なのです。

コーヒー好きの私が気になるのは、「淹れた」でなく、コーヒーが“沸いた”という表現。何気なく用いた、するっと出て来たままの言葉だと思います。深追いしますとこれは、コーヒーメーカーなどを用いて機械に仕事をさせてコーヒーが抽出できた、もしくは抽出しておいたものが温まったという状況ではないでしょうか。ハンドドリップしたならば「淹れた」と表現するほうがしっくりきます。ちょっと最初のセッティングだけ人間の手でやって、あとはスイッチをポンとして勝手に“沸いた”。この即席の感じが、“沸いた”という表現には詰まっています。

つまり、歌詞として描いているのは、手軽で肩肘はることのない、ごくなんでもないありきたりな登場人物たちの日常を描いているということ。私服の……つまり、とてもカジュアルなすっぴんの時間だと思います。

“「ちょっとこの記事読んでみて」彼女が手渡した新聞にはこう書いてあった「事故で亡くした夫の体から取り出した精子で受精成功」彼女は言った「すごい愛だと思わない?」 今日二本目のタバコ もしも僕がこの記事の夫だったら 考えてみる 少し怖い気もするし ちょっと嬉しい気もする 「ねぇ どうなの?」って彼女がせかす 「ねぇ ものすごい愛だってあなたは思わないの?」「まだ何も言ってないだろ」「じゃ どうなの?」「うん そうだね」「もう つまんない人」”(斉藤和義『やわらかな日』より、作詞・作曲:斉藤和義)

歌詞のボリュームが多いですね。すらすらと紡いでいて冗長を感じさせません。2人の会話をそのまま用いたかのよう。およそ歌詞のことばとは思えません。そこが魅力です。ありふれた日常の時間なのだけれど、歌詞に用いられた会話には、聴いているこちらまでも「え、そんなことあるの?!」と思わせる引っ掛かりがあります。そしてそれについてどう思うのかも、引き続き聞いてみたい気持ちにさせるのです。主人公の“少し怖い気もするし ちょっと嬉しい気もする”は私にはとてもまっとうな感慨に思えます。ならばそう言えばいいものを、彼女に問われて出てくる反応は「うん そうだね」。微笑ましい範囲で、男女の相手に期待する反応のちがいのおかしみが詰まっています。彼女の問い方が「ものすごい愛だってあなたは思わないの?」だったことも彼の反応に影響しているかもしれません。「思う」か「思わないか」で問われたのだから、額面どおりそのいずれかで答えるのみ。彼の答えは「うん そうだね」(そう思う)です。ですが、彼女はきっと額面どおりの言葉ではなく、彼女の気持ちを察したり共感したりする様子を、可能な限り豊かでやさしい言葉で示してほしいのです。「うん そうだね」は肯定の意図は汲めますが、共感や察しの深さを示すにはいくぶん足りません。ですから「もう つまんない人」と言ったのではないでしょうか。

“それより触りたい そのやわらかな肌に もっとずっと もっとずっと”(斉藤和義『やわらかな日』より、作詞・作曲:斉藤和義)

気の利いたことを言わず「つまんない人」と言われた彼ですが、彼は彼女のことが好きだし、彼女との時間も好き。

“誰より大切な君とのこんな朝が僕は好き 何より大事な答えを君は知ってるから 言葉は胸の中 君には見えてるはずさそうだろ?”(斉藤和義『やわらかな日』より、作詞・作曲:斉藤和義)

だったらそれをそのまま彼女に伝えてあげればいいものを、“言葉は胸の中”。これこそが彼なりの愛情のかたちなのだというのも私は深く共感するところです。彼は、「彼女が答えを知っている」と悟っています。だからこそ「言葉は胸の中」なのです。彼女は、自分の願望や気持ち(答え)を自分でよくわかっている。だから、「みなまで言わんでもいい」。でも、彼女はおそらくそういうことを、胸の中ではなく、2人の間の言葉として交わし、認め合いたいのではないでしょうか。

独自のバランスで2人がうまくいくのならば、なんでも良いでしょう。“もう つまんない人”とは言うけれど、彼女だって彼が好きだし、彼との時間が好きなのではないでしょうか。

後記

とても具体的かつ独自の会話を描写することで、男女の普遍(あるある)を表現した類い稀な曲。この独創性に手作業のバンドの音がかけ合わさります。私が斉藤和義を好きなのはそういう態度や方針のバランスにある、というのもひとつだなと思います。諸手を挙げて純粋にファンなのですけれどね。リクツこねれば、そういうこと。“言葉は胸の中”で、私も全然平気。でも、言ってもらえる(言葉にしてくれる)だけで救われることって確かにあるんだよなぁ。

青沼詩郎

斉藤和義 公式サイトへのリンク

『やわらかな日』を収録した斉藤和義のアルバム『NOWHERE LAND』(2003)

『やわらかな日』を収録した斉藤和義の『歌うたい15 SINGLES BEST 1993〜2007』(2008)

『やわらかな日』を収録した斉藤和義の『白盤』(2005)

『[ENCORE] やわらかな日』を収録した『Kazuyoshi Saito 20th Anniversary Live 1993-2013 “20<21” ~これからもヨロチクビ~ at 神戸ワールド記念ホール 2013.8.25』(2013)

『やわらかな日(スタジオアコースティックバージョン)』を収録した斉藤和義のシングル『やぁ 無情』(2008)

ご笑覧ください 拙演