作詞:岩谷時子、作曲:村井邦彦。ザ・タイガースのシングル『美しき愛の掟』(1969)、アルバム『THE TIGERS AGAIN』(1970)に収録。

ジュリーのボーカルの存在感といったらない(圧倒的にある、の意味)ですね。艶やかですし、「俺をみろ!」と言ってるわけでもなしに目を引きます。注視させられてしまうのです、鑑賞している者の方が。天性ですね。

アコースティック・ギターのストロークの装飾のつけかたが独特で、中庸なテンポの「イイ歌」にハネ、躍動するグルーヴを加えています。スティール弦なのにナイロン弦を弾いているようなアプローチです(スティール弦、私の勘違い……?)。エレクトリックギターも左のほうにいますがとても分をわきまえた感じで穏やかです。

ぶんぶんとベースの音は太く暖か。圧倒的なボーカルを絶対的な安定感で乗せています。

ドラムスがほとんど右に振ってあるのが、ステレオの定位のつかい方が(ときに支配的に思えるほど)確立されていない時代の価値観をおもわせます。ビートルズの作品などにも、かなり極端なパニング(定位づけ)がなされている音源があるかとおもいます。ドラムやベースはほぼ中心から聴こえるようにするのが現代の多数派で、そうしていないズレのあるものは「聴いていてきもちがわるい」と感じる耳の持ち主(リスナー、あるいは作り手でもあるミュージシャン、エンジニアに)も少なからずいるようです。

実際のライブステージをみると、アーティストによってはドラムスを右や左に寄せて配置するバンドもあります。確かにドラムが中央なのがライブステージ配置においても圧倒的多数でしょう。でも、左右にズレがある場合は非常に多いです。レコーディング作品において、こうしたズレがあるのは、私個人としては、目の前でそういう楽器配置のライブステージを見ている、あるいはそういうものを見せていることの意図としてとらえることができ、あまり気にならずに楽しめるほうです。

定位がはっきりわかれていると、それだけ、どの楽器がどんな演奏をやっているのかがはっきりわかります。『風は知らない』におけるドラムスは、ほんとうに脇役で、たとえば先に述べた、躍動するアコースティックギターと絶対的安定感のベースがいれば、リズムは事足りるといってもそう言い過ぎにはならないでしょう。そんな音の様相をしているなか、やはり穏やかなドラムスもリズムを担っています。本来バンドであれば、ドラムスはリズムを補強するのでなく、あくまで絶対的に率先して築くような役割を担いがちだと思うのですが、『風は知らない』においては、まるでアコギとベースが構築する基礎に相槌をうつかのようにリズムを添えて感じます。とても風流で私好みの演奏で、それにレコーディング作品としての定位づけまでもが相槌をうっているのです。良いですね。

レコーディング作品としてのアレンジ面についてがここまでに述べたほとんどですが、いち「歌」としても大変心に寄り添う、こころよく気持ちよいものです。Aメロのトニックのシックスの響きがまた良いですね。ボーカルメロディも優しい。ですがBメロはなかなかに雄弁でドラマティックです。ストリングスが情感を増長。バンドメンバーによるものとおぼしき、個々の歌唱の特徴や声質が感じられるバックグラウンド・ボーカルも左右に振ってあってセパレーションがよいうえ、メンバーの華を遜色なく魅せてくれます。「いち歌としてナントヤラ」……といいつつ結局アレンジ面に注目してしまう自分の感性のズレっぷりを自覚しますが……。

作詞は(弾厚作こと加山雄三氏と膨大な秀作を残していることでも知られる)岩谷時子さん。こういう抽象・観念、思念と普遍的な情景だけで心の奥行きや機微をコンパクトに完結させてしまうのも実に巧い。さすがです。

“きれいな虹に めぐりあう日を ただ夢みて 雲の波間をさまよう 昨日鳴る鐘も明日はない 大空の広さを 風は知らない”(『風は知らない』より、作詞:岩谷時子)

は自由の象徴。自然の摂理であり大原則。物質を散らし、均(なら)し、遠くまではこびます。めぐみを行き渡らせるポーター。もちろん災厄となって人間をおびやかすこともあります。

作詞の入門者や初心者がばくぜんと安易に用いることを許しがちな、よくもわるくも便利な単語であるのも実情でしょうか。万物に影響し、圧倒的な普遍性をその観念に含んでいる「風」は、本来なんでも知っていそうで、誰よりも自由そうなイメージがなんとなく私にはあります。でも、『風は知らない』においては、そのタイトルの通り、“風は知らない”なのです。これはどういう意図なのでしょう。

風は、私が安易に思い込むほどには、じつはそう自由でもないのかもしれません。気圧の高いところから、気圧の低いところにむかって吹き出すのが風。逆に、気圧の低いところには、まわりの気圧の高いところから、吹き込んでくるものが風。じつは、この世でもっとも、世界の物理法則に完全なまでに「とらわれた」存在なのかもしれません。

人も、自由意志で行動を決めて生きている存在だとするのも真実のひとつでしょうが、風のように、この世の環境・条件にしたがって、ただただ流れて生きているだけの存在なのかもしれません。明日を知るのは明日だけ。今日を知るのは今日だけ。

過去から学び、望む未来に向かって行動を決め、随時目標を見据え、その瞬間その瞬間の現在地と望ましいポジショニングのズレを察知して修正を図れないようじゃぁ、ただの阿呆じゃないかと思うかもしれません。それももちろんそうでしょう。人間はそういうことができる知性体でもあります。気圧に従って流れる方向がおのずと決まる「風」と人間を、なんでも一緒にしてしまっては暴論でしょう。

でも、そういう「風」のみせるしぐさや「性(さが)」と、人間のかしこさもおろかさも、いろいろが重なってみえることもまた真実のひとつだと思います。

えもいわれぬメロディの土着的なうつくしさ……ペンタトニックのなすたわむれ。私のなかの木っ端のもろもろが共鳴して、ひゅうひゅうと歌っているみたいに聴こえる……そんな錯覚をくれる、風流な真実です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>美しき愛の掟

参考歌詞サイト 歌ネット>風は知らない

The Tigers Fun Site 2013年の再結成のときをきっかけに設立されたと思われるサイト。メンバー紹介がわかりやすくていねいです。

UNIVERSAL MUSIC JAPAN>ザ・タイガース 2023年6月21日に”シングル15作品のサブスク解禁!”とのニュースを記しています。私には朗報。嬉しいです。

『美しき愛の掟』『風は知らない』の両方を収録したザ・タイガースのアルバム『THE TIGERS AGAIN』(1970)

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『風は知らない(ザ・タイガースの曲)ギター弾き語り』)

The Wind Doesn’t Know