映像をみて

ちぢれ気味の長い髪を蓄えています。袖の短いピンクのベースボールシャツ?に白いスラリとしたズボン。若々しいいでたちです。間奏に入るときに「OK松任谷だ!」と叫びます。歌のあるところでは和音でサウンドを支えたアコーディオンが間奏ではソロのメロディ、演奏者は松任谷正隆のようです。彼も吉田拓郎ほどでないにせよ、長めで縮れた髪型に見えます。当時ミュージシャンたちに好まれた髪型なのでしょうか。

客席には揃いの帽子をかぶったり歌詞に合った口の動きを見せたり歓声を高らかに上げたりする聴衆の姿や声。人気ぶりがうかがえます。

曲について

作詞・作曲:吉田拓郎、編曲:加藤和彦。1971年のよしだたくろうのアルバム『人間なんて』に収録されています。翌1972年にシングルカット。

原曲リスニング・メモ

左右からアコギが聴こえます。右のアコギはストロークとスライドプレイを混ぜている?

よしだたくろうの声はダブリングしたサウンドです。Bメロのボーカルのハモりパートのニュアンスが柔和。

間奏ではハーモニウムの演奏が際立ちます。足でペダルを踏んで空気を送ってプレイする構造のオルガンで、私の通った小学校にも似たようなのがありましたがあれよりも万倍良い音です。倍音が強く芯があり、カドのまるっこい温かみのある音色で、ぶわぁっとリードが吹かれる様子が目に見えるようです。身近な楽器だったはずなのですが、今こうしてフォークやロックのような大衆音楽の中で聴くとユニークで非常に魅力的に響きます。間奏以外でも慎ましやかなダイナミクスでサウンドを和声的に支えます。

ベースは1小節に強拍4つのアクセントを刻みつつ2・4拍目の直前に16分音符ひとつ装飾的に引っ掛けるストロークでグルーブを出しています。

ベースとユニゾンしてキックドラム風のビートがベーシックリズムを成しています。ドラムセットのバスドラムのみを使ったのか? あるいはバンド・たまの石川浩司のプレイスタイルのような感じで、フロアタムのようなものをマレットやスティックで叩いたのでしょうか。アタックはやや硬質なものがドラムヘッドに衝突した感じの音に聴こえます。やはりバスドラムを木製か樹脂のビーターを装着したペダルで演奏したのでしょうか。

編曲とスライド・ギターの演奏は加藤和彦。右チャンネルからほとんど同じ定位でスライドギターとアコギのストロークが聴こえますが、それぞれの演奏がなかなか細かいので同時に引き分けるのは困難か……やはりスライドはスライド、ストロークはストロークで分けて録ったのかもしれません。

中央やや奥にバンジョーがパンコロパンコロと鳴っています。ハーモニウムのサスティンする音とバンジョーの詰まっていて短く切れる音のコンビネーションが良い……と思っていたら、なんと両方とも松任谷正隆の演奏のようです。重ね録りしたのですね。こんなところにも演奏者の個性の調和が現れるのだと不思議な感慨に満たされる気分です。また、加藤和彦の編曲の妙もありますね。

シンプルな編成ではありますがドラムスは低音ドラムのみ?で鳴り物はなし、ハーモニウム、バンジョー、スライド・ギターを用いるなど小さなまとまりのある楽団の雰囲気が出ていて、個人的な一大事である「結婚」を題材にした曲にふさわしいアレンジです。

歌詞について

僕の髪が 肩までのびて 君と同じになったら 約束どおり 町の教会で 結婚しようよ(『結婚しようよ』より、作詞・作曲:吉田拓郎)

結婚することと、僕の髪が肩までのびて君と同じになることには一見なんのつながりもありません。

僕の髪が君のと同じくらいの長さになると、2人はなんだか似たような見た目を持つでしょう。パッと見て、協調して調和した感じになるかもしれません。「僕たちなんだか、見た目も似ていていい感じ。一緒になろうか」なんて思って本当に結婚するのもいいかもしれません。曲ではそれを結婚の約束の条件に組み込んでいるようです。

ここで注目すべきなのはおそらく、僕の髪が伸びて君のと似たような長さになること自体ではなく、そんなような、個人間の「なんとなく幸せ」なノリが結婚につながるのが普遍とみなされる社会に向けてスイッチが入ったことではないでしょうか。吉田拓郎(よしだたくろう)の『結婚しようよ』はそのきっかけを作った歌なのでは? 1986年生まれの私は当時の空気を直接吸った者ではありませんけれど、そう解釈しています。

『東京人 特集「シティ・ポップが生まれたまち 1970-80年代 TOKYO」』(2021年4月号)に、劇作家の宮沢章夫が、音楽界がシティ・ポップへ向く流れについて書いた記事があります。その冒頭で名前を挙げたのがこの楽曲『結婚しようよ』です。その記事本文中で、彼は加藤和彦を重要な存在に位置づけてもいます(ここではざっくりと吉田拓郎、加藤和彦がシティ・ポップのキーパーソンだと述べたのだと思っておいてください)。

都会は、おのぼりさんの集まる場所です。無機質な材で出来たビルや舗道、住宅が密集する空間に、他人がカベ一枚の距離で他人のまま暮らしていたり、何かの偶然で出会った2人が恋愛したりすることもあったかもしれません。

シティ・ポップで扱われる恋愛がかえって強調するのはひとつには、集団から切り離された個人の姿であったり、かれらが抱える孤独や未来の仄暗さではないでしょうか。集団とは「しがらみ」や「縁」の側面があります。個人の自由を得て、これらの表面も裏面も手放す。それが社会において普遍化しつつあるのが、当時の社会だったのではないかと想像します。

社会の流れにこの『結婚しようよ』が加勢したのか、いやいや流れそのものを産んだ親こそが『結婚しよう』だったのか? どっちもあったのかもしれませんがね。いずれにせよ、

僕の髪が 肩までのびて 君と同じになったら 約束どおり 町の教会で 結婚しようよ (『結婚しようよ』より、作詞・作曲:吉田拓郎)

という歌い出しは、時代を超えて今の私にさえ刺さる不朽のフレーズなのだと結んでおきます。そして、“結婚しようよ”に続くハミングこそがすべてを言い含めているのではないでしょうか。

青沼詩郎

結婚しようよ』を収録した、よしだたくろう『人間なんて』(1971)

『東京人 特集「シティ・ポップが生まれたまち 1970-80年代 TOKYO」』(2021年4月号)

ご笑覧ください 拙演