吉祥寺と音楽と私
吉祥寺と私のライブハウスの原点
私が生まれて初めてライブハウスでライブを見たのは吉祥寺シルバーエレファントだった。10代半ば頃の私はライブハウスに出入りしたことがなかったけれど、ギター仲間としてつるんでいた同級生のS君が誘ってくれたので一緒に行ったのだった。S君とはその前後の数年間、デュオやバンドで一緒に音楽をやった仲だった。
初めて行ったシルバーエレファントで、その日の出演バンドを見た。S君の目当てのバンドだったか対バンだったか忘れたが、陽気で愛嬌あるバンドが『犬のジョン』というタイトルの曲をやっていた(MCがそう言っていた)。曲の内容はほとんど覚えていないが、ピアノ(エレピ)を含む編成でハネたグルーヴを演奏していた。吉祥寺っぽいバンドだったなと今さらながら思い返す。
私のごく狭い知見なりにだけど、吉祥寺っぽいバンドの気風・傾向というものが不思議とある。良くも悪くも、イモっぽさ漂う手作りなサウンドとまっすぐにひねくれた表現を志向する人が多いように思う。新宿のようなおのぼりさんの集う町のいけすかない反骨感(私の偏見)と、八王子のような地元〜アクセスの便のせいか神奈川あたりから来るいなたい熱っぽさ(私の偏見)のいいとこどりとわるいとこどりをしてチャンポンした感じだ。地理的にも両地点(新宿〜八王子)の真ん中あたりにあるから自分としては勝手に納得している。おわかりいただけるだろうか(無理か)。繰り返すが、私の吉祥寺音楽シーンの知見は雀の涙である。
客としてライブハウスをはじめて見たのが吉祥寺シルバーエレファントだったのと同じく、私が出演者としてはじめて出たライブハウスもシルバーエレファントだった。思い入れのある場所だ。
パワーソース・吉祥寺。楽器屋、本屋、ラーメン、カレー、コーヒー……
吉祥寺シルバーエレファントの斜向かいには山野楽器(サウンドクルー吉祥寺)がある。初めてのエレキギターを親に買ってもらったのがこの山野楽器だった。小学6年生か中学校に入ったくらいの頃で、その頃から弦などの消耗品から何までこの店にお世話になっている。私の録音作品のほとんどに山野楽器(サウンドクルー吉祥寺)経由で入手した何かしらの物品の音が用いられている。
楽器ひとつの入手やケア先にしてもそうだし、レコード屋も多い。ライブハウスもシルバーエレファントは氷山の一角でほか数多ある。コピス(FFビル)の上層階には武蔵野市立吉祥寺美術館。同コピスにはジュンク堂書店吉祥寺店。駅ビルのキラリナには啓文堂書店吉祥寺店。ブックスルーエなんてちょっとユニークで個性ある書店もしばしば行く。手芸やDIYの素材さがしはユザワヤだの100均だのある。
カレー、ラーメン、うどん……メシにも困らない(チョイスが庶民)。コーヒーも良い。音楽喫茶バロックでの鑑賞体験には心を動かされ過ぎて困った。
心身を充実させる各種パワーソースがある。ほか、吉祥寺の莫大なほとんどの魅力をここに書き漏らしている。
音楽の町としての吉祥寺
吉祥寺音楽祭
キチオンこと吉祥寺音楽祭を春と秋にやっている。2010年代前半頃には私も自分の主宰するバンド(bandshijin)で、シルバーエレファントの推薦で吉音スーパーステージに出演させていただいたこともある。それ以後長い間、私のキチオンとの接触は遠ざかる。コロナ禍があって、いまキチオンはどうしているだろう……と思いサイトをあたる。ご健在の様子だ。近況をみるに、またいくつかの思うこと・発見に行き当たる。
音楽の町ヒストリー
私が吉祥寺に通い始めたのは先述のとおりで13歳くらいで、せいぜい1999年〜である。それよりもずっと前から、吉祥寺はフォークだのロックだのを培ってきた。当然、自分の知る時代以前の一次体験をまったく持ち合わせない私だが、吉祥寺時間>吉祥寺は「音楽の街」だった?吉祥寺と音楽の歴史を解説!が、私がうっすら「なんかそんな感じだったらしいね」とあいまいに認知していた音楽の町としての吉祥寺ヒストリーを明るくしてくれる。フォークを培ったというぐゎらん堂は現ドクターマーチン店舗(2022年時)の角を藤村女子の方へ進んだ並びにあったという(話がローカルすぎてすみません)。オシャンな雑貨店ほかが多い地域だ。私もよく無駄に散歩する。「無駄に吉祥寺」は私の心の頻出ワードだ。
斉藤哲夫『吉祥寺』
70年代くらいの音楽をザッピングしていて自然と巡り合い、とても好きになったシンガーソングライターのひとりに斉藤哲夫氏がある。『さんま焼けたか』を私は気に入っているが『吉祥寺』という歌も素敵だ。音楽の町・吉祥寺ヒストリーを思う際、実際に縁のあるお方のひとりだろう。先にリンクしたぐゎらん堂Wikipediaページ内にも名前を連ねている。キチオンの企画、第1回吉祥寺フォークジャンボリーへも出演したと行き当たる。2021年11月にそれを無事開催した旨を告げるnote記事も見つかる。フォークは吉音の原点ともある。脈々と、ヒストリーは更新を続けているのだ。
斉藤哲夫『吉祥寺』発表の概要、曲の名義など
作詞・作曲:斉藤哲夫。斉藤哲夫のアルバム『バイバイグッドバイサラバイ』(1973)に収録。
斉藤哲夫『吉祥寺』(『バイバイグッドバイサラバイ』収録)を聴く
ゆっくりと語り始めるようなアコースティックギター。16分割で細かく刻む。左右に各1本。ニュアンスは揃っているが一字一句の発音を揃えたわけではないダブったギター。
斉藤哲夫の高い声、質感が耳をひく。Cメージャー調。歌詞“吉祥寺〜”と、「ミ・ファ・ソ〜」のあたりのポジションを頻繁に往来する。なじみの町・なじみの通りを思わせる節回し。エンディング付近では“チキチキチー・キチジョージー……”と、無声音でハイハットワークを模したニュアンスで「吉祥寺」を表現したおかしみ。
数本の個別の線を認識できる弦楽器。しっとりと、いかなる感情の吐露も受け止めてくれるような、懺悔室にいるような気持ちにさせる(その経験はない)、浄化作用ジュクジュクな響きがアコースティックギターとともにサウンドの主幹。
2:00頃〜、間奏でピアノ。4拍子で来ていたが6/8拍子っぽく変わる。ぽつねんと旋律・リズムする。からっぽの教室みたいな寂寥がある。間奏にあらわれてしばらく休んだのち、また入ってくる。高めの音域で分散和音を添える。後奏、4:36〜はピアノのソロでフェイドアウト。
後半のほうで、ミュートをきかせたバンジョーのようなトーンが入ってきて、しっとり感にフォーキーなリズムと響きを演出。本当にバンジョーかどうかは未確認だが歌詞との整合がとれるし、音色的にもおそらくバンジョーで合っているだろう。短く響きをおさえたニュアンスのバンジョーにお目にかかるのは貴重。どちらかといえば世の楽曲でバンジョーを用いたものは、パンコロ元気に明るく開放的に響かせるものが多い。斉藤哲夫『吉祥寺』で聴けるしっとりとした短い響きは、ギターでいえばブリッジミュートのような奏法で得られるのだろうか。慎ましやかなトーンが軽妙である。
間奏で3連系の拍子に変わったあと、元の拍子に戻るときにただ一度異質な音がする。ピィーーーっといった単純で長い音。オルガンだろうか。このトーンの登場は曲中この部分のみで、意味ありげだ。時報のような趣もある。現実に引き戻すような演出。何かが終わったような諦観を強いられる気分だ。
セルフカバーアルバム『SPINACH』(2009)収録
私は先にこちらのバージョンでこの曲と出会った。リズムやテンポ感はこちらのほうが快調。かつボーカルの響きはゆとりがあり、あたたか。Gメージャー調で、オリジナル版のCメージャー調とはボーカルの声種・性別が違うかと思うくらいポジションの差異がある。歌詞の載せ方に緩急があり、フレーズの切り方・止め方などのメリハリがオリジナル版よりやや強い。ドラムスやベースが入っており、ビート感が強い。アコースティック・ギターもコードストロークっぽいニュアンスで演奏している。
無声音の“チキチキチー・キチジョージー”が出てくる段階が早く(間奏で登場)、エンディング(後の)ピアノソロはない。オリジナル版で“チキチキ……”していた後奏あたりにはボーカルのハミング。間奏のフルートのトーンはメロトロン(私の好物)だろうか。
歌詞 町の抱擁
“吉祥寺を通り抜けて 右へ左へとほんの少し そうさ今日は良い天気 とておもよい気分だから 君に会いに行こう
待つことの程もなくに ロングヘアーが疲れていた君は 寝不足気味乍らも やっと朝のごあいさつ そうご機嫌いかが
吉祥寺から南へ下りて 折れて曲がってまっすぐに ほら遠くから聴こえてくるよ 君は今日も歌ってる ちょっと急がなくちゃ
くわえたばこで足踏みし乍ら 僕を迎えてくれる君の笑い顔にも 昨日の疲れの中に寂しさが残ってる 久しぶりじゃないか”
(『吉祥寺』より、作詞:斉藤哲夫)
ミュージシャンの“君”を描いているのか。“吉祥寺から南へ下りて 折れて曲がってまっすぐに”という描写から現実の吉祥寺を想像するに、目的地はまるでライブハウス・曼荼羅に思える。
人気者で忙しい“君”だから、連日疲れている様子なのか? あるいは昨日、特別な出来事が何かあったのだろうか。主人公と君との間の共通の友人が亡くなるとか、何か悲しいことがあったのだろうか。深読みが過ぎるだろうか。
”吉祥寺にも冷たい雨が降る そんな時君はじっと待っている 誰かが訪ねてくることを じっと待ち乍らも 心は曇り空”
(『吉祥寺』より、作詞:斉藤哲夫)
すっきりとした晴れのもとの吉祥寺は、よりいっそう人の足をひきつける。そんなきらびやかな陽気を思わせる部分とは対照的な様相の間奏明け。多様な文化を醸成する町なりに陰影もあるだろう。それもまた絵になる情景。
”吹く風は大通りをぬけて 急ぎ足で君の部屋へ やってくる 君はゆっくりとたばこをふかし乍らバンジョーを鳴らす 吉祥寺明日晴れるか”
(『吉祥寺』より、作詞:斉藤哲夫)
「大通り」と「君の部屋」。「急ぎ足」と、「ゆっくりとふかすたばこ」。言葉に緩急が効いている。明日のこの町の天気に思いをやる。何が起こるかわからない。事件や出来事は、一朝一夕で世界の様相(見え方)を塗り替えてしまう。ありえないことが急に起こるわけではなく、それは着実に、個人の主観の及ばないところで準備されていたのかもしれない。仕方のないことはある。悠然と、たばこをふかしたりバンジョーを弾いたりして、今この瞬間の自分を生きることが、世界の大きな流れへのカウンターになっている。吉祥寺は、あらゆる個人の現在の姿を抱擁してくれる。
後記
特別にめでたい日などをハレの日という。その対が「ケ」で、日常・普段。非日常(ハレ)と日常(ケ)を並べて「ハレとケ」という表現もある。吉祥寺にはどっちもある感じがする。人の発するものに刺激を受けたりチャージしたりする場もあるし、自分がそれを発する・与える場もある。
ズルズルのサンダルなんかを引っ掛けて、あてもなく歩きたい。時には己のだらしない日常を燃やして情熱を叫びたい。多様で幅のある目的が混成し、成り立つ。根付くものもあれば、出入りするものもある。バランスよく血がめぐっている。
「無縁過ぎて、おれには関係ないや」「この町こそがおれのすべて!」いずれが多過ぎても、町のバランスは崩れる。一人ひとりの都合によって、適切な距離で関係を結ぶことで今の吉祥寺が更新され続けていく。そこに、私の影もきっとある。
青沼詩郎
斉藤哲夫のアルバム『バイバイグッドバイサラバイ』(1973)
『吉祥寺』ほかセルフカバー集『SPINACH』(2009)
ご笑覧ください 拙演