家族の利き手
私の兄は左利きです。私も兄も揃ってもう中年ですし今は別々の家に住んでいますが、かつて2人ともが実家にいたときに問題になるのが座り順です。
ダイニングテーブルにつくときに、自分たちから見て私が右寄り、兄が左寄りの席にかけないと肘がぶつかってしまう。利き手の違う家族や同居人を持った経験のある人あるあるではないでしょうか。
私の次男(2歳)も左利きかもしれません。乳児のときはわかりませんでしたが、手指の機能が発達してきてようやく「おや?」と思いました。おはしやスプーンなどを左手で持つことがあるのです。これもときによって変わるので断定はできませんでしたが、いよいよどうやら左利きが濃厚かと最近思えてきたところです。
利き手が遺伝する可能性があるという話を聞きました。家族だったか同僚だったか、情報の出どころもあやしいトークで知ったことなので根拠もわかりません。
情報処理ハードル走
有名な話(と私は思っています)、社会のあらゆるものが右利きにちょうど良いようにつくられているので、左利きはストレスのせいで(?)早死にするというのも聞いたことがあります。
慣れるとその行動について考える必要なくその行動にふさわしい運動や思考ができるようになります。それは脳みそ君の省エネだと思うのです。効率のよい手順やそれに合わせた身体の運動や思考を、当初はベストを知らないのであれこれ試行錯誤しながらうまくいかない経験を重ねて手順や身体の動きや思考が磨かれていくのです。
当初はたくさんの情報が入り乱れ、その入力にも取捨選択や整理・最新の行動への反映にも大量のエネルギーが費やされることでしょう。同時にその反映の結果の手順や身体運動や思考が適切かどうか常時気を張ってチェックし、修正をリアルタイムでおこないます。
これはもう相当な重労働。ひとさじの砂糖を、コーヒーの入ったカップの中にこぼさないように狙って入れるのだって、大人だったらスマホ片手に視線すら画面に割合の多くを割いたままできるかもしれませんが、乳幼児にはかなりの課題です。
手順や身体運動や思考が磨かれる頃には、それはなかばオートメーションされます。手順や運動指示のテンプレートが頭の中にできるのでしょうね。雛形づくりは骨(大変)ですが、フローチャートの実行はそれに従うだけです。ラミネートしたポップに書いてあるフローチャートを見ながら……とかいう感じだと遅くてイライラしそうですが、フローチャートが暗記されているといったイメージが近いでしょうか。あるいはそんなものをはるかに超越した効率で、造作もなく、かつて乳幼児だったその人は大人になってコーヒーに砂糖をこぼさずに入れるようになるはずです。
脳の情報処理運動は楽になるのですが、この楽ちんが積もり積もっていっちょまえのフローチャートオートメーション実行マシーンになってしまうと、こんどは情報処理運動自体が風化して遠くなり苦手になってしまう……ということなのでしょう。
……そう思うと、左利きの人って、しょっちゅうやたらめったら望まない機会にまで情報処理ハードル走のトラックに立たされているブルースマンなスプリンターなのでは。彼らのスピード、跳躍力は鈍っている暇がない?(尊敬の意味です。気分を悪くされたら申し訳ありません。)
利き手が死語になる未来
空き家は荒れるのが早いです。さぼったピアノはさぼった期間以上の技術や演奏力が失われるというのはピアノ弾きの間でまことしやかに囁かれる戒めです(真実のほどは鍵盤のようには白黒つかず)。
似たように、情報処理ハードル走も、挑まないでいるとみるみる速度も跳躍力もなくなるのですね。
利き手と違う方をつかって、慣れたことをあえて不便しながらやるというのは情報処理の筋トレみたいなものかもしれません。情報処理筋なるものがあるとして、それをなまけさせたままでなんら生活に支障ないとおっしゃる人に無理にはトレーニングをおすすめできませんが、そこに再び熱を入れることで情報流しレーンが円滑になり、ばらばらにあった脳領域の空き地がつながって、新しい何かが舞い込むこともあるかもしれません。
「利かせている」と、もっとよく利くようになるのでしょう。「利き酒」とかもだんだん利いてくるものです(多分)。
新しい楽器をはじめてみるというのも、お箸や歯ブラシを持ち替えるほどの低コストにはいきませんが、おすすめです。利き手の右左のみならず、全身利くようになるかも。もしそれが何世代と遺伝していった未来にゃ、「利き手」が死語になっているかもですね。
青沼詩郎
リンク
項目数や分量からも関心の高さがうかがえます。
協会まであるとは。遺伝要因、環境要因。どっちも無関係ではなさそうです。
子供の科学のWebサイト KoKaNet > 今日のはてな > “利き手は何で決まるのですか? もしDNAで決まるならゲノム編集で変えることはできますか?”
やはり遺伝、環境どちらも要因か。ゲノム編集で自在に利き手を変えるのは非現実的とのこと。