高円寺、ふしぎな街です。南北(だったか)に商店街がのびています。複数の筋が交っている印象ですし、高架下も栄えていて飲食店が並びます。古着屋さんがあったり楽器屋さんやスタジオやライブハウスがあったりします。青梅街道が近いので車もぶんぶん通ります。モノもヒトも、たくさん立ち寄るし目もくれず通り過ぎもするのですね。

古くから住んで馴染む人もいるでしょう。中央線でしょ、住むなら!上京してこの街を選ぶ人も多そうです。駅からほどほどに近かったりすると家賃も高そうな気がします、ボロ物件とかでもね(そんな物件今でもあるのかな)。

『恋とか夢とかてんてんてん』(世良田波波)という漫画の物語は高円寺がキーになっていて、主人公が憧れる人物はSNSのアカウント名に「高円寺」を冠します。最近読んだ漫画なのでふと思い出しました。高円寺が、多様な人の交差点になっていることの一例だと思います。

弾き語りのストリートミュージシャンがごろごろいてなじんでいたりします。私の直接の友人や知人ミュージシャンで、高円寺の記憶をたどれば必ず思い出す人が数多くいます。

私個人の居住地の地理的には明らかに吉祥寺なんかのほうが近いのでそのへんで遊んでしまうことが多いせいか、私がこれまでに高円寺を訪れた記憶はごく限定的なものです。ほかの人の高円寺にまつわる記憶の話を聞くことには興味があります。

高円寺 吉田拓郎 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:吉田拓郎。よしだたくろうのアルバム『元気です。』(1972)に収録。

よしだたくろう 高円寺を聴く

こんなにも鮮烈のモノクロームで、かつサイケな極彩色を感じもするから不思議です。肉を削いだようなギターのリフ。ほとんどEmとA7の繰り返しみたいな感じです。ワイルドなストロークの繰り返しで、刻みはだいたい同じパターンの繰り返しですが生演奏らしいオルタネイトの微妙なニュアンスづけが細部の情報の奥行きをなします。

力の抜けたようなリードボーカル、いえ、ある意味力が入ってもいるのですけれど、奥田民生さんの専売特許みたいな「力の抜け具合」を感じもします。なのに、最強な感じが漂います。

心が分裂したみたいなヘンな気分になるのはボーカルのダビングのせいでしょう。歌詞をリードボーカルが全部言い切らないのを、ダブリングのほうが先に全部言い切ってしまって、あとからリードボーカルがフレーズの全容に追いつく光景が記録されています。なんだこれ、こんなアレンジほかではあまり聴いたことがないぞ。かとおもえばリードが先に言ったフレーズをダブリングのほうがきれいに繰り返します。かと思えばフレーズのふしまわしがちょっと違ったり盛大に違ったりもします。要はテキトーなのでしょうか(笑)反射神経でパッとつくってしあげたトラックなのでしょうか。これを何ヶ月も練り込んで……というのは考えにくい。

パッと終わってしまいます。1分半ほどでしょうか。コードのパターンなんて変わることもなく、メロサビがあるという感じでもない。日記みたいな感じもするのですが1日の流れやストーリーが克明に刻まれている感じもなく、どこかとりとめがないというか、分散しているイメージがあります。何を言っているのかわからない、わけでもないのですがダブルのボーカルトラックとか展開しないギターリフや音楽の構成が、リスナーに対して感情のいどころを墨でまくしたててしまうような印象なのです。

高円寺という街で、なんの感情の動きがあったんだろう。どんなドラマがあったんだろう。そんなこともわからないまま、人生の若い時期の一瞬をこの街で過ごして、背中を向けたっきり向き合う機会をサスペンドしているようなそんな分裂症具合を猛烈に思わせる。そこが、私が吉田拓郎さんの『高円寺』という楽曲に思う特異な個性です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>元気です。

参考歌詞サイト 歌ネット>高円寺

吉田拓郎 公式サイトへのリンク

『高円寺』を収録したよしだたくろうのアルバム『元気です。』(1972)