作詞:小林和子、作曲・編曲:林哲司。国分友里恵のアルバム『Relief 72 hours』(1983)に収録。

山下達郎さん感がすごい。私が勝手に感じるだけですが。どの曲というわけではないのですが。いえ、私が山下達郎さんに精通していればシュっとすぐ特定の曲名がいえるのでしょう。もちろん山下達郎さんも『恋の横顔』の制作陣も私よりはるかに音楽に精通し、先人の先人の先人の真似まで通って制作に臨んでいることでしょうから、国分友里恵さんの『恋の横顔』と山下達郎さんのサウンドに共鳴を感じると私がわめきちらせば「おいおい、それはそもそもね……」と講釈をたれることが可能な人がいることでしょう、実際にそれをしてくれる物好きがいらっしゃるかは別として……。

『恋の横顔』のようなサウンド、楽曲の様相をシティポップという言葉がばくぜんと表現する観念を参照しながら解釈できる人もいるのでしょう。私にはその知識が足りませんが、60年代のGSや歌謡やロック、70年代のフォークやシンガーソングライターなどを通って80年代にこうした澄み渡る確かな技量によってつむがれる緻密で聡明さの奥に熱さをラッピングしたようなアカ抜けた音楽が隆盛する、という粗雑な解釈も、全否定まではされることはない程度に、解釈の方向くらいはとらえているのではないかと思います。

Ⅳからはじまって下行していく、逆循環にカンナがけしてなめらかにした亜種みたいなコード進行でつむがれるAメロ。Ⅳはじまりというだけで、シュっとエモい流れをつくる可能性を秘めています。

BパートがおもしろくてⅤmからはじまり……Am⇨D→G。お、Gに着地。からの、Dm⇨G⇨C。おお、下属調を転々としていくパターンですね。からの、Gm⇨C⇨F。着地する直前のコードをⅡmにして、ドミナントをはさんで次にいくパターンが面白いです。Fに着地したところから、着地点でひと息つくのをやめます。F⇨Dm⇨Gm⇨C・・・⇨Aと、元の調のDメージャーのⅤにつなげてサビに突入。サビ頭はⅠ、トニックの素直で王道で最強の解決感とともに“今日はほろ苦い恋の顔で 通り過ぎた”

Bパートのコード進行が転々とする部分の歌詞は

““久しぶりだね”誘う瞳に 云いそびれたさようならを たたんでいたのよ”(『恋の顔』より、作詞:小林和子)

転々とするコードとともに、この含蓄と比喩、重ね合わせに富んだいいまわし、主人公やあなたの想い・意志の変遷、うつろいが至極手練れた意匠で描かれるのです。音楽の垢抜け感と、言葉の表現の文脈の高さが一致しているのですね。これが私が『恋の横顔』にシティポップを感じるゆえんなのかもしれません。ジャンルがくくる粗雑な扱いとしてのシティポップでなく、これだよ、こういうものこそをシティポップと呼んで称えて、長く聴いて味わっていくべきなんだよ!という、最大の賛辞の意味でのシティポップです。

主人公側の、きちんとさようならをいわれることのなかったわだかまる気持ち。でもいま目の前のあなたの瞳には、私への関心が映っているよう。それは、さようならを云わなかったことへの申し訳なさのような機微が混じり合った奥行きのある輝きなのか、もしくはそんなことはなかったことにしてしまっているかのようなあっけらかんとした、よくもわるくも平面で裏表のない澄んだ意志なのか。

かくいう主人公も、あなたのことを、今でも悪く思っていない……いえ、思っているのかもしれないけれど、その顔を前にすると、感情があなたを受け入れてしまう。

心とからだの距離感、その時間変化を、高い手技と視点でとらえて、都市の背景のもとに幅をもって抽出する。これが美味しいシティポップの条件のひとつなのかなと思い至ります。いわゆる「ジャンル名」をあまり連呼してつかいたいとも思わない、できれば避けたいのですが……それは『恋の横顔』がどんなジャンル名とともに並べられることにも恥じない素晴らしい楽曲であるのに免じてくださいませ。

青沼詩郎

参考Wikipedia>国分友里恵

参考歌詞サイト うたまっぷ>恋の横顔

『恋の横顔』を収録した国分友里恵のアルバム『Relief 72 hours』(1983)

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『恋の横顔(国分友里恵の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)