開催概要はこちらをご覧ください。冒頭で強調・祝福しておきたいのは初となる2日間の京都音博開催が実現した事実に尽きます。ほんとうに良かったし感動しました。

図:京都音博2023(10月9日)終演後のステージ。

以下、私の体や心のメーターが特に忙しく振れた偏見をアンバランスに、至らない筆致と目の荒い欠陥のザルですくって、多少の参考の付加とともにお伝えします。録音作品の鑑賞と違ってライブですし、時間芸術を振り返るためのソースも手元にありません(当然ですが)ゆえ、粗雑な記事である面、何卒ご容赦ください。この記事が音博2023参加者の方の振り返りと、参加なさらなかった方の今後の音楽のある暮らしの充実を図るわずかばかりのきっかけになれば幸いです。

Tigran Hamasyan“StandArt” 3人編成の魂に踊る

図:京都音博2023リユースカップ。写真のカップの中身はBuckskinのビール。しこたま美味い(お世辞100%オフでまじで美味い)。ティグラン・ハマシアン鑑賞の共にするつもりだったがあまりの美味さにその場でカップが空いた。

ドラマーの姿勢のなんと良いこと。Jeremy Dutton(ジェレミー・ダトン)です。背筋がストンとおしり、地面に直結しています。いわゆる背筋が「伸びている」のではありません。ステージの床、足の裏やかかと、脛・膝・骨盤・尾骶骨、背骨のピース一つひとつすべてが下から頭蓋骨と背骨の接点に向かってふわっと積み上げられたようにドラムスツールに鎮座。最小限の運動でスティックをふるい、腕や上半身の重さ・骨格が素早く緻密に最大限のパフォーマンスを発揮する様子は、まるで箸を置く動作のように静謐で自然。股関節の近く(厳密にはそれとも違うのですが、まるで股関節の近くに手をストンと自然に下ろしているだけに見えるほどに「楽そう」な姿勢なのです)の空中にスティックワークの支点があるような隙のない演奏姿勢は、肝の坐った無心の境地を思わせます。ドラムスは言語。ブシャーン(シンバル)ドツ(キック)カカツパパパ(スネア)コントツ(タム)…………うんうん。それだ。

Harish Raghavan(ハリシュ・ラガヴァン)のベースのサウンドに私はいてもたってもいられなくなりました。京都音博2023には最前方にスタンディングエリアがあります。その後方に、「音博シート」を使用しての鑑賞エリア。私はそこにいましたが、Tigran Hamasyan“StandArt”の演奏が始まると背筋が伸びる。正座して少しでも伸び上がって観たくなり、ブンブンと爆裂するベースのサウンドに、正座した膝が地面の上で窮屈そうに踊り出す。これは座って観ている場合ではない。衝動的にシートエリアを飛び出し、前方のスタンディングエリアに駆け込みました。

Tigran Hamasyan(ティグラン・ハマシアン)のピアノが刺さる、刺さる。ピンピンと心のツボを刺激。静謐に、猛烈に、突飛に。うわぁ、そこでそんなに逸脱していくスケール?!(テンション?!わからん!……が、おそらく彼の中で)正しく精確にどっかブッ飛んでっちゃう。空気を掴んで、背中から吐き出しながら貪欲に「時間」をむさぼり食って、ジェット気流をぶちまける35分・数曲のステージの「巻物」に一筆描き。

トリオの音に私は開いた口が、顔面中の穴という穴がふさがりません。終始、満面の笑みで頭を揺らして踊り狂いました。ダンス・ミュージック。私にとって舞踏音楽でした。これがアルメニアの魂なのか(アルメニアだとか抜きにしても)。語彙も何もかもが私の知識を超越して、感性に直接説諭します。彼らにそんなつもりがなくとも、私がありがたく受け取っている。こんなものに出会うのは初めてだからです。

何拍子かもよくわからないなりに、なにかしらの秩序が波をもって私に押し寄せ、私はそれに身をまかせて浮かび、流れ、すかんぴんになって心がバシャバシャになる。楽しい。気持ち良い。これが音博、これぞ音博でしょうか。

Tigran Hamasyan『Standart』(2022)収録『De-Dah(Elmo Hope)』
Tigran Hamasyan『Standart』(2022)収録『 I Didn’t Know What Time It Was(Richard Rodgers、Lorenz Hart)』

音博ステージで演奏されていたのは上にSpotifyリンクしたあたりの曲目でしょうか。(正しいセットリスト情報でなくて申し訳ありません。私の記憶のなかの彼らの音博パフォーマンスと照合するに、私が勘違いする程度には相似点があり……多分演ってたと思います。間違ってたら情報ください)。

図:ステージエリアとフードエリアのあいだにある池と、おそらくアオサギ。ステージエリア付近にいても、ときおり鳥の声がクロスする。駅からのアクセスがよく、大小の鳥も人も憩う。稀有なほど恵まれた環境で音楽も飲食も街の魅力も堪能できてありがたい。

“アルバムでティグランのバックを支えるのは、彼のトリオでベースを務めるマット・ブリューワーとドラマーのジャスティン・ブラウン。”(HMV & BOOKS Onlineサイト>Standartを参照

“ピアノトリオ編成を基本とし、ダブルベースにマット・ブリューワー(Matt Brewer)、ドラムスにジャスティン・ブラウン(Justin Brown)という布陣。”(Musica Terra>鬼才ティグラン・ハマシアン、独創的な解釈で魅せる初のスタンダード曲集

録音作品としてのアルバム『Standart』のベーシック隊と、今回の音博ライブメンバーは異なるようです。誰とでもステージの空気を神聖なものにできるってすごい。もちろん誰とでも、とはいかないでしょうけれど……然るべきメンバーと固有の時間を降臨させられる、私の知るべき深淵な世界を感じます。闇だよ、宇宙だよ。

参考リンク Mikiki>ティグラン・ハマシアン(Tigran Hamasyan)『Standart』聴き慣れたスタンダードがアルメニアのランドスケープに取り込まれ、ジャズの可能性を広げる

ティグラン・ハマシアンの何が凄いのか、無知な私にその魅力の正体に迫るヒントをくれる高見一樹さんのテキスト。

メンバーそれぞれが超活躍

Jeremy Dutton(ジェレミー・ダトン)の独奏の映像。Cycle Studios>Jeremy Dutton x Cycle Studios: Solo Sessions(YouTube)へのリンク ブラシの摩擦音から次第に熱が芽吹いていき、音博ライブで感じた彼の多彩な音が現れます。どんな楽器を演奏するにしても、耳をはじめ体ですべての空気を知覚する。体も空気も魂も、全部含めて楽器:演奏となって音楽が顕現するのを思い知ります。

Jeremy Dutton『Anyone is Better than Here』(2023)収録『Opening Credits』
Harish Raghavan『In Tense』(2022)収録『AMA』

音博ライブでTigran Hamasyanと演奏を共にしたメンバーそれぞれが自身の作品を発表。それらがことごとく良い。広がります。宇宙です。

Tigran Hamasyan Webサイトへのリンク

Harish Raghavan Webサイトへのリンク

Jeremy Dutton Webサイトへのリンク

図:京都音博2023(10月9日)終演後。この広い芝生を観客が埋めた。あらためてその広さを実感。芝生をきれいに保つ苦労を思う。

京都音楽博覧会2023(10月9日)寸評

秦基博。ボーカルのメロディアスと呼応したわびさびあるハーモニーがなす楽曲の芯の強みは、くるりと通ずるところも見出せる。あんな美しい曲たちを書いてしまう私の認知していた秦基博の表面のイメージと裏表一体になった繊細さと誇りの高さ、彼の背中を手厚く支えるバンドメンバーの確かな演奏が薫った音博ステージ。

Saucy Dog。ボーカルギターの石原慎也さんの天性。銀盤の国民的妖精か、ブートキャンプの隊長かを思わせる。どこまでもコントロールされ、突き抜け、ほとばしり、繊細で可憐でエネルギッシュなニュアンスをスロットマシンのようにめくるめくさせる歌唱。ドラムスのせとゆいかさん、ベースの秋澤和貴さんもダイナミクスとメリハリあるグッド・サウンドを出しており魔法陣が降臨していた。控えめに言って良いバンド。普通にうらやましい。激褒めして奇跡のカリスマ。拳が天に届きそうな卓抜したステージ。

sumika。なんでこんなに出音がきれいなのか。どんなチートしてんの?と酔っ払って絡み執拗に粘着して訊きたい。鍵盤を操る魔術師がいればどのバンドもこれほどフレーミングのよい音になるとは思えない。いてほしいところに音がいる。各パートのポジショニングのハマりのよいバンドの出音に、ハスキーとも違うが太く魂のコシの強さを感じさせる片岡健太さんのボーカルが対になってハマり、映える。ライブ慣れしていて、お客さんと楽しむことにまっしぐら。熱くて爽やか。

坂本真綾。なんでこんなに出音がきれいなのかについてはsumikaの項と以下同文。新しく独創的でいることへの真摯さを感じるトリッキーで複雑な楽曲群はくるりとの共鳴も感じる。絵の具のしたたる筆を画用紙に向かって振り飛ばしたような目のくらむようなボーカルフレーズをパパっとあざやかに精密に統率・遂行し、小柄なのに特異な存在感をステージで放つ。真っ直ぐに目をみつめて手を握って説きほだすような『菫』の曲想が、トリッキーなセットリストで激映え。美曲極まる。サビの歌詞最高。

Tigran Hamasyan“StandArt”は先述のとおり、私の腰を浮かせ、ステージ前に走らせた。当日の朝にかけて夜行バス移動だった私の疲れも眠気も吹き飛んだ。カフェインにも恋愛にもない音楽の劇薬効果を思う。ラフラフ&ダンスミュージック。驚きと尊敬と楽しさでただただ私は終始、口をあんぐりといっぱいに開けて笑っていた。直前に飲んだバックスキンビールの格別の悦楽が相乗したのかもしれない(なんだ、アルコールの効用かよ……いやいや、その前から飲んでたし)。踊った、踊った。

図:京都音博2023(10月9日)、角野さん前の転換中ステージ。アップライトとグランドの生ピアノが対面で並ぶ異形セット。観客の好奇を激浴び。

角野隼斗。アコースティックピアノのサウンドひとつとっても、直前のティグラン・ハマシアンといかに個性が違うものか。楽器はプレイする人間を映す。細身で手指も繊細に見える彼から複数の糸が連綿と無尽蔵に湧き出でる。オープンエアに溶けてしまいそうな繊細なダイナミクスに彼の主戦場、コンサートホールで聴きたい欲が私の胸に顔を出す。『大猫のワルツ』に込められたクラシック語彙の輪廻はくるり曲にみるロック語彙の転生、同時に猫への愛情も思わせる。縦型ピアノのプレイヤー側の面板を外し内部機構・ピアノ線を露出させ、片手でさわりながらミュートするプレイはロックギタリストでパーカッショニスト。ピアノは一台でオーケストラに相当すると俗にいうが、リズムとダイナミクスの光陰にさらなる革新の息吹。躯体は小さいのにアップライトのほうが太くて暖かいサウンド。マイキングの意図も感じる。後半のステージはオルタナティヴ・ロックのマインドだ。『Jubilee』の岸田繁さんとの共演では前半とはグランド・ピアノが違う楽器に化けた。楽器は人を映す。楽曲は人を憑依させる。

図:京都音博2023(10月9日)くるり前の転換中ステージ。2台ピアノの次は手際良く2基のドラムセットが出現。雨が降らずにもちこたえ、日の落ちた曇り空に照明が映える幻想的な時刻。

くるり。森信行さんのドラムに泣く。キックの音ひとつとってもその人が表れる。甚だ個人的なことだけど、私の京都音博経験は今回が2回目で、以前は2010年。“くるり ザ・セッション”として森さんが参加して以来の音博参加の私は、森さんのドラムに同じ場所で再会した。「だから何?」だろうけど、くるりのアルバム『感覚は道標』のタイトルが示す通り、感覚が導く不思議な縁や巡り合わせは存在する。アルバム曲から『In Your Life』『California coconuts』。セトリ短めの音博であと1曲アルバムからやるならプロモーションのショート動画でも森さんが活躍する『世界はこのまま変わらない』一択だと思った。その通りになったが石若駿さんとのツインドラムとは「世界」のスケール感が出た。“君が居なければ”である。君や私を含む世界も音博もくるりも、常に少しでも良いほうに変わろうとしてそうなっている。『世界はこのまま変わらない』は私にとって希望の歌だ。バンジョーを見て『リバー』だといいなと思った。そうなった僥倖。『ブレーメン』『潮風のアリア』……くるりの歌はどれも私にとって希望の歌だ。何度も泣くかと思ったが、本当に泣くこと数度。多分また泣く。

図:京都音博2023(10月9日)終演後の京都駅前。“くるり色”ライトアップとなった京都タワー。B1F〜2Fでは“α-STATION × KYOTO TOWER SANDOSPECIAL SATELLITEくるりのさんど”。音博2023前売券orリストバンド提示で多様な特典を提供(2023/9/30〜10/9)。地下の飲食フロアは23時まで営業。京都の街を実際に歩くと、終電直前まであと少しだけ過ごせるゆるい場所が意外と貴重なのだと実感。知恵と発想と地域資源の組み合わせで、地元と一体になってシナジーする優れた企画です。

青沼詩郎

京都音楽博覧会2023 公式サイトへのリンク

くるり 公式サイトへのリンク

Tigran Hamasyanのアルバム『Standart』(2022)

くるりのアルバム『感覚は道標』(2023)