確かで儚い境界
かっちりと精緻なビートが一歩一歩着実なテンポを表現し、倍音豊かできらびやかなストリングスやエレキギターのサウンドを率いて草野さんの清涼な歌声がふわふわと地面を撫でては舞い上がります。
サビのメロディの動きに目をこらすと主和音を分散でとっていて(「どうか正夢」→レーシレ、シレソラ)、メロディに動きがあって華があるのにきわめてなめらかで調和した印象なのが美メロ・美曲の秘訣の一つかなと気づきます。
対照的にAメロのボーカルメロディは同音連打が多く直線的。Bメロはメロディのリズムにひとくせ個性を出していて音程のうつろいはなだらか。サビは緩急に富み、AメロやBメロにない要素を試みる・あるいはABメロを発展的に扱うようなメロディ。2コーラス+間奏明けサビの必要十分構成。感覚で導いているのだとしても、欲した工夫や変化を満たすべくひとつひとつのアイディアを意図的に発想して組み立ているのだとしても、教科書にのせたいと思うようなお手本的要素に富むソングライティング。
主題の「正夢」の「正」は強く確かな印象の形容なのに、「夢」がつくと不確定で稀(まれ、レア)で運まかせで儚いものに反転するところがスピッツ流の、歌心どまんなかを行くのにフックがあるポリシーが感じられます。もちろんそのままで一般名詞としても機能するのが「正夢」。夢でみたことが現実と重なったとき、ふたつの区別は小さなものになります。夢を現実たらしめるべく生きようというモチベーションが生じませんか。あるいは現実を夢みたくデザインしてやろうという気持ちも。想像の自由な赴きを指して「夢が広がる」なんて表現もしますね。現実も夢も「正夢」のふろしきのなかに包まれています。
正夢 スピッツ 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:草野正宗。スピッツのシングル(2004)、アルバム『スーベニア』(2005)に収録。
スピッツ 正夢を聴く
サウンドの通年の安定感がすごい。音像は意外と2D(平面)の額縁におさまっているような印象で、うるうるで豊なサウンドで満たされてもいますがひとつひとつのトラックのなす仕事が濁っておらず、それぞれが凛として立っているような聴き心地がします。
エレキギターのサウンドのクリーンな増幅感がキラキラしています。あのキラキラのほうへのぼってく……との歌詞との同調を思います。
カッチリとしたドラムの印象が私の思うスピッツ印のひとつです。スカン!と乾きと鋭さを感じさせるスネアのサウンド。サビなどでキックが16分音符の単位でグルーヴを出しています。おおらかな曲調に緻密な定規の目盛りを与えてもいるのがドラムプレイです。パシャーンとここぞでエフェクティブなシンバルが鳴ったり、間奏を経てサビにいくときを煽るタム類の轟音がすさまじい。
正夢との主題の演出を図るように、声のトラックを重ねてドリーミーに仕上げるアプローチもありうるのではと平凡な頭で考えてしまう私に反して、草野さんのボーカルトラックは終始単一で、ハーモニーやダブルを重ねていません。正夢に願いをかけつつも、現実の線が絶対的に揺るがずに孤独に輪郭を強めているみたいな儚さがあります。極めて安定しているのに、何者にも溶けてくれない芯の強さがおぞましく、おそろしいのです。幾星霜を貫く絶対的な孤独を思わせるのです。世界はこんなにもきらびやかではなやかなのに。このおぞましさがスピッツに私が感じる美しさの感性です。いくら個々が共存・調和しても輪郭が濁らないのです。
「ソーファ♯ーミーレミソードー」のストリングスのキメがサビ前を逐一アナウンスします。これが来たらサビだぞと。儚くおぞましいスピッツの個性と一般のリスナーを接続してくれる仲立ち人、世話人のような機能をしてくれているのがストリングスの音色や意匠だと思います。本作は亀田誠治さん&スピッツによるプロデュース・編曲名義になっています。スピッツの個性と大衆の耳になじむバランス感に秀でたアルバムです。
“あの キラキラの方へ登っていく”
(中略)
“ずっと まともじゃないって わかってる もう一度 キラキラの方へ登っていく”
(『正夢』より、作詞:草野正宗)
キラキラとの抽象的な表現を上方に据えます。キラキラは夢の象徴でしょうか。ただの幻影……いえ、幻光かもしれませんし、反射しているだけでそこへ向かったところで何もないかもしれない。ただ自分が高みに上り詰めただけで……皮肉や冷笑ととらえてしまっては陳腐な解釈かもしれません。夢や理想を抱き、キラキラに向かう意思や希求の態度を否定するものではありません。すべての因果を、おのれの一歩一歩の結果をそれぞれが引き受けるだけです。やさしくて冷たいのが私の思うスピッツ曲の特徴です。
青沼詩郎
『正夢』を収録したスピッツのアルバム『スーベニア』(2005)