MV

サラリーマンに扮した奥田民生。冴えないふうです。妄想とリアルが混じったようなシュールな映像がつづきます。「SONY」のネオンを背にしてギターを持って立つカットが笑えます。エンディング付近では直接的にマシマロの背景。頭の上にマシマロが現れても、改札は通れない。ヘンテコな世界が映像で伝わってきます。

曲について

奥田民生のシングル、アルバム『GOLDBLEND』(2000)に収録。作詞・作曲:奥田民生。

歌詞の連想のおもしろさ

“雨降りでも気にしない”

“遅れてても気にしない”

雨が降ると足元がわるくなります。雨対策をしないと家すらも出られない。歩いて駅へ向かうとかでしたら、雨に強い靴を履いて片手に傘を持てば済む話かもしれません。でも自転車通勤だったら大変。自分の体や服や靴や荷物を雨から守る対策をした上で家を出なければいけません。いつもとおんなじ時間に起床したうえでそんなことをやっていたら、遅れてしまいます。

“遅れてても気にしない”

“笑われても気にしない”

遅れたから笑いものにされるというつながりはあるようなないような。でもどちらかで言ったらつながりは「見出せる」と思います。冷たくされるくらいでしたら笑われた方が救いがあるかもしれません。冷たく笑われたら結構ショック。

“笑われても気にしない”

知らなくても気にしない”

無知な者は笑われる……というつながりはありそうです。無知を笑う者には絶対になりたくないと個人的には思います。

“知らなくても気にしない”

“君は仏様のよう”

無知悟りはとても深淵な関係があるような気がしてなりません。私の偏見です。

“君は仏様のよう”

“広野に咲く花のよう”

仏とつながりがありそうな花といったらなんでしょうか。曼珠沙華とか蓮の花とかでしょうかね。広野にぽつりと咲く孤高仏様のイメージはなんとなく重なるところがあります。

“だめな僕を気にしない”

“ひげのびても気にしない”

ひげそりをサボる奴はだめな奴だ……というのはさもありなんといった感じ。母親が息子の伸びた髭を批判するのは息子あるあるでは。あなたも息子だったら経験があるのでは。“だめな僕”から“ひげのびても……”という、反対の流れが良いですね。

“ひげのびても気にしない”

“うしろまえも気にしない”

ひげを気にしないどころか“うしろまえ”まで気にしないだなんて! うしろまえがあんまり無い感じの、どっちを前にして着ても良さそうなTシャツ、たまにありません? 映像(MV)では人々の歩みが逆まわしになる演出がありましたね。なるほど、そういう“うしろまえ”も確かにあります。

“うしろまえも気にしない”

“定食でも気にしない”

定食は、複数の種類のお皿に乗った品物たちが同時に提供されるお食事の形式です。うしろもまえもありませんね。……というのは後から思い至ったこと。“うしろまえも気にしない”から“定食でも気にしない”につながる流れは意味がわからなくて愉快です。“定食でも気にしない”とはどういう心持ちなのでしょうかね。ほんとは定食じゃないほうがいいと一般に言われるけど僕は定食でも気にしないぜ、という態度でしょうか。ほんとは定食じゃない方が良いという価値観ってどんな理屈でしょう。お手頃でリーズナブルで安価(全部おなじ意味)だから、もっとぜいたくをしたいのが本音だ、という思惑でしょうか?? 私も定食でもまったく気にしませんね。というか定食を選びますね、むしろ。むしろむしろ、定食以外でも気にしないです(だから何)。

“君はまるで海のよう はるかなる太平洋”

定食でも気にしない人のうつわの大きさときたら、まるで海のようだ……という連想だとしたらこれまた愉快です。定食でも気にしない人のうつわ、相当でかいぞ! 海と来たら太平洋だという発想はいかにも東海道本線側の発想です。なんで鉄道でたとえたかって? そりゃぁ太平洋ときたら東海道本線じゃないですか!!(説明放棄)

“たたずまいは母のよう さとりきっているかのよう”

太平洋から連想される母とは、本当に偉大です。というか、“太平洋”からの“たたずまい”の頭韻(語句のアタマがおなじ響き。ここでは「た」ですね)がまず気持ちよく、“たたずまい”からつながる“母”かもしれません。母のたたずまいってどんなでしょうか。帰りが遅くなった少年の僕を叱らんと待っている母のたたずまいとか、怖いです(私的経験)。海のようなたたずまいの母はさとりの境地ときたもんだ……ここで前のサビの仏様が利いてきます。

“げにこの世はせちがらい その点で君はえらい”

この世の世知辛さを認(したた)めている、それは“さとり”なのかもしれません。“その点で君はえらい”。これまた可笑しいです。歌詞に出てくることばで「その点で」なんて言い回し、他の曲では私は一切知りませんね。すごいオリジナリティです。“せちがらい”からの“君はえらい”。脚韻(語句のおしりの韻が踏まれていること。頭韻の反対ですね)ですね。からい・えらい。気持ちいい押韻です。

“凡人にはわかるまい その点この僕にはわかるよ”

仏様、海、母……非凡(平凡?普遍?)で尊い存在がいくつも出てきています。もはやここは特別な境地なのです。“せちがらい”からの“君はえらい”からの“わかるまい”。脚韻はまだ続いていましたね。気持ち良い言葉の響きがリフレインします。こういうことばのリフのセンスはギターリフのセンスと直結しているかもしれませんね。魅力的な歌とともに魅力的なギターを弾く奥田さんの強みかもしれません。“その点”、また出た!! 凡人にはわかるまいこと、“僕”にはわかるのですね。やはり非凡です。

“君とランチをたべよう いっしょにパイを投げよう 君のスカートの模様 部屋のかべ紙にしよう 君に口出しは無用 ただ静かに見ていよう 君とともにいれるよう 日々努力し続けよう”

たたみかけます。“君”ではじめて、“〜よう”で結ぶ。頭韻・脚韻で統一。無秩序な思いつきの集合かと思わせておきながら、ここの一連で曲をグッグッグっと引き締めています。カッコイイ。

定食からの脈絡を感じるのがランチ。“定食でも気にしない”というのは、ほんとはランチがいいっていう人が多そうだけど僕は定食でも気にしないぜ、という意味なのでしょうかね。ランチと定食の違いってなんでしょうか。西洋由来のメニューか、日本食かの違いでしょうか。形式面で、料理がいっぺんに出てくるランチは一般的です。提供形式が問題ではなく、見た目も華やかでオシャレな洋食をよしとする風潮なんか俺は気にしないぜ(茶色っぽいおかず・汁に白いメシ……すなわち「定食」、気にしないどころか大歓迎だぜ)ということだったのでしょうか。そもそもそれを“気にしない”とおっしゃっているのですから、私は気にしすぎかもしれません。君とランチ、たべたいですね。

パイ投げは大昔テレビのバラエティ番組でよく見た光景です。ランチ、という西洋由来のことばからのつながりでパイが出てくるのは飲み込みやすい流れですが、“たべよう”から“投げよう”になっちゃうところが可笑しい。バラエティ的には絵になりそうです。食べ物で遊んじゃだめー!って子供には言いますし、私も無駄にしたくないのでパイは投げません。これ、雀牌のパイじゃないですよね? どっちにしたって、投げたらだめー!

ランチパイとカタカナを拾っていき3つめにここの一連で出てきたカタカナがスカート。“〜よう”の脚韻は「〜しよう」の意思を意味する「よう」以外にもありました。“模様”(もよう)を登場させているのです。それをかべ紙にしようだなんて……確かに、スカートの模様って魅力的なものが多いですよね。イングランドのバグパイプ吹きのオジさんが着ているスカートの模様とか好きです。タータンチェックっていうのかな。

仏様とか母殿とか海(太平洋。よう!)とか、尊いものがたくさん出てきていますが、そんなものと並んで尊大な“君”には口出しなんか無用なのです。黙って、しかし確かにはっきりと観察し見守りたいものです。あわよくば私も、尊大な存在に近づきたいと思います。だから、尊大な存在の態度やふるまいに習うべきですし、倣うべき。

尊大な“君”と一緒にい続けるために、私もそれの近くにいられる尊大さを少しでも身につけなきゃならない。いえ、ならなきゃいけないことはないでしょうけれど、そうありたいと願う心に共感します(どこにそんな心があるのか? 私の勝手な解釈です)。だから、努力し続けようと意思を持ちます。

“マシマロは関係ない 本文と関係ない マシマロは関係ない”

出たー!出ました! 主題のマシマロ。これまでのどっっっこにも、いっっっかいも出てきていません。なーんも関係ありません。ポンと出てきました。ポッと出です。脈絡もありません。事件です。天災です。天才か。“本文と関係ない”。まさしくおっしゃる通り。なんでマシマロなのー。

と思いますけれど、とりとめのなさをひとくくりにして飛躍した発想で結ぶのに“マシマロ”以上のものはないと思わせる説得力があります。いえ、説得力なんてマシマロのどこを切っても存在しないと思うのですが、それが説得力の反転。影で本体を表現している感じ。

歌詞というものの価値観。そのネガポジを反転させたような革新の一曲が奥田民生『マシマロ』だと私は思っています。

青沼詩郎

(以上、“”内ボールド・イタリック体部分は『マシマロ』作詞:奥田民生より引用)

奥田民生 公式サイトへのリンク

『マシマロ』を収録した奥田民生のアルバム『GOLDBLEND』(2000)

ご笑覧ください 拙演