映像

レコード大賞

階段の高みへ歩んでいく彼。右から左へ向かって分け目のあるカールした前髪。やがてサビの前には階段をおりてステージへ。朗々と顔面を全開にして張りとツヤある声でマイクが歪まんばかりの声量をかまします。いや〜もみあげがすごい。いえ、失礼。歌声がすごい。最後のロングトーンはこれでもか!っという感じ。首をなめらかに左右させ、マイクをパっと離し曲が終わります。映像は「レコード大賞」のもののようですね。1971年の年末におこなわれた第13回レコード大賞、そのタイトルを冠する大賞が尾崎紀世彦『また逢う日まで』です。

後年?

ちょっとテンポがはやめですね。軽快なノリです。ひげをたくわえた風貌。頭髪の立体感は若い頃に分がありますね。歌メロディにすこし崩しが入りました。長年歌い慣れて変化していったのかもしれませんね。なんとなく日本語非ネイティブの歌い手の発音みたいに感じます。海外で生活した経験があるのでしょうか。尾崎紀世彦はハワイと縁の深い人のようですが……。日本人ばなれした濃い顔に思えます。顔の造形は歌声と無関係ではないでしょうね。最後にサビが繰り返すところでは大胆にオケを消すアレンジです。

曲について

尾崎紀世彦のシングル(1971)。作詞:阿久悠、作曲・編曲:筒美京平。

もともとズー・ニー・ヴーの『ひとりの悲しみ』(1970)という曲でした。

https://youtu.be/rfY0nJu1rvo

さらにさかのぼるとその前の由来もあるようです。(パナソニックのエアコンのCMソング候補曲だった

曲のテーマや歌詞を修正して、尾崎紀世彦のシングル曲にしました。曲はアレンジを踏襲していてズー・ニー・ヴーのものとよく似ています。

尾崎紀世彦『また逢う日まで』を聴く

ぱっぱっぱぱ〜ぱぱ! というイントロが印象的。

右からマリンバのトレモロ。左からゴキゲンなピアノが聴こえてきます。

イントロで華だった金管楽器は歌のすきまにちょっとしたオブリガード。

コーラスがサビで入ってきますね。

ワンコーラスした後の感想のコード進行が好きです。

Ⅶ♭→Ⅰ→Ⅵ♭→Ⅴ。

筒美京平の洒脱なセンスを思います。

サビが最後に繰り返すところではコーラスの重唱。「デュル、ルル……」といった発音でコーラスしていたものが、歌詞でハモってきます。

リズム隊(ベース・ドラムス)は16ビートで意外と細かい単位でプレイしています。

左のストリングスが右のマリンバと示し合わせたようにフレーズを合わせるところがおしゃれ。サビに入る前の折り返しのあたりなどにみられます。

歌詞

“また逢う日まで 逢える時まで 別れのそのわけは 話したくない”(尾崎紀世彦『また逢う日まで』より、作詞:阿久悠)

どんな気持ちなのでしょうか。なぜ話したくないのか? 伝えること、明かすことの自由はその人にあります。

“ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して その時心は何かを話すだろう”(尾崎紀世彦『また逢う日まで』より、作詞:阿久悠)

ドアをしめる、名前を消すといったアクションは、合意のもとに別れることの象徴でしょうか。そうすることで、話したくなかったことすらも自然に心が通うということなのか……? 意味はわかりかねる部分が残りますが、その分想像の余地も多いですね。

なんだか“ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して”は、ふたりがいい雰囲気になっている最中みたいでちょっとエロい感じもしてロマンチックで素敵です。“名前消して”は具体的にどういう行為なのかわかりかねるますが、抽象度高い詩的な表現かもしれません。名前がつくというのは、それの存在が認知され、そのアイデンティティが確立されたときに起こることではないでしょうか。それを指し示すために、便宜上「名前」があることで意味えを共有できるのです。“名前を消す”には、そうしたすでに確立された何者かであることをやめる、というニュアンスを感じます。そこには、変化を希求し成長していかんとする態度の心があるのではないでしょうか。

“話したくない” “知りたくない” “ききたくない”

否定、強い打ち消しの形をした言葉づかいも、ポップソングの中ではしばしば聴き手に強い印象を残す作用をします。

感想

尾崎紀世彦の歌声のみなぎるエネルギー、ツヤと照りこそがそのままこの曲の引っ掛かりでもあります。この説得力ある歌声で“話したくない”などと否定の語形を持ち出されるともはやリスナーは抗えません。無抵抗で歌声の魅力に揉みしだかれるのです。

筒美京平の音楽の洒脱も分量としては控えめですが要所に光っています。これくらいのほうが受け取りやすい気もしますね。

青沼詩郎

Wikipedia > 尾崎紀世彦

『また逢う日まで』を収録した『ゴールデン☆ベスト 尾崎紀世彦』

ご笑覧ください 拙演