いろいろ聴き比べ
ハイウェイメン『Michael』
のんびりした口笛。ゆったりしたテンポ。左に右にそれぞれアコギ。主題の“Michael, row the boat ashore ,hallelujah”×2をみんなで歌います。この定句のラインでそれぞれコーラスごとに違った歌詞をはさみます。
メインボーカルが入れ替わり立ち替わり。コーラスごとにメインが別の人になっているようです。音の定位も微妙に変わっていますし、シンガーの個性もそれぞれあるのが聴きどころ。コーラスのアレンジも要所で光ります。ミュージシャンたちの輪を感じるアンサンブル。
口笛に託された主題が感情を超越した含みを表現するようです。
Peter, Paul and Mary
クリアで近い音像、やわらかなギターが録れています。右に振ったボーカル、左に振ったボーカル。中央にいるボーカル。バックグラウンド・ボーカルの規模がかなりのもので、キャンプファイアを囲んでというよりもコーラス隊のよう。女声がいっぱいいます。
ギターは左右にいます。コードはときおり低音位を下行させたパターンをみせます。
途中からボーカルの熱量が上がっていきますね。フェイクとまでいうかどうか、即興的なメロディラインで主題を歌います。
結び付近では伴奏をジャランと伸ばして平静にまとまります。
Pete Seeger 90th Birthday Concert
かなり大きな会場です。観客のざわめきが空間にとろけます。ギターのストローク、バンジョー? フィドル(ヴァイオリン)。女性ボーカル。かなりたくさんの華のあるミュージシャンの影。聴いたことのある歌声がいると思ったらルーファス・ウェインライト。湿度のあるねっとりとした独特の声に存在感があります。私の意識がほかのシンガーそっちのけになってしまいました。
ピート・シーガー90歳記念コンサート?! 彼はどこにいるのでしょうか。この動画内には90歳の男性はいなさそうです。センターで存在感ある黒いポロシャツの大柄な男性はティム・ロビンスか。
Pete Seeger ソロ
ペンペンと鳴るバンジョーはカントリーの三味線といったところでしょうか。指でコチョコチョと軽やかに鳴らしたり指でアルペジオ風にしたり。ストロークの右手で忙しく聴衆にはたらきかけ、コールアンドレスポンスを促します。フェイクでかなり高いところも歌います。
バンジョーのストロークはときおりロックンロールギターのように5度音⇔6度音で動かします。エンディング付近のフェイクもかなり熱いですね。さらっと和音を置きバンジョーも置きます。かっこいい。
Brothers Four
軽快なテンポ。単音中心の近くてクリアな音像のアコギ。左にストロークのアコギ、右にバンジョー。男声がいれかわりたちかわり。レスポンスの定句“Michael, row the boat ashore ,hallelujah”はやはりみんなで歌います。斉唱の揃ったタイミング、個々の声量の合算にパワーと勢いを感じます。エンディング付近は自由なフェイクボーカルも。
ザ・ドリフターズ
“hallelujah”が「晴れるや」だとか「腫れるや」になってしまいました。コミカルな表現ですね。「〜〜ヤ」とさまざま変化していきます。韻を踏んだ遊びがすっとぼけています。いちど出てきた歌詞は基本再来しません。エエ声と声量でちからいっぱいコールアンドレスポンス。お遊びこそ真剣に全力でやるからこそ笑いに変わることを教えてくれます。最後に“やぶれた恋に” “泣けるや”でちょっとせつなくさせて憎いです。
声のハーモニーのパワーが快いです。管楽器も華やかで厚みがあります。軽快で跳ねたグルーヴ。スウィングしています。エレキの裏打ちも軽妙。“ヤケ酒飲んで……”のガナったボーカルのわざと臭さが肴になります。
曲について
「キャンプソングでしょ」くらいに思っていました。
「こげよマイケル」と日本語のタイトルで知っていました。
マイケルさんは日本でいえば太郎くんみたいなありふれた人名くらいに思っていました。
そんなありふれた太郎くん、ボートを「こげよ」。「野外活動ガンバレよ〜」程度のエンヤコラソングだと思い込んでいました。
……全然違いました。
もとは南北戦争(1861-1865)時に記録された黒人霊歌、とのことです。
(あくまで記録が確認できたのがその時で、それよりも前からあった?)
そう、マイケル。マイケル……大天使ミカエル。
ありふれた太郎くんなんて言って失礼しました(太郎にもマイケルにも天使ミカエルにも申し訳ない)。
川というのは、この世とあの世をわける境界。そのむこうに、天使ミカエルよ、どうか小舟を漕いで私を連れて行ってくださいまし。
そんな、生の苦しみからの解放を願う歌だったの?!
私の妄想と誤解が入っているかもわかりません。
でも綿摘み歌とかいったワークソングもそうだと思いますが、苦しみを歌うことでまぎらわす機能がこういった歌にはあるのかもしれません。
たとえ今この場をしのぐだけだとしても、歌が刹那の命を未来につなぐのだとしたら、それは即物的で役に立つモノ。ムダを謳歌する芸術でもなんでもない命の恒常がここにあるのだと思うと、「こげよマイケル」を私がいかに勘違いしていたかを思います(というのもまた何か大きな勘違いかもしれません)。
世界の民謡・童謡 > Michael, Row the Boat Ashore こげよマイケル
川の向こうはあの世。そちらへ行きたい=希死。というわけでもないのかもしれません。ただただ、生きるとか死ぬとか別にして、楽になりたい。楽園に行きたい。それだけのこと?
自分を苦しい境遇においている、自分の力の及ばない運命へのあてこすり……というのもあるのでしょうか。あるいは、もっと直属的に、自分に過酷な労働を強いている権力者へのあてこすりか。まわりくどくねじまげたり、一見(一聴)関係ないような比喩や暗喩を歌うことで、「運命さん」や「権力者さん」にはバレることなく、自らのやりきれない思いや不満、苦悩を昇華する機能が「こげよマイケル」のような歌にはあるのかもしれません。そういうのがゴスペル・ソング、ブルースとかのタネなのかな。ジャンルに限らず、歌に託される通底した祈りかもしれません。
今日知られている「こげよマイケル(Michael Row The Boat Ashore)」は、すでにフォーク歌手によって改変されたもののようです。だから、奴隷たちの苦しみからの解放の願いを「今の形の“こげよマイケル”からだって読み取れる」というのは私の思い違いかもわかりません。息の長い歌にしばしば見られる変遷。進化ともいえるかもしれません。
後記
歌本や教科書に載っているので知ってた『こげよマイケル(Michael Row The Boat Ashore)』。でも何も知らなかったんですね、私。今でこそ、なんら正確な知識を蓄えたわけではないけれど、“hallelujah(讃える)”に何らかヒトの希望(のぞみ)が込められていることだけは、ちょっとだけ思い知った気がしました。
きっかけは、なんとなく60年代くらいの曲を適当にランダム再生していて行き当たったハイウェイメン(この記事の冒頭に貼り付けたのとおんなじ音源)の「Michael」が良かったこと。
ぴーぴーぷー♪という口笛、オットリした曲調に微妙な哀愁があります。優しい「レスポンス」の斉唱ボーカル、個性の違いある「コール」の独唱。いなたい感じが良い。自分の声で歌ってるじゃないですか。ハイウェイメンだけじゃないかもだけど。
青沼詩郎
『Michael』を収録したThe Highwaymen『Still Rowing!』(配信専用タイトルか)。
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Michael こげよマイケル ギター弾き語りとハーモニカ』)