MV 街中華?
中華店でしょうか。ラーメンのようなものを食べています。笑顔。おいしそうです。
料理がひとしな、またひとしなと増えていきます。炒め物のような平皿、とろっとした質感はなんの料理でしょう。ふかひれか何か? シュウマイもでてきます。
曲の本編と関係あるようなないような、和む映像です。どこかの街の中華飯店にいる、くるりメンバー。扮する? 主人公か。暗に、映像のなかにはいない、どこかほかの街(街以外)にいるであろう“君”を感じます。
ツアーなどで、たくさんの街を渡り歩いているであろうくるり。旅の中で、数えきれない「君」のような存在と出会ったりすれ違ったりしてきたのかもしれません。
服装は冬もののようです。月がきれいに見える季節……秋か冬の夜の澄んだ外の空気を想像します。
YouTubeで公開されているものは、曲の大部分はカバーしつつも、エンデイングが短く編集されています。
一部のサブスクリプションサービスでフル尺の視聴が可能のようです。
Apple Music くるりの三日月のMVのリンク
https://music.apple.com/jp/music-video/%E4%B8%89%E6%97%A5%E6%9C%88/305014331
QMVでみるフル尺と裏話
くるりのミュージックビデオ集『QMV』(2020)にフルバージョンとオーディオコメンタリーが収録されています。オーディオコメンタリーではこのお店についてや従業員のその後の話、楽曲収録当時のメンバー編成、同時期に収録した曲の話、当時の岸田さんの心身面の話などが交わされます。とろっとした質感の料理の名前が明かされていますね。お店の名前は映っている小皿に記されたロゴがヒントか。語らうメンバーの音声を聴きながら、視聴者も和みながら映像を楽しめます。
曲の名義など
作詞・作曲:岸田繁。くるりのシングル、アルバム『魂のゆくえ』(2009)に収録。
くるり『三日月』を聴く
3連符のピアノリフが印象づけます。何かの象徴かと想像。
ラ ファ♯ シ・ラ ファ♯ シ……
イントロで提示され、曲の終尾付近でも再び現れます。そのときには冒頭よりもはっきりとⅥmの響きの物悲しさを下敷きにしています。
恒久な自然の潮流のような……曲名にある通り、静かに浮かび、確かにそこにあり続ける月のようなピアノリフです。
コード出しの主役もピアノ。よく聴いていると、ボーカルメロディをなぞる・寄り添うような動きをちらつかせます。高速道路や鉄道のトンネルから見切れる外の景色みたいです。つかず離れず、主人公を見守るよう。フレーズの天井がせりあがったり、ちょっとしたモチーフの提示やパターンづけのようなものも感じます。3連中2連など? リズムのおかしみも小気味良いです。ボーカルの孤独や哀愁を際立たせる美しいバッキング。雲の模様やかたち、街の明るさ……環境が三日月の表情をさまざまに変えて見せるような趣を醸します。
エレクトリック・ギターの音でしょうか、スロー・アタックな音が天球を交うようかのようです。ハーモニクスも混ぜたプレイでしょうか。硬質で透明な響きが要所にあらわれます。星が流れたようなオブリガードです。
誰かのことや、その人と過ごしたときのこと・場所を思い出してせつない気持ちになったり、孤独をつのらせたり、さびしさが込み上げる主人公を想像します。
感傷・繊細のボーカルやウワモノ楽器の対比になるのが、ベーシックの骨太さです。ドラムスやベースの厚く暖かなサウンドが主人公の足元を支えます。コンパクトな曲尺ですが、地平や天球の広さ、空間を演出する確かな演奏です。主人公の透明な吐息が夜空に溶けていくかのよう。
後奏はボーカルメロディがピアノに託されます。主人公の心情に向けられていたカメラが、三日月の浮かぶ夜空にパン。やはりこの曲において、三日月とピアノの存在感・ポジショニングが重なって思えます。
和音進行の気づき
音楽の句読点こと、和音進行についてです。三日月の浮かぶ空を眺める時間のように、息長めのカデンツが特徴です。かつ、歌詞の文章の区切りと和音進行の区切りが高精度でシンクロしています。どういうことか細かくみていきます。
1Aの部分です。
“この三日月を この三日月を どこか遠くの街で見つけたら” →|Ⅰ|Ⅲm|Ⅵm|Ⅲm|Ⅱm|Ⅴ|Ⅳ|Ⅴ|
“この三日月の この三日月の 欠片のことを教えてください” →|Ⅰ|Ⅲm|Ⅵm|Ⅲm|Ⅱm|Ⅴ|Ⅳ、Ⅴ|Ⅰ|
Ⅰ(主和音)を出発して、つぎにⅠが現れるタイミングと歌詞の区切れが合っています。
このブロックのアタマ・ちょうど真ん中の折り返し・このブロックのおしりに規則正しくあらわれるⅠ(主和音)。ことばと音楽が一緒になって「腑に落ちる」感覚は、こうした点に起因するかもしれません。くるりファンの私としては「くるりらしい」と思えます。
Bメロも見てみます。
“このため息が 君に届けば きっと誰よりも悲しむのでしょう”→|Ⅵm|Ⅲm|Ⅵm|Ⅲm|Ⅱm|Ⅴ|Ⅳ|Ⅴ|
Aの最初のラインと違い、アタマの和音がⅥmに置き換わっています。それ以外はほぼ踏襲しています。
“街のざわめきも 行き交う船も それぞれの想いを乗せてゆくだけ”→|Ⅵm|Ⅲm|Ⅵm|Ⅲm|Ⅱm|Ⅴ|Ⅳ|Ⅴ|(Ⅴ|)
Aメロはブロックのおしりで全終止(Ⅰの和音で止めること)しますが、Bメロはブロックのおしりが半終止(Ⅴの和音で止めること)です。しかも、最後のⅤの和音のひっぱりをちょっと余分に確保。Aブロックへの帰結感を強めています。
BメロではⅠ(主和音)が完全に行方をくらませているのです。雲に隠れた月の如く。
月は……月はどこなの?! と不安にさせ、音楽的なせつなさ・さびしさをつのらせ、肥やし、発酵(発光?)させたうえで、ようやくⅠに再会する3Aメロで、孤独な主人公の姿が歌詞によって紡がれます。くるりの説得力は、ことばと音楽の密接な反映関係によって生み出されていると理解できます。
歌詞
“君と出会って 僕は初めて ひとりでこの街を歩いてゆく この淋しさを この淋しさを どうかやさしさに変えてゆきたい どうかやさしさに変えて届けたい”(くるり『三日月』より、作詞:岸田繁)
音楽上の不安感をつのらせて引っ張ったBメロが明けたところの、3Aメロ。過去を思わせるほろ苦い部分です。この街で過ごすときは、君と出会って以降の主人公のそばには、きっといつも君がいたのでしょう。
「君と出会って僕は初めて……」と続けるからには、君のいる思い出が語られるのを想像します。それなのに、おそらく君との離別のあと、ひとり街をゆく主人公の姿が描かれるのです。どんな離別なのかわかりません。関係の変化としての「別れ」のようなものなのか、あるいは一時的に物理的に離れているだけなのか……さまざまな想像をします。
淋しさは、ストレスの一種かもしれないと思います。心理的・肉体的な負担や圧迫はストレスの要因として納得しやすそうですが、それまであったものがぽっかりとなくなる機会もまた、主人公に変化を迫るでしょう。そこに何かがある……たとえば支えのような、温かな、安心や充足の源が存在するとき、人はその状況に順応します。支えがあることを前提にした自分にシフトするのです。その支えが取り除かれたとき、堰を切ったように溢れ出るものは、詩になると私は思います。
後記とか雑談
くるりを私はなぜ好きなのか、その理由をさぐったことはこれまでも何度もありました。感覚として、くるりの音楽を好きな理由・その正体をなんとなく自覚してはいても、うまく言葉にするのは難しいのです。ましてや、他者に理解してもらえるように説明するのはなおさら。
『三日月』は3分間におさまってしまうコンパクトな曲です。それゆえに、ことばと音楽の骨格を視野におさめやすいかもしれません。前から大好きな曲でしたが、改めていくつかの角度で鑑賞してみると、自分がくるりを好きな理由を多少客観できた気がします。ことばと音楽の反映関係……ひとつ、これを認めました。コード進行と歌詞の句点の位置が合っているのです。『奇跡』『潮風のアリア』『ブレーメン』『ジュビリー』……偏見ですが、くるりレパートリーの中で特に私が好きな「ええ歌」感あるものをざざっと思い浮かべてみます。やはりいずれも、Ⅰ(主和音)を用いて帰結や安定をしっかり出すところは、歌詞における文章の「語りはじめ」や「言い終える」ところ、すなわち句読点(っぽい)位置と重なる頻度が高い気がします。私の脳内再生の段階で述べているので、精確に丁寧に分析したら仮説の否定要素がいろいろ出てくると思いますが……。
MVが、メンバーが中華を賞味している映像でしたね。ふと思い出したのは、いつぞやのNHKのテレビ番組『佐野元春のザ・ソングライターズ』。ゲスト出演した岸田さんが、佐野さんに「好きな言葉は」といった主旨の質問をされ、「ああ、おいしい」とかですかね……みたいな返答をしていたのを見た記憶があります(あいまい。私フィルター入ってます)。検索してみると、岸田さんの出演回が2010年8月。『三日月』のシングル・収録されたアルバム『魂のゆくえ』が2009年です。近い時期……といえるほどかわかりませんが、この頃のくるりや岸田さんがどういうものごとを大切に思っていたかの端々があらわれている気がします。それはきっと、今につながっているのではないでしょうか。
最近このブログで大黒摩季さんの『ら・ら・ら』を味わった記事を投稿したのですが、私が音楽(和音進行)の句読点に着目する流れ、そのきっかけがそちらにあります。『ら・ら・ら』は展開がスムーズなのに十分なボリュームを備え変化に富んだ曲。和音に注目してみると、理論上の句読点がかなり頻繁なところがありました。まるで新聞の記事のように、短く簡潔に句読点を打っているイメージ(もちろん、『ら・ら・ら』全編が必ずしもその限りではありません)。
対する『三日月』はじめ私の偏見によるフェイバリット・くるりレパートリーのいくつかは、和音進行の句読点単位が物語の「章立て」のような趣があります。実際に鳴っている音楽(和音進行)の展開と、音楽やことばが私の内側に生み出すイマジネーションの波長が合いやすいのかもしれません。
雲が月を隠しちゃって、しばし不安になって、また出てきたときのときめき。それに近いものを、くるりの『三日月』(ほかフェイバリット・ソングたち)が味わわせてくれるのです。
青沼詩郎
『三日月』を収録したくるりのアルバム『魂のゆくえ』(2009)
くるり結成20周年時のベストアルバム『くるりの20回転』(2016)。『三日月』ほか多数収録。
くるりのミュージックビデオ集『QMV』(2020)。『三日月』ほか多数収録。
ご笑覧ください 拙演