まえがき 人格を演じる 人格を味わう
クリスマスシーズンに演奏してほしい……などとご要望をいただくと、何をやるか考え出すのが11月後半のあるあるでしょうか。
町に出ると、お店や商業施設のオモテにはクリスマスさえ通り過ぎて「おせち予約」なんて文字も私の視界をよぎります。日数的にはクリスマスの数日後がもうお正月。ほとんど一緒です。
クリスマスシーズンに人前でやる曲……を思案して浮かんだメロディと日本語詞の断片が『もろびとこぞりて』。
私は敬虔なキリスト教徒というわけでもないので、今まで自分主導で積極的に演奏するのは遠ざけてきた演目かもしれません。
私が数多の大衆歌を鑑賞したり、自分でも実演に挑戦したりする日々を継続していてこの頃思うのは、歌には人格があるということです。
その楽曲において、一人称を名乗る主人公がそれぞれにいるのですね。一人称が直接的に歌詞に登場しなくてもかまいません。
そういう楽曲固有の人格と、実演家自身の人格が必ずしも一致する必要はありません。
極端な話、私自身が私自身のリアルな思想心情(信条)として書き下ろしたオリジナルソングがあるとしても、その曲をこの世に生み出した瞬間の私の思想心情と、今この瞬間の私の人格との乖離は刻一刻と生じるので、楽曲に宿る人格:主人公とその瞬間の実演家の私的な人格の間にはむしろズレがあって良いし、違うのが自然です。
楽曲の人格を、実演家は演じるのです。距離があってこそ演じがいがあるというもの。あるいは引き出す感覚もあるかもしれません。楽曲の人格と己の私的な人格が近くて(似ていて)強く共鳴するようなものは、その人にとって実演でなくむしろ鑑賞に向く曲ともいえるかもしれません。深く共感し、涙を流して感動すれば楽曲も作曲者も鑑賞者もみんな幸せです。
話を戻せば、敬虔なキリスト教徒ではない私が、讃美歌をその気になって歌ってみたって良いわけです。
「主」などのモチーフも、「自分の信じる固有の希望」みたいなものと重ねて解釈したって私の自由です。「主」=イエス・キリストこそが、敬虔な信者の正解なのでしょう。私はただの鑑賞者でミュージック・ラヴァーなのです。どんな美曲も傑作も、私のなかでは私の思うようになるのみなのです。
表現すること、作品を発表すること、それを受信する・鑑賞することの間には、歪み(ひずみ)が生じます。乖離を友と語れば、長い夜も明けるのです。
もろびとこぞりて クリスマス讃美歌 曲のおいたちについて
概要
作詞・作曲:Traditional。クリスマス讃美歌。 メロディはヘンデル『メサイア』を元にしているといいます。ヘンデル『メサイア』が書かれたのは1741年頃でしょうか。 日本語の歌詞は英語で歌われる”Joy to the World“とは異なり、Philip Doddridge(1702 – 1751)による詩”Hark the glad sound!“を訳したものが『もろびとこぞりて』だといいます。 日本語訳詞『もろびとこぞりて』をこのメロディにあてたのが記された最も古い日本の発行物は1923年に発行された歌集「讃美歌」であると察せられます。日本語への翻訳者は特定できません。讃美歌委員名義でしょうか。
参照
参考リンク Wikipedia>もろびとこぞりて、メサイア (ヘンデル)、Philip Doddridge
曲がどのように現在認知される形に至ったかの記述がありますが、私の読解力のなさを棚に上げれば、難しくていまいち私に経緯やことの順序の詳細が迫ってきません。
クリスマスソングを英語で歌おう >もろびとこぞりて歌詞・英語、カタカナ、日本語と意味や和訳と作曲者
腑に落ちるものを求めて検索をつづけていて、出会ったブログサイトが上記のものです(2015年11月下旬に投稿されたページ)。執筆者の方や、サイトについての紹介があまり詳しく明かされいないのが残念ですが、クリスマスキャロルとして日本でも広く知られる『もろびとこぞりて』のバックグラウンドが順を追ってわかりやすく、親しみやすい語調で述べられています。
そもそも『もろびとこぞりて』のメロディーはヘンデルの『メサイア』をアレンジした”Antioch”(アンテオケ、アンティオック)であり、アレンジャーはLowell Mason(1792 – 1872)であるとのことです。
キリスト教の讃美歌は独立した詩とメロディの組み合わせ方が自由だったことに触れ、複雑な背景を持つに至ってしまったいきさつをわかりやすく評しています。
英語圏で広く認知・普及しているであろう『Joy to the World』でWikipediaページが立っており、そちらにLowell Mason(ローウェル・メーソン)の名前が確認できます。
世界の民謡・童謡 > Joy to the World もろびとこぞりて 主は来ませり もろびとこぞりて 迎えまつれ
上記サイトでは英語で親しまれる『Joy to the World』に視点を置き、いかにLowell Masonが多くの聖歌を世に残したかについても触れています。
英語詞の『Joy to the World』は、Isaac Watts(アイザック・ワッツ)が聖書を解釈したもののようです(参考リンク Wikipedia>もろびとこぞりて より、”歌詞は聖書詩篇98編を元にワッツが、旧約聖書を新約聖書の教えに基づいて解釈し”)。
この詩に、くだんのメロディーをフィットさせたのがLowell Masonである模様。
『もろびとこぞりて』を自分でも歌いたい
音楽研究所というサイトが、3番まででコンパクトに歌える『もろびとこぞりて』の日本語歌詞を掲載しています。歌うなら私もこれくらいの短いサイズで演奏したいところです。
Wikipediaページ もろびとこぞりてには5番までの歌詞が載っています。“日本基督教団讃美歌委員会編 「讃美歌」(1954年刊)112番に準拠、一部漢字化。”と参照元が記されています。
“悪魔の人牢”なのですね。「一矢」かと思いました。同じ「ひとや」の読みでも、印象がかなり変わってきます。
サブスクで検索し、配信されているいくつかの実演家による『もろびとこぞりて』を聴いてみると、語尾の一部などにも細かい違いがあります。何番までを歌うかや、何番を抜粋してどう並べるかにも実演家によってさまざまな構成が生じるでしょう。
どこでどれくらいのサイズの間奏を入れるかや、前奏・後奏のアレンジも考えることができるでしょう。音楽家の手腕が試される、この世で最も認知度の高い歌のひとつといえそうです。
もろびとこぞりてを聴く
サブスクなどでアクセスし易そうな『もろびとこぞりて』を選んで聴いてみます。
石原慎一、森の木児童合唱団
私の個人的な話になってしまいますが、実演家の声域と私自身の声域・声種が近そうで参考にするのに良いなと思ったのです。ニ長調:Dメージャーでパフォーマンスしています。声の種類でいったらバリトンが近いでしょうか。それはそれとして……
石原さんの歌唱が朗々としています。オペラやクラシック特化ボイス、いわゆるベル・カント唱法的なアプローチまっしぐらかというとちょっと感触が違います。戦隊ヒーローとかアニソンとかソッチ系の朗々・堂々とした弾ける明るい響き、パワフルさを感じます。かつ品があって、繊細なニュアンスの豊かさも迫力をもって収録されています。実に満足です。
オケの音が良いですね。フルートとグロッケンのリードメロディって合うなぁ。アタックの「フシュッ」という空気がキレるフルート特有の音色とグロッケンのアタックにピークのあるカチンと輝かしい音色は相性が良いのかもしれません。フルートがハーモニーになっているのがまた柔和で甘美です。
チェロ・バスあたりの堂々としたストリングスの低域に絶対の信頼を寄せてよさそうな安心感。磐石な地盤に、パサパサっと乾いた音色のスネアが彩りを添えます。カンカンと福音のチャイム。このテの音程のある教会風の鐘、あるいは“のど自慢”の評価のジングル風の打楽器をチューブラー・ベルというようです(参考Wikipedia。コンサート・チャイムとかオーケストラチャイムなどと称することもあるよう)。デデン!っとティンパニが腹の底を掘り下げるインパクト。
児童合唱が澄み渡ります。音程と複数の発声の織が良いですね。ストリングスやこの児童合唱など、オケがフルで鳴る終盤にかけてのダイナミクス、広いレンジの荘厳・壮麗に目をみはります(目でなく耳ですが)。
ストリングスとフルートと打楽器が目立ち、堂々としたものになっています。フルート以外にほかの管楽器は入っているのでしょうか。和声を支えるあたりにクラリネットがいるかな? 私の耳もまだまだだな……
光のもとを明かしに 言葉の感触がいにしえな歌詞
諸人こぞりて迎えまつれ
久しく待ちにし主は来ませり
主は来ませり主は、主は来ませり
悪魔のひとやを打ち砕きて
捕虜をはなつと主は来ませり
主は来ませり主は、主は来ませり
この世の闇路を照らしたもう
妙なる光の主は来ませり
主は来ませり主は、主は来ませり
『もろびとこぞりて』より 参考歌詞掲載サイト J-Lyric クリスマスソング もろびとこぞりて 歌詞
来ませり、たもう、まつれ……
古い時代の書き言葉といったところでしょうか。私が日常で用いる言葉の理解でスピーディに読み解くのが難しい質感があります。これは難敵だ……
前段にも書きましたが、自分の未来に明るい光の矢を射してくれるのはイエス・キリストでなくても良いのです。今この瞬間に、あなたが未来のためを思って努力したすべてが、少し先か遠い先かわかりませんが、希望をもたらす「主」です。くどいようですが、もちろんキリスト教の信者の方にとってはイエス・キリストそのものなのでしょう。
日本人の多数派はおそらく、絶対的な思想信条としての宗教ではなく、単に生活の慣わしとして親しみ・楽しんでいるのがクリスマス文化でしょう。軟派者として『もろびとこぞりて』を歌って、親しんでも結構です。学びのきっかけ、より深い知的探求の入り口として、光源の正体を明かしに深く入っていくのも良いでしょう。
たくさんの人(もろびと)が、こぞって(押し寄せて、みな一様に)、光(希望)を仰いでいるのです。明るい歌だと思います。
青沼詩郎
森の木児童合唱団は、歌手で音羽ゆりかご会に所属した川田正子さんによって1979年に設立され、2008年に解団とされています。現在、ことのみ児童合唱団がかつての森の木児童合唱団の後継にあたるようで、活動中です。
石原慎一、森の木児童合唱団が実演する『もろびとこぞりて』を収録した『キッズ・クリスマス・ベスト』(2020)