迎える未来の週末 プロポーズに至る過程
粘度を感じるようなスロウテンポで綴られ、確かな「長さ」を感じます。これは主人公が好意の対象を見守った時間の長さそのものなのでしょう。
この楽曲の大半を占めるのがAメロ(Aセクション)でしょう。オープニングから、A、A、AとAセクションが3回つづられます。「ウー」と展開が変わるBセクションはたったの6(もしくは5+2拍?)小節です。
この楽曲のじっくりした展開が着地する場所がわかるのがエンディング付近です。「受け取って欲しい この指輪を」。ぼんやりしている私にも、このラインにたどりついてこの曲の本意あるいは総意がはっきりします。
曲中、主人公にとっての「君」には主人公とは別の「彼」がいます。主人公は辛抱づよく、長い目で、君の様子を見守りつづけます。
君が彼との間で起こることに苦しんだり希望をみたりするのも主人公は可能な範囲で認知しているのでしょう。そして君が彼との間に傷ついたとき、主人公はおそらく重ね合わせの相反する感情のせめぎあいに苛まれます。君が彼との間でうまくいかなくなったり、決別したりすることは、主人公にとっては朗報であるいち側面があります。一方、君が(その原因が誰との何にあろうとも)傷ついたり悲しんだりすることそのものは、主人公にとっても手放しに喜べることではなく、愛の対象とする者の苦しみや悲しみは愛をささげる本人にとっても悲しみや苦しみに直結します。いくら最終的に君は君、俺は俺であろうとも、君と運命共同体であることを望めば望むほど、苦痛や障壁も共有せざるをえないことでしょう。
待つ者のポジションにみえる前半の主人公から、やがて「この週末の夜はおれにくれないか」などと能動的なアプローチをみせはじめ、くだんのエンディングのライン「受け取って欲しい この指輪を」「受け取って欲しい この心を」との果敢な提案、告白に至るのです。
君が彼との間に浮き沈みしたであろう過程を包んだうえで、君が彼と過ごしてきた数多の「土曜日」の先にある、おれと君の未来、すなわちこれから迎える土曜日に向かわないかと提案します。過去の土曜日の積み重ねをひとつとしたとき、これからおれと君が迎える数多の土曜日を「もうひとつの土曜日」と呼ぶとするのが、私なりに本曲のタイトルに込められた意味なのではないかと解釈します。あなたはどう思われるでしょうか。
もうひとつの土曜日 浜田省吾 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:浜田省吾。浜田省吾のシングル『LONELY-愛という約束事』(1985)、アルバム『J.BOY』(1986)に収録。
浜田省吾 もうひとつの土曜日(アルバム『J.BOY』収録)を聴く
編曲:板倉雅一&浜田省吾。
じわじわじわじわと君への想いを培いつづけ、エンディングのリードギター、ライドシンバルのオープンな響きとともに大きな愛と衝動が漏れ出て週末の先の朝日を迎えるように神々しいサウンドスケープにたどり着きます。
本曲のベースプレイは非常になだらか。常にスラーでつながって、音を切れ目なく、サスティンを尊重して、フレーズのはざまでわずかに動き存在感を出しつつも、歌に、他のうわものを抱き止めてお皿に乗せ続けます。本曲において「彼」の存在に重なるのがエレピの音色だとすれば、「おれ」の存在に重なるのはベースです。
エレクトリックピアノの音色はウーリッツァーやフェンダーローズといった海外のビンテージ名機の系統の音色でなく、こういう音色をなんというのか私は知りませんがヤマハ系とでも言ったらいいのでしょうか、ある時代(1980年代くらい?)の日本の大衆音楽を象徴する音色にもおもえます。
日本の大衆音楽にJ-POPとの名前がつくきっかけになっているのが本曲を収録したアルバムのタイトル『J.BOY』であるとする説に出会ったことがあります。このエレピの音を聞いているとなんとなく、多様な味わいのごく狭い範囲のみについての感慨ではありますが「なるほどな」と思う部分があります。
エレキギターがちゅるちゅると艶やかな音色でオブリガードする左寄りトラックを対照に、ブリッジミュートで伴奏する右寄りトラックが君が彼とのあいだで揺れるあいだも粛々とおのれの生活を送る「おれ」の動きを思わせるようです。
青沼詩郎
参考Wikipedia>LONELY-愛という約束事、J.BOY (アルバム)
浜田省吾 OFFICIAL WEB SITE- Road&Sky groupへのリンク
『もうひとつの土曜日』を収録した浜田省吾のアルバム『J.BOY』(1986)
ANOTHER SATURDAY
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『もうひとつの土曜日(浜田省吾の曲)迎える未来の週末【ピアノ弾き語り・寸評つき】』)