太陽が見えない季節

『歌はともだち』(教育芸術社)という歌本がある。

私が小学生のときに教材として採用されていた。この本に関する当時の記憶はほとんど抜けている、たぶんすごく使ったと思うんだけど。ページの端っこに雑学、豆知識の問いと答えが載っていて、それを求めて延々とめくってしまうからくりのある本だった。

この本にお世話になったのはむしろ大人になってからという気もする。私の手元に現在もあって、開いて歌ってはギターケースに忍ばせたりピアノの譜面台によく置いたりする。どういうわけか、手持ちの本には5つ年上の私の兄の名前が記されている。30年近く前の版である。おさがりを貰って使ったんだったか。

私は歌ったり演奏したりの活動をしていて、昨年くらいまでは、地域のおまつり、イベント等で演奏する機会がよくあった。老若男女(この言い方、古い?)が往来するシーンだから、曲目を考える。私がふだん、自分のために好き勝手つくっているオリジナル曲だけをひたすらにやったんじゃ、ヒンシュクを買うとまでは言わない(誰も気にしない)が、せっかくだから「知っているあの曲だ!」などと嬉しい気持ちにさせて帰してあげたい。

そんなとき、やっぱり童謡、あるいは子どもが触れることを意識してつくられたポップスのひとつやふたつを歌いたい。

自分が演奏して最高に楽しい曲を志す。子どもに媚びたり、子どもの理解力を軽んじたものはうすら寒い。

童心というのはむしろ大人が抱くものだと思う。子どもの心はそれその時点が、彼ら彼女らにとって一番老成している。子どもはみな最も進んだ「大人ごころ」を持っている。

私なりに思う、「大人ごころ」の持ち主が最高に楽しめる、それでいて平易で普遍的な包容力を持った曲。歌詞、メロディ、もっといえばさまざまな和音付けを許すポテンシャル、いろんな要素があって、それにかなうものが見つかる。そんな曲のひとつが、『手のひらを太陽に』。作詞 やなせたかし、作曲 いずみたく。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm22050081

この曲がNHK『みんなのうた』で放送されたのが1962年だという。この時代を私基準でいうと、私の両親が10歳くらいの少年少女だった頃だ。1986年生まれの私はまだいない。宮城まり子、ビクター児童合唱団による歌。宮城まり子は、いずみ氏による推薦とのこと。存じ上げなかったが、宮城まり子は2020年の3月21日、93歳でご逝去された。生没同日だという。

学校向け教材で取り上げられている点でもそうだし、カバー・バージョンの多さからも、いかに広く親しまれている曲かがわかる。大人になるまでのどこかで、いつの間にか触れていた曲という感じで、最初のパフォーマンスを知らなかった。管弦楽がリッチだけれど、これが当時の歌モノの標準だったのかもしれないとも思う。口角の上がった歌い手の表情が浮かぶ。より抜かれた児童による合唱なのかな、渾然一体とするほどの人数ではなさそうで、複数の糸(声色)の質感がわかる。明るく、丸く、暖かくまとまった録音だ。

新型コロナウィルスの影響で、地域のおまつりはみななくなってしまった。人前に出る機会を失った音楽の行き場、というわけでもないが、昨日、この曲を自分で歌って収録してみた。私の愛する名曲を自分の解釈で残すことにどれほどの価値があるかわからない。芥塵ほどの価値かもしれないけれど、マイナスにはならないだろう。自分のためにやっている。それが私の標準なのだ。

青沼詩郎

歌ってみた

手のひらを太陽に(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%82%89%E3%82%92%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AB