寸評 可憐で儚い楽曲、大瀧さん感じるサウンド
粛々と別れに向けて心の整理をつけていく様子を想像させ、しおらしく沈痛な気持ちでいっぱいになります。心の整理とともに、パートナーと過ごした時間を連想させる身の回りの物品を整理するのもそうでしょう。
別れを受け入れる前の段階では、感情がたかぶり、ぶつかることもあるかもしれません。どちらから別れを告げたのかもわかりません。どちらかが、別れに不服であるという事実が確認できるのでもありません。
いずれにしても、お互いを想い合った幸福に浸った時間の存在を前提にして、悲しみのプロセスを消化する、落ち着いた主人公の所作を手指の先まで想像させるような可憐で儚い楽曲に感じるのです。須藤薫の歌唱の表現力のたまものでしょう。
勝手ながら、大瀧詠一さんの作曲やサウンドメイキングの面影を感じるのは私のでたらめでしょうか。大瀧さんのほとばしり、すっとぼける程の音楽文脈の深さをほどよくコンプレッションしてデフォルメをきかせ、すっきりとさせて儚さと華やかさとエモを抽出したような好印象です。作曲の杉真理さん、編曲の松任谷正隆さん、いずれも大瀧詠一さんとのつながりの深い人でしょうから、技法や趣向が通ずる部分も多いのかもしれません。この楽曲に直接大瀧詠一さんが関わっているわけでなくとも、その影を見出してしまうのはもはや私がただのファンになり果てたのを示しているようで南無三宝。
フルートのオブリは『夢で逢えたら』(吉田美奈子)、爽快で麗しいバックグラウンドボーカルからはビーチ・ボーイズのサウンドを私の記憶の中から呼び起こします。
須藤薫の声質がまたいいですね。かなり高いところでも均整があって美しくエネルギーのある響きをキープします。非常に聴き心地が良いです。
歌詞 恋の非情の比喩するダンス、写真入れのロケット
“この曲が終わったら ひとりに戻るのね あなたのこと奪うのはどんなひと”(『涙のステップ』より、作詞:有川正沙子)
社交ダンスの世界については映画『Shall We Dance?』を鑑賞した経験がある、程度の知識しか持たない私です。1曲ごとに相手が代わる、といった習わしのもと、ダンサーが交わるダンスの世界もあるのでしょうか。組むダンサーが入れ替わるという解釈で“奪う”という表現は少々過激かもしれませんが、本当に恋愛の話で、略奪愛のことをいっていないとも限りません。恋はときに非情なものです。
“写真入れたロケットを そっとはずしたら すべてが今 本当に 終るのね”(『涙のステップ』より、作詞:有川正沙子)
ここが、私が粛々とした哀しみを感じる、キュンと来るラインです。
写真を入れる「ロケット」というアイテムを私はよく知りませんでしたが、検索してみる(Wikipedia>ロケットペンダントへのリンク)と「ああ、これか」との合点がいきます。ありがちで安易なイメージを開陳させてもらうならば、戦争ものの映画などで、戦地に行った兵隊さんが恋人や家族の写真を肌身離さず持っておくためのアレで、仲間の兵隊に身の上話を聞かせながらパカっと開けて「これが僕の家族(とか恋人)の〇〇なんだ。かわいい(きれい)だろ?」とかいって見せたり自分で眺めるたりするためのコンパクトなアレ、が「ロケット」ですね。ありがちで安直なイメージの開陳を失礼しました。
このロケットペンダントから、大好きな(大好きだった)人の写真を外してしまうんですよ。もう、ちょーーーー悲しくないですか???想像しただけで、なんだか凹みました。
青沼詩郎
『涙のステップ』を収録した須藤薫のアルバム『Amazing Toys』(1982)
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『涙のステップ(須藤薫の曲)ピアノ弾き語りとハーモニカ』)
アメイジング・トイズ