先日、このブログの記事『Ⅰ—ⅢMの名曲 Radiohead、THE YELLOW MONKEY、エレファントカシマシ、奥田民生、小山田壮平、くるり、oasisにみる』でも取り上げた奥田民生愛のために』。コード進行の用例としてリンクをはって挙げるのみだったのですが、この記事では『愛のために』に焦点を絞ります。時間が尽きるのが先か、私の筆舌が尽きるのが先か。

奥田民生のシングル、アルバム『29』収録曲。アルバムタイトルが示すとおり、奥田民生が29歳のときのリリース曲です。

彼は1965年、5月12日生まれとのこと。シングルのリリースが1994年10月21日。アルバム『29』が1995年3月8日。年が変わってますが誕生日前。29歳ですね。

ユニコーンのメンバーでもある彼がソロ名義で最初に出したアルバムがこのシングル曲『愛のために』を含んだ『29』。ユニコーンは1993年9月に解散を発表しますが、その前年にソロ名義でシングル『休日』を出しています。1992年8月29日でした。カップリング曲は『健康』(奥田民生の曲名には『息子』『コーヒー』『人間』など単語がポンと置かれただけのものが多く、淡白なきっかけやモチーフの組み合わせの奥に滲む味わい深さが彼の作家性の一面であるのを思います)。

つまり、ユニコーンの解散を発表する前にも1枚シングルを出していますが、この『愛のために』はユニコーン解散発表後の最初のシングルであり、それを含んだアルバム『29』は最初のソロアルバムなのです。奥田民生らしく「スカした感じ」「脱力感」と「気合い」「エネルギー」の同居を思います。

今日、この記事を奥田民生公式サイトWikipediaを参考にして書いています。Wikipediaからは「3曲分くらいのアイディアが入っている曲がこの『愛のために』」であり、「そんなもったいないつくりかたは例外的」だといった趣旨のことが読み取れました。

曲ですが、先日このブログの記事でもとりあげましたが、とにかくコード「ⅢM」が目立っています。曲のキーはEメージャー。「ⅢM」は「G#」のコードがそうです。Eメージャーで「G#」をつかうと「C#m」、もしくは「A」に進みたくなるはず。この曲で登場した際は「A」に接続しています。C#m調を基準にみれば、G#からC#mへの連結は「Ⅴ→Ⅰ」、G#からAならば「Ⅴ→Ⅵ」という関係になります。どっちもアリですね。あくまでEメージャーを基準に見ればG#→C#mは「ⅢM→Ⅵ」ですしG#→Aは「ⅢM→Ⅳ」です。

際立ったスパイシーな響きを持つ「ⅢM」ことG#をなんと曲のドアタマ、イントロの冒頭に持ってきています。その調であること(この曲でいえば、Eメージャーであること)を感じさせてから使うからこそ「ⅢM」のキャラクターを感じるのであって、冒頭でこんなつかい方をしたら普通、それが「ⅢM」である「らしさ」を感じないはず。それなのに、もう何度もこの曲を聴いて刷り込まれてしまっているせいか私には「ⅢM」以外の何者にも聞こえません。最初にこの曲の主和音である「EM(イーメージャー)」が出てくるのは9小節目。それまではおあずけをくらいます。

サビでは/E/G#/A→B/E→A/というコードの流れの中でG#を用いています。G#のところでググっとせり出してくる、迫ってくる感じを私は覚えます。高揚、圧迫、押し出す力。そういうものを私はⅢMに感じます。おしりのところ(サビ4小節目)のE→Aという進行がロックやブルースの性格を強めていて私の好きなポイントです。

このⅠ→ⅢM(以下サビ)のところで用いている歌詞が

“ここらへんで そろそろ僕が その花を咲かせましょう”

“愛のために あなたのために 引き受けましょう”

また、

“人のために 自分のために 引き受けましょう”

と。

そしてラストのサビでは

“陸海空 いろんなところから どこでも駆け付けましょう”

“愛のために あなたのために 生きて行きましょう”

(『愛のために』より、作詞:奥田民生)

どこか重い腰をあげるようでもあり、主体性が他者にあるかのようでもあります。

そこに滲むのは、「ものぐさ」「めんどくさがり」「おっくう」「出不精」なマインドでもあるかもしれませんが、一方で私は「客観的な熱気」を感じます。平熱なのに、エネルギーがあるのです。ということは…そもそも平熱が高い?! そう、奥田民生には、チカラの抜けた遊び心のある素敵なおっさん感も私は覚えますが、いっぽうで人並みはずれた「エネルギーの人」でもあるということも、作品を通して感じるところです。

時代が変わる、自分が変わると、ある楽曲に対する感じ方、抱く印象も変化するのはよくあることです。ですが、私はこの『愛のために』に対して、どこか「変わらぬ強度」を感じています。光のようなものでもあるし、熱のようなものでもあります。

かつての私と、今の私は、微妙に、もしくは盛大に「別人」でもあります。私は変化するからです。それなのに、曲にいつも同じような輝きを感じてもいる。それぞれの時代で違った私なのですから「同じ輝きを感じる」というのは錯覚かもしれません。変化している私が感じるのですから「同じ」なわけがないのです。

ちょっとわかりにくい話になって申し訳ありません。「老舗の味は、実は時代に合わせてちょっとずつ変えている」みたいな話を聞いたことありませんか? あれに通ずるものがあるのかもしれません。

いえ…しかし。奥田民生『愛のために』の音源は変化しませんから、それは誤解かもしれませんが…

とにかく、私の大好きな、心の殿堂入り曲なのです。

青沼詩郎

『愛のために』を収録した奥田民生のアルバム『29』(1995)

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『愛のために(奥田民生の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)