映像 解散ライブ?
解散する際のツアーの様子でしょうか。トークが暖かく軽妙です。蝶ネクタイにスーツの武田鉄矢。若々しくまっすぐな歌、声、身なりです。お客さんが手拍子で温かく迎えます。間奏にハーモニカ。バンドの演奏もいいですね。
曲について
海援隊のシングル、アルバム『倭人傳』(1979)に収録。作詞:武田鉄矢、作曲:千葉和臣、編曲:惣領泰則。武田鉄矢主演のドラマ『3年B組金八先生』主題歌として幅広い年代の人に知られているのではないでしょうか。
海援隊『贈る言葉』を聴く
ストリングスが旋律をうたうイントロ。寛容で聴き手を選ばない器の大きい雰囲気を醸成します。左側でリズムするトライアングル。チ・チ・チー・チ……とアクセントします。16分音符でアルペジオするギター。右にも左にもアコギがいますね。エレクトリック・ピアノ風のトーンがしきりにチャラリンと花を添えます。フルートのオブリガードが目立ちます。
ドラムスはポツポツと余韻の抑制が効いた、まとまりのあるタイトな音です。ドット柄をイメージさせる分離の良いサウンドです。ハイハットの裏拍のストロークで小気味良く。前に進むテンポの背中に手を添えます。キックはベースと合わせた16分音符の音形。ベースはのばす音・切る音とさまざまで表情豊かです。8分音符、16分音符など用いる音価や音形が組み合わさって、豊かな表情をみせるリズムが優しげです。
歌詞
“暮れなずむ町の 光と影の中 去りゆくあなたへ 贈る言葉”(海援隊『贈る言葉』より、作詞:武田鉄矢)
とても有名な歌い出しではないでしょうか。“暮れなずむ”とは、私は日常でほとんどつかわない表現です。今にも暮れそうなのだけれど完全にはまだ暮れていない、そんな状況でしょうか。学校生活のほとんどを終え、卒業を目の前にして今にも巣立たんとしている中学生や高校生に重なりそうな情景です。薄暗さと赤みの混じった斜めの陽が織りなす光と影の質、量感。去らんとする“あなた”に、どんな言葉を贈るのでしょう。
“悲しみこらえて 微笑むよりも 涙かれるまで 泣くほうがいい 人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから”(海援隊『贈る言葉』より、作詞:武田鉄矢)
悲しいことがあっても気丈に振る舞おうとしがちな人は、自分のことを言われている気持ちになりそうなラインです。思い当たる人はうるっと来てしまいそうですが、泣いても現実は変わりません。泣いても泣かなくても大差ないのです。だから泣きたいのならば泣けばいい。泣きたいとか泣きたくないといった願望や意思とは関係なく、涙は出るときには出るもの。生理現象です。日が暮れるように人は泣く。
“信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つくほうがいい 求めないで優しさなんか 臆病者の言いわけだから”(海援隊『贈る言葉』より、作詞:武田鉄矢)
他人を信じないで嘆くより、信じて自分が傷つくほうがいい……とはやや自己犠牲的にも思えます。信用するのとされるのって、どちらが先なんでしょうか。自分を信じてくれる人をむやみに傷つけることは考えにくい。信じることで、信じてもらえる可能性はありそうです。
信用すれば、必ずしも信用がかえってくるとは限りませんが、それでも人を信じることを繰り返し、そのうちいくつかが返してくれる信用を山の如く徳を築き上げることは、一見遠回りですが、最も着実にお互いを守り、健やかに生きる手段でもあるのではないでしょうか。
とはいえ、相手がこちらに寄せる信頼を利用して裏切る犯罪行為も世の中には存在します。信じる相手は選ばなければならない。どういう面についての信頼なのかも多様にあるでしょう。ある人のある面について信用していても、他の面については信用できないということもありえます。あのミュージシャンのウデは確かだが、どうしてああも異性にだらしがないのだろう……なんて例も、想像するくらいはお許しいただきたい。ほんの一例ですけれど。
一時的な甘い言葉や態度は、その瞬間はその人に安心をもたらすかもしれません。ですが、それが長期に渡ってその人のためになる良い結果を招くでしょうか。いえ、もちろん甘やかされて導かれた道であっても、厳しい道を自ら行ったのであっても、どちらの人生が素晴らしいかは別のこと。本当の優しさは厳しくすることだ、とも限りません。優しさは主体のものであって、優しさを感じるのはその人の感性です。「優しさを求める」ならば、他人ではなく自分に求めるのもありなのでは。
「ここは甘えないでがんばろう」「君は理不尽にがんばりすぎている。体を壊すよ」など、そのときその状況によって、どんな選択や判断が本当の優しさだといえるのか? それは十把一絡げにいえません。『贈る言葉』で用いられた“優しさ”とは、ここではうわべ、みせかけのことをいっているのかもしれません。その優しさは、臆病者が言い逃れに用いる手段だと……かなり辛辣に突き放す表現にも思えます。
“これから始まる暮らしの中で だれかがあなたを愛するでしょう だけど 私ほどあなたの事を 深く愛したヤツはいない 遠ざかる影が人混みに消えた もうとどかない 贈る言葉”(海援隊『贈る言葉』より、作詞:武田鉄矢)
主観が雄弁する部分。未来において自分以上にあなたを愛する人が現れないなんてどうして言えるでしょうか。それだけ、これまでの自分とあなたにおいて築かれたものが大きいのだと、そういう間柄を想像します。
「卒業ソング」として挙げられがちな『贈る言葉』。「金八先生」主題歌というのもあって先生と生徒を想像しやすい1曲ですが、もっと私的な縁深い間柄を当てはめてもハマりそうな描写です。
メロディ
Aメロ。主和音であるFメージャーを分散で感じさせるなめらかな跳躍進行をふんだんに含んでいます。安心感をもって聴ける部分です。主題の“贈る言葉”のときに、アタマを1拍あけてタメをつくることで深く印象づけています。大事なことは、きちんともったいぶって言う。熱いメッセージを唐突に平静にさらっと言うのもカッコ良いですが、それはこの曲のキャラクターとは違うようです。まるでドラマで教壇に立つ先生の話し方ですね(ドラマのバイアスがおおいにかかっていますが)。
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Bメロ。Aメロは8分音符から2分音符以上の音価(音の長さ)を中心にゆったりと安定感を醸しました。また、そのゆったりさを活かして、安定を感じさせる主和音(ファ・ラ・ド)を跳躍進行で念入りにていねいに聴かせました。Bメロではそれに対立します。16分音符の細かい動きのリズムです。同音連打を多用。そのかわり音程の振れ幅(上下高)は小さいです。音程が移ろうときも、順次進行(となりあった音への進行)を中心にしています。
Aメロ……音域→広い。音の進行→跳躍(はなれた音に飛ぶ)。リズム→ゆったり。
=「疎」のAメロ。
Bメロ……音域→狭い。音の進行→順次(となりあった音への移ろいが中心)。リズム→急いている。
=「密」のBメロ。
AとBで、反転させたような極端な性格の違いがみてとれます。
Bメロも、後半の4小節では音域のポジショニングを高いほうに推移させています。ですが性格としては16分音符の細かい同音連打の多用、順次進行中心。上下高の幅は小さめという点は継承しています。
ですが、順次進行の上行音形を入念に反復して繰り出し、深くていねいに印象づけています。大事なことは何回も言う(大事な音形は何回も繰り返す)。これは演説の手法でもあり、政治家も用いるテクニックですし学校の先生も意識してか無意識にかやっている人もいるかもしれません。音楽でいえばリフレインです。
Aメロが帰ってくる部分ですが、前半の4小節を変えています。高めのポジションで感情の張り感を演出しています。また2小節目の“では”の部分ではⅣの和音を感じさせる跳躍。シ♭はヘ長調(Fメージャー)におけるⅳ(4番目の音階音)。ヨナ抜き音階で紡いだ旋律においては排除されてしまう音で、冒頭のAメロでは用いられませんでした。それゆえに、ここで登場させることで冒頭のAメロから「変化」の印象を確かに与えることができます。
ちなみにBメロは非ヨナ抜き音階で、全音階、いわゆるダイアトニック・スケール。「ヨ」(ここではシ♭)も「ナ」(ここではミ)も出てきています。
冒頭のAメロの方はヨナ抜き、すなわちペンタトニック・スケールです。「ヨ」(ここではシ♭)も「ナ」(ここではミ)も出てきません。
Aメロに似ているがやや異なるA’では、前半の4小節がダイアトニック・スケール(Bメロで用いた)。後半の4小節がペンタトニック・スケール(Aメロで用いた)になっています。帰結のA’はA・Bの折衷なのですね。
感想、後記など
私の世代だと上戸彩が出演したシリーズの金八先生が放送されていて、同級生に上戸彩ファンを生み出していました。知名度の高さが私の実体験としてもうかがえる曲です。
理屈っぽく分析の目で鑑賞してみると、音楽的に性格のちがう素材・モチーフを曲中にふんだんに含め、それらを順序立てて巧みに構成していることがわかりました。こうした設計、意匠の妙が黙って良い仕事をしています。もちろん曲のヒットは複雑な要素が相乗して生まれるものでしょうから、曲さえ良ければここまでの認知度を得られるわけではないはずです。それにしても、確かに素晴らしく良くできた曲なのだと改めて思い知りました。
ドラマのせいか、先生による講話がそのまま曲になったようなイメージがある『贈る言葉』ですが、曲の生まれた背景は失恋だそうです。曲中、“愛する” “愛した”といった動詞がそれぞれ違った位置に違ったハマり方で散在しています。ちょっとずつ角度を変えて伝えんとする「愛」の念が感じられます。3コーラス目のBメロの歌詞のモチーフは特にその愛が「恋愛」であることが強く出ています。「恋愛」は特別、エゴが強く滲むもの。その点が他の種類の「愛」とはやや違っています。先生と生徒では行き過ぎかもしれませんが……人生は自由ですし、とやかく言う気もありません。
博愛と激励の名曲だと思っていましたが、意外と偏愛と卑屈、恋愛のエゴじみたものが生みの親なのかもしれません。狭量でパーソナルな「私」個人から始まり、何事も大きくなるのだと教えてくれる……音楽って神秘。やっぱりこの曲は偉大です。矮小で脆弱な存在から、普遍と恒久が引き出される。本当の「師」って人間自身(特定の個人)ではなく、人間の諸行(所業)なのでしょう。
曲の生まれるいきさつをWikipediaにみつけて思ったこと
・失恋が動機になっていること
・学校を舞台にしたドラマ(“金八先生”)とのタイアップ
・ニューミュージックの惹句にみられがちな、ありふれた表現へのカウンター
上記Wikipediaサイトをみるに、個人から集団・組織レベルに渡るさまざまなバイオリズムが複雑に干渉しあって生まれたのが『贈る言葉』である、と仮説を立ててもよさそうです。『贈る言葉』のもつ、懐の深い響きの裏付けかもしれません。
……にしても、たとえばドラムスやベースの引き締まったエッジのやさしい耳触り、ストリングスやフルートやアコギの煌めき感、ボーカルの柔和な歌唱表現、恋や愛を歌詞の主題・モチーフとしていること……こういったアレンジメントや総合的な音作りやクリエーションについて、『贈る言葉』はリスナーの私としては非常に“ニューミュージック”とのシンパシーを感じる作品です。
「ニューミュージックではなくフォークなのだ」という態度が確かに曲のエッセンスのひとつなのかもしれませんが、それによって生まれた『贈る言葉』は、2020年代を生きる私(執筆時)にとって、とても耳触りのよい良質なニューミュージックとしても味わえるものになっているのです。
自分のやることなすことが、第三者に必ずしも自分の意図したとおりの態度を伝えるものではない。そこにおかしみを感じてしまいます。そういうところもまた、『贈る言葉』や海援隊のもつ愛嬌に思えてなりません。
青沼詩郎
『贈る言葉』を収録した海援隊のアルバム『倭人傳』(1979)
『贈る言葉』を収録した海援隊のベストアルバム『贈る言葉』(1993)
ご笑覧ください 拙演