ライブ映像

威勢よいボーカルのカウントでスタート。ギターのリフがカメラに抜かれます。サングラスの集団。サビはみんなで歌います。「ヘイ!」の掛け声も威勢よい。踊るような身振りをしながらオクターブ下を歌うメンバー。3コーラス目“仲間がバイクで……”のところでメンバーがしゃがむパフォーマンス。哀悼の意表のように見えます。たまにカメラに抜かれるドラムスは非常にパワフルで豪快さが伝わる運動。音楽(音声)のみでなく総合的にステージを魅せる意識を感じるライブ映像です。

曲について

チェッカーズのデビュー・シングル(1983)。アルバム『絶対チェッカーズ!!』(1984)ほかベスト集などに収録されています。

作詞の康珍化、作曲の芹澤廣明の2人によるほかの作例は岩崎良美『タッチ』がそうです。康珍化のほかの作詞では吉田拓郎『全部だきしめて』が思い浮かびます。いずれも私の好きな曲。

『ギザギザハートの子守唄』を聴く

イントロ。エレクトリックギター、サクソフォンがユニゾンするリフ。ベースもリフをユニゾンしつつもうまいこと8(エイト)を連打するなどリズムを補完しています。ドラムスはキック4つ打ちとタム回しで勢いと恒常性を出します。

ヘイ! の掛け声。気合入りますね。

Aメロ。ギター、ベース、ドラムスでエイトビート、曲調のベーシック。ダウンストロークの連続です。サビに移る前にはギターのオカズ(フィルイン)。

サビ。ハーモニーボーカルが左右に入り音像を広げます。ドラムスを強拍4つ打ち2小節パターンにしてダウンビートをなお強調します。2コーラス目のサビではオクターブ下にユニゾンボーカル。ますます「黒い」(ワルい)色を感じるサウンドです。ボーカルのオクターブやダブったサウンドで若い”やんちゃ”を感じる例としてORANGE RANGEを思い出してしまう私です。

2コーラス目のあとは怒涛のトリプレットで高鳴るエレキギターソロ。緊張感高めのポジションではじめて、中ほどでちょっと潜らせておしりに向けて上行音形の反復でポジションを高めて最後のトーンで減衰して消えていく。粋なソロです。

3コーラス目は「♪仲間がバイクで死んだのさ……」。サオモノはジャカジャーンと1和音ごとにストロークを絞って伸ばします。ドラムスはキック4つにフォーカス。スネアはおくゆかしく。ダイナミクスに音楽的な気くばりを感じます。サビ前のキメで音量を回復。

3コーラス目のあとはEm→Fmへ転調。半音高まり緊張感を増します。最後のサビはコーラスの厚みもマックス。10人未満くらいの不良グループの登場人物が出揃ったような感じです。メインボーカルの主音ロングトーン、1小節のリズムキメで女性終止(弱拍で終止すること)。

歌詞

“ちっちゃな頃から悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ ナイフみたいにとがっては 触るものみな傷つけた”(『ギザギザハートの子守唄』より、作詞:康珍化)

15歳は、悪ガキが不良と呼ばれ直すのに適当な時期な気がします。「ナイフみたいにとがっては」に似た表現がいろいろなところで用いられるきっかけをつくった曲がこの『ギザギザハートの子守唄』だったのかもしれません。コメディアンの出川哲郎が「おれは切れたナイフと呼ばれていた」みたいな感じのことをテレビで言っていたのを思い出します。彼にそう言わせたのも、ギザギザハートの子守唄が醸成した言葉のイメージがあったかもしれません。

話が外れますが、出川哲郎の生まれは1964年のようです。『ギザギザハートの子守唄』シングルリリースが1983年9月。リリース時にすでに出川哲郎は20歳を目前にしているくらいの年齢のはず。中学や高校の頃に「ナイフ」を含む通り名が彼につけられたのだとしたら、『ギザギザハートの子守唄』発表よりも前ではないでしょうか。10代のするどさや悪さ、非道さのようなものを「ナイフ」にたとえる表現はそれ以前からあったのかもしれません。

“恋したあの娘と2人して 街を出ようと決めたのさ 駅のホームでつかまって 力まかせになぐられた”(『ギザギザハートの子守唄』より、作詞:康珍化)

なぐったのはあの娘の父親か誰かでしょうか。

かけおちのようなもの。異性どうしが、彼らを見守ったり保護したりあるいは縛ったりする存在から解き放たれる意図でその土地・場所を抜け出そうとする行動や画策はそれこそシェイクスピアの時代以前から物語に描かれてきたと思います。

“駅のホームでつかまって”というのが味わい深い。バイクとかじゃないのです。公共の交通機関で抜け出そうとした。主人公は案外「ワルいグループ」の中心ではなく、ワルいグループにもフツーのグループにもどこか属しきらない、ちょっと外れた存在の孤高の人なのかもしれません。あるいは、心のうちに「自分はグループから外れている感覚」を持っている。こういう気持ちは、その人がどんな肩書きのどんな立場の人であっても通ずるものがある普遍の感覚なのではないでしょうか。「私は何者か?」職業とか所属とか出生地や誰が親かとかによってそれを説明できる面があるにしても、それが「私のすべて」なんでしょうか。

“仲間がバイクで死んだのさ とってもいい奴だったのに ガードレールに花そえて 青春アバヨと泣いたのさ”(『ギザギザハートの子守唄』より、作詞:康珍化)

直接の表現。(歌の物語のなかで)「仲間が死んだ」という事実をそのまま言いあらわしたライン。なかなかこのような歌詞にめぐりあうことはありません。これだけで鮮烈に記憶に残ります。

“ガードレールに花そえて”で、私はガードレールに付着した血飛沫を想像しました。「花をそえた」のは、事故って死んでしまったアイツだと思い込んだのです。血飛沫でガードレールに「花」を描くなんて、なんて極限を生きた詩人なのだろうと思ったのです。自分の人生の最期に自分で花を添えるなんて。その彼が血みどろになって、死に際に「青春アバヨ」と泣いて命果てた……というシーンを思い浮かべたのです。

おちついて文面をみると、花は血飛沫などではなく、読んで字のごとく「花束」(もしくは単輪の花かもしれませんが)であって、事故現場に花をたむけたのは生き残った主人公らの誰かでしょう。「青春アバヨ」と泣いたのも、故人ではなく主人公サイド。そう読むのがストレートな解釈でしょうか。もう無茶なことはやめよう。こんなひどいことはもうまっぴらだ。「青春アバヨ」。そんなシーンでしょうか。

ここでサビの歌詞が生きてきます。

“わかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか ララバイ ララバイ おやすみよ ギザギザハートの子守唄”(『ギザギザハートの子守唄』より、作詞:康珍化)

仲間に安らかな永遠の眠り(おやすみよ)を祈るララバイ(子守唄)です。

“熱い心をしばられて 夢は机で削られて 卒業式だと言うけれど 何を卒業するのだろう”(『ギザギザハートの子守唄』より、作詞:康珍化)

仲間の事故、「青春アバヨ」でワルいグループの活動は消沈してしまって凪いだのでしょうか。そのまま周囲も進路のための準備で学校生活に個人の匂いが漂う(集団の匂いの散逸がみられる)のが3年生というもの。

何を卒業するのかという問い。「業」を何も成してこなければ、何を卒業するのかわからないのも当然です。あるいは、もっと飛躍した場所を主人公は見てつぶやいている気もします。

「卒業」つったって、何が卒業なのか。何もはじまっちゃいないし、何を終えた覚えもない。

人生ずっとそんな気持ちのまま、事故ったアイツみたいにどっかトんでっちゃうその瞬間まで問い続けて生きるような気がします。それって普遍だなと私は思うのです。

青沼詩郎

藤井フミヤ 公式サイトへのリンク

THE CHECKERS 35周年特設サイト(ポニーキャニオン)へのリンク

参考Wikipedia>ギザギザハートの子守唄

チェッカーズのシングル『ギザギザハートの子守唄』(1983)

『ギザギザハートの子守唄』を収録したアルバム『絶対チェッカーズ』(1984)

『ギザギザハートの子守唄』を収録した3枚組ベスト『THE CHECKERS』(1992)

『ギザギザハートの子守唄』のライブ演奏を収録した『THE CHECKERS FINAL~ラスト武道館ライブ1992.12.28』(1993)

『ギザギザハートの子守唄』のライブ演奏を収録したライブベストDVD『チェッカーズ・ベストヒッツ・ライブ! 1985-1992』(2018)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ギザギザハートの子守唄(チェッカーズの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)