作詞:松本隆、作曲・編曲:林哲司。竹内まりやのシングル(1979)、アルバム『LOVE SONGS』(1980)に収録。

コーラス(BGV)が緻密です。後半に向かってどんどんハデハデになっていく。シュビドゥビ……を何回言うんだ!と突っ込みたくなります(褒めてる)。最初〜2回目のコーラスでは、コーラス(のアタマ)の歌詞で主題にもなっており最重要なフレーズ ”September”のフレーズをそのBGVパートに譲っています。メインボーカルのトラックが”September”のフレーズをブランクにして、そこをBGVパートが歌っているのです。ロネッツの『Be My Baby』も、BGVパートとメインボーカルパートを合わせて、一体となって主旋律を成した印象だったのを思い出します。

BGVパートに”September”のフレーズを譲るのは最初の4小節間で、9小節目以降に同じフレーズが帰ってくるところでは竹内まりやさんのメインパートが歌いますし、転調を経て3コーラス目以降は普通にメインパートが”September”を最初の4小節間を含めて歌う棲み分けになっています。

1〜2コーラス目のコーラス(サビ)で、9小節目以降にメインパートに”September”のフレーズを明け渡したBGVパートは、メインボーカルが”September”を唱えた直後に”September”のフレーズですかさず合いの手します。

エンディングはBGV、マイルドに歪んだリードギターにメインボーカルと華のパートが勢揃いして大団円。もっと聴いていたいくらいですね。アンサンブルを尊重しつつ玄人感ただようリードギターのほどよい音量のミックスがなんとも大人びていて好きなところです。他パートの演奏もいちいち音が良い。ギターのカッティングなんかも私の大好物です。

エンディングに入る直前はBGVの大フィーチャーで、ドラムスのキックのもとにまる裸で採用されており独壇場です。

“A面収録の「SEPTEMBER」のコーラスアレンジはクレジット上ではEPOとなっているが、これは彼女を翌1980年にデビューさせるための社内世論形成を狙ったもので、実際は担当プロデューサーの宮田茂樹によるヘッドアレンジ[注 2]だった[4]。またコーラスの女声部をEPOが、男声部を宮田が歌っている[4]。”(Wikipedia>SEPTEMBER (竹内まりやの曲)より引用)

とあります。聴きとる限り、これが宮田さんの声かなと私が思うラインは儚げで中性的な声が魅力的で、男声がいたの?と思わせるほど調和しています。

Wikipediaが参考にしている参照元をリンクしておきます。(孫を引いてしまい失礼しました。)

大人のMusic Calendar>1979年の本日リリース、竹内まりや「SEPTEMBER」制作時の話

宮田茂樹さん自身が自分で自分にインタビューする形でつづった制作や業界のお話。“ひとり問答”形式の記事にしているおかげで非常に読みやすく、伝えたいことが素直に入ってくるありがたい記事です。

EPOさんが社に遊びに来ていてレコーディングにその場で採用されるとか、通りかかって山下達郎さんがそれを評価するとか、偶然がいちいち豪華です。音楽って、「たまたま」がかさなってエライことになる(良い意味で)のが醍醐味ですよね。

竹内まりやさんの楽曲『September』の話に戻ります。重ね重ね、各パートの演奏やアレンジもすこぶる気持ち良い。イントロは“M A R I Y A, Mariya’s hit parade”。音楽愛好心と遊びを感じます。ちょっと汚しの効いた質感のサウンドがまたいいですね。電波を通したサウンドのイメージでしょう。アナログのテレビか、ラジオかを想像します。

歌詞と主人公像

“辛子色のシャツ追いながら 飛び乗った電車のドア いけないと知りながら 振り向けば隠れた”

”会ってその人に頼みたい 彼のこと返してねと でもだねめ気の弱さ くちびるも凍える”

(竹内まりや『September』より、作詞:松本隆)

相手のことを尾行したのですね。気づかれないように情報を集める、そのための行動には出れる、体が動く。“年上の人に会う 約束と知ってて”とありますから、たまたま「あなた」を街で見かけて、考える前にからだが動いた(尾行した)のとはおそらく違います。分かってて、その様子を知りえるために、尾けたのでしょう。

「あなた」と関わりのある、「その人」に面と向かって”彼のこと返してね”。ゾっとするシチュエーションです。自分がそこに関係していなくても、物語をみているだけなのにゾっとしてしまいます。コワイコワイ……。でも、主人公はそれを、言えないのです。私の背筋とともに、主人公のくちびるも“凍える”様子。自分やその周囲がおかれている状況を正しく知るために、尾行は起こせる。が、自己主張を、その最たる対象につきつけるのにはギブアップしてしまう。最たる対象は、彼を奪う「その人」でなく、彼自身の方である、というのが本筋な気もします。いずれにしても、鉄壁でない主人公の人柄に「うそだぁ」「そんなのありえない」という物語の登場人物らしさを感じもしますし、反面、妙にリアルでもあります。味わいに振れ幅があり、長く親しむ大衆歌として、とても好ましい表現だと思います。

“借りていたDictionary 明日変返すわ ”Love”という言葉だけ切り抜いた後 それがGood bye, good bye”

(竹内まりや『September』より、作詞:松本隆)

極めつけはこのラインでしょうか。「うそだぁ」「そんなことしないよ」のツッコミを私の中の狭量な人格が高らかに唱えてもいますが、「いいじゃないか」「ウィットがあって、ドラマチックだ!」と拍手をして歓迎している人格も私の中に同居しています。

あなたへの決別の意思表示(あるいは、それと気づかれないことを視野に入れて)として、借用中だった辞書の中から、Loveのところをカットして返す。叩きつけるように「切り抜いてやったから!中見てみやがれ!」とこれ見よがしに返すというよりは、この主人公なら、切り抜きの事実を誇張することなく、そっと、気づかれなくてもどちらでも良いと思いながら静かに差し出すのではないでしょうか。思いは胸に秘める。しかし、然るべき場所には、はっきりと形に残す。「あなた」が自らそれに気づいたときの驚愕と衝撃こそが、この世で最も大きいものだと知っているのではないでしょうか。

ある面ではねっとりして、内弁慶(それも、自分の心の内側に雄弁だという意味)だが、水面下で起こす行動力や情報収集に長けていて、ジョーク(ウィット)のセンスが高いのか低いのかズレているのかわからないがセンス自体はある、いや、あるいはとても大きい。こういう人とは、相性があえば、きっと誰かが、末長い最良のパートナー関係を結べるんじゃないかと私はひとり胸のうちでこくこくと頷いています。その結びつきは、とても深くて固いものになるはずです。あんな秋(September)もあったなと心の中でふとしたときに思い出しながら、繰り返す秋を一緒に過ごす相手があわよくば主人公にあらんことを。

青沼詩郎(そういうアンサーソングを作るのも面白そう)

参考Wikipedia>SEPTEMBER (竹内まりやの曲)

参考歌詞サイト 歌ネット>September

竹内まりや 公式サイトへのリンク

『September』を収録した竹内まりやのアルバム『LOVE SONGS』(1980)

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『September(竹内まりやの曲)ギター弾き語り』)