リスニングメモ 編曲の妙なる間

作詞:銀色夏生、作曲:大沢誉志幸。編曲:大村雅朗。大沢誉志幸のシングル、アルバム『CONFUSION』(1984)に収録。

この編曲・演奏は、こんなにも華やかで鮮やかなのに、ボーカルの魅力を食ってしまう悪目立ちするものがないところが素晴らしいと思います。そこがボーカル、楽曲の主人公のえもいわれぬ哀愁、孤独感、寂しさを……いずれも言外のものかもしれませんが、私にひしひしと感じさせるのです。

特に間奏のところでしょうか。Aメロと同じ進行パターンをとっているので、ここで、Aメロのボーカルメロディを模倣したリードするトーンを入れる手段も考えうると思います。もし入れるなら、どんなトーンがいいか想像してみる。サックスなどは曲の雰囲気を壊すことなく、スタイリッシュに入りそうな気がします。あるいは、すでに楽曲のベーシックリズムを担う重要なトラックとしてほぼ全編に登場しているマリンバ系の楽器にこれを担わせるのも、減衰系で衝突音と温かみのある丸みと余韻が魅力的になるかもしれません。ストリングスとかはちょっと湿っぽくなりすぎて、水分過多といった印象になるかもしれませんので私なら控えるでしょうか。ハーモニカなんかは孤独感が強調されて案外合うかもしれません。

……と、ひとくさり、「ボーカル模倣メロディを間奏に入れるなら?」の仮定で私の勝手なアイディアを検討してみたのですが、実際の大沢誉志幸さんの作品『そして僕は途方に暮れる』の間奏では、これみよがしであからさまなボーカルAメロディの模倣をすることはしなかったのです。

そこがいい。いいです。間が大事。ここで、情報量がコントロールされ、リスナーの胸に、脳内に、猶予が与えられます。決して暇な時間ではありません。押し黙って、空気を味わう時間。ここに、リスナーによって千差万別の感情物質(そんなものがあるのか知りません)がひたひたと分泌されるのです。

もちろん間奏で音が薄くなるということも一歳ありません。シンセサイザー系のトーンでもフワーっとしたものやリズムを担うものと、複数のパートが感じられます。耳の注意をひくのはやはりサスティンする、フワーっとしたトーンのシンセでしょうか。コード進行と協調し、最低限の打点(音を置き直すポイント)で、徐々にしかし大胆に音域を上げていきます。そこに、パーカッション小物系が入るなど豊かな耳の得る情報量を確保します。

全編の話に戻りますが、ベースもこれはシンセでしょうか? ジュンジュンと、現代的で都会的な印象で恒常なリズムを刻みます。ゲートがかったような明瞭で余韻がある、レンジが広くて派手な印象のスネアがザッとアクセント。ドラムスのキックは四つうちが基礎。太くガッツとパワーのある音色と相まって、ドコドンと低域の優雅さを強調するのはティンパニでしょうか。

特定の場所のみの強調に、大衆歌(ポップソング)にティンパニを取り入れるアレンジは多く存在すると思いますが、割と全編にわたって、ベーシックの一部的に用いるアレンジのティンパニは、ポップソングにおいてはやや少数派かもしれません。こんなにも豊かな印象なのに、それでいてボーカルのさびしげで儚げな表現の魅力を強調するのは、明らかに華やかで派手さを強調する役割を担わされがちなティンパニを、控えめな脇役として、しかし登場する時間はごく長く用いたことによる類稀な効果かもしれません。

ティンパニが印象的な私のフェイバリットソング『愛のしるし』(PUFFY)。おもにイントロやサビ明け・エンディングの特定の場所の強調に用いている印象です。

歌詞 まなざしの角度

“ひとつのこらず君を 悲しませないものを 君の世界のすべてに すればいい そして僕は 途方に暮れる”(『そして僕は途方に暮れる』より、作詞:銀色夏生)

印象的なラインです。おそらく、主人公の全霊が、このラインの通りに思い・考えているわけではないはず。吐き捨てるせりふとして言っているのだと思います。

自分が悲しまないですむことだけで、世界を満たすことはできないでしょう。目をそむけるように自分を仕向けることは可能かもしれません。実際、自分に過度なストレスを与えたり、自分を振り回したりするものと距離を置くのは、厳しい世の中を快適に生きるコツでしょう。自分の機嫌は自分でとるに限る……そんなような言葉にもどこかで聞き覚えがありますし、私のなかの人格のひとつはそれにうなずいてもいます。

ですが、やっぱり盲目になりきることは私はできません。社会のすべてはつながって、関係しあっているからです。それは、うっすらかもしれません。間接的で、遠く、甚だしく遠い関係かもしれません。それでも、決して断絶してはいないのです。

極端な例えですが、どんなにある人が死刑制度に反対していても、その制度が存在する社会(地球)で共に生きているのはあらゆる人・生物における事実でしょう……賛成であろうと反対であろうと、その死刑に、わたしも、あなたも、ごくごくごくわずかなりとも、加担……は言い過ぎだとしても、分担くらいはうっすらとしている……(死刑についてのみでなくとも、)戦争でも犯罪でもなんでもそう……とまでいうのは、ここでは風呂敷を広げすぎかもしれません。それらの是非や、それらについての実際問題をどう考え、どうしていくべきかという議題は、私の稚拙な音楽愛を垂れるこの記事の中で取り上げるには、あまりにも重大すぎるでしょう。ただ、この『そして僕は途方に暮れる』の歌詞のラインの視野の奥に見切れる、世界の真理の深みであることは確かといっておきたい。それほどに、キレと余韻と奥行きのある、端的ですばらしい作詞だと思います。

主人公とて、個人を悲しませないですむものだけで、その人の認知のすべてを満たすことなどは、到底難しいことであると、きっと心のどこかではうなずいているはずなのです。「(気づけよ)」と、言外で、暗に嘆いているのかもしれません。ですが、それに振り切れない人格を心にもつことも、きっと主人公は否定しないのでしょう。ほかでもない、自分自身もそうした人格を自分のなかに棲まわせているからかもしれません。そうした複雑な個々の事物と個別の人格の「間」、時空の距離感を感じさせるところがアカ抜けていて、かっこいい作詞なのです。主人公の首や顎、まなざしの角度までをも、私は目の前で見ているようです。

青沼詩郎

大澤誉志幸(大沢誉志幸) Twitter(X)

参考Wikipedia そして僕は途方に暮れる

参考歌詞サイト 歌ネット>そして僕は途方に暮れる

VocalMagazineWeb>「そして僕は途方に暮れる」(大沢誉志幸)を名曲にした「きゅんメロ解決」とは? 独自の「ス式楽譜」をもちいて、ことばとメロディの動きを視覚的に伝える図を効果的に用いて『そして僕は途方に暮れる』の楽曲の骨子:ボーカルメロディ・歌詞・コードを解説する「【連載】スージー鈴木 きゅんメロの秘密」。フレーズの始点付近の大きい跳躍と、おおまかにみたときのフレーズ毎のなめらかさが察せられるメリハリの効いたメロディは、特に歌唱力のあるシンガー(歌唱力があって当然なのがシンガーですから失礼な表現かもしれませんが他意はありません)のポテンシャルを余すことなく伝えるプロットだなと共感します。

大沢誉志幸の『そして僕は途方に暮れる』を収録したアルバム『CONFUSION』(1984)

大澤誉志幸

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『そして僕は途方に暮れる(大沢誉志幸の曲)ギター弾き語り』)