恋の季節っていつ? 恋の季節外れっていつ?

運がよければいいことあるさ 堺正章 曲の名義、発表の概要

作詞:橋本淳、作曲・編曲:筒美京平。堺正章のシングル、アルバム『サウンド・ナウ!』(1972)に収録。

堺正章 運がよければいいことあるさを聴く

ブラス、ストリングス、エレキギター、ラテン・パーカス、「ウー・アー」のコーラス……多様なパートのバランスの良いこと。局面ごと、オカズ(フィルイン)のタイミングごとに、目立ってくるパート、耳を弾くフレーズが入れ替わり巡るのです。ミックスのバランス感も絶妙ですし、そもそも楽器の役割分担、音域のすみ分け、タイミングのすみ分け、音価のすみ分けがそれぞれ絶妙なのです。作曲と編曲を一人で兼ねる筒美京平さん作品の一番良いところが私のツボにドハマり。

3分割のハネたグルーヴを謳歌するように、ストリングスの刻みが細かく雄弁になっていきます。平易な言葉は、メロディのドラマある起伏、リズムにのることでメリハリと豊かな生命感を得ます。

今日までは ふたりは友達 運がよければ 明日は恋人と呼べるさ 地下鉄の中で ふりかえった 君の笑顔に心が 何かを感じたんだよ そうさ この広い世界に そうだ 恋人は君だけひとりさ 今日までは ふたりは友達 季節はずれの恋にも 必ず幸福 来るよ

(堺正章『運がよければいいことあるさ』より、作詞:橋本淳)

言葉のてざわりは平易なのですが、やはり読んだとき言葉自体にもリズムにメリハリがあります。筒美さんの紡ぐ音楽の緩急と相まっていきいきとした読み味です。

恋がはじまりそうな……動き出すための慣性を得た瞬間を印象的に描いています。要(かなめ)は、「君の笑顔」でしょう。どんな笑顔か。それは、友達関係だった二人の間で、地下鉄でふりかえって見せたものであるのがその通りに描かれています。ありきたりな描写にも思えるのですが、なぜこうも、主人公が笑みをかけられた瞬間のはっとした気持ちに私は共感するのか。

地下鉄というのが、移動手段であって、そこに目的をもって「滞在する」場所ではないことが挙げられます。つまり、人々にとって、目的地までの経過点でしかないのが地下鉄という場所の鉄則です。

もちろん世には熱心な「乗り鉄」もいて、地下鉄に乗ること自体が至上の目的となりうることはここではひとまずそっとしておきましょう。

つまり、そういう刹那的な(一瞬でしかなく、目的地までに付随する儚い)場面で、自然な流れに沿って屈託なく純真に向けられた笑顔である、と私は想像を膨らませるのです。(そんなの、ときめいちゃうじゃんよ!)

恋に季節というものがあるなら、それはいつか? 春は、年度が変わるのに伴う人々の出入り、環境の変化。夏も秋もその気候なりの行事やレジャーに満ち、冬は人肌にもすがる寒さ、クリスマスや正月といった親しい人との接点が存在感を増す行事の存在。つまり、恋の季節ってひっきりなしではないかと思うのです。

恋は、どんな季節にもつきものなのです。そこを、あえて「季節外れの恋」と表現する。それは、やっぱり、この二人の間に恋がめばえることは、思わぬ幸運だったという意外性、「喜ばしい想定外」みたいなものを私に感じさせるのです。

出会うなり、激しく惚れてしまって燃え上がる恋もあるでしょう。ですが、この二人はどうやら「友達」という関係がまずあるのです。二人の立ち位置に波紋を起こす、水面に投げられた石は、君がふりかえりざまにみせた笑顔だった。あれ? 友達のつもりだったけど……アナタ、猛烈に素敵じゃないか? この世で最も嬉しい戸惑いです。

ひょっとしたら、「恋モード」へ突進するアクセルとして意図的に主人公にふりかえって投げられた笑顔だったのかもしれませんね。ヒュー。君たち幸せだね。

青沼詩郎

『運がよければいいことあるさ』を収録した堺正章のアルバム『サウンド・ナウ!』(1972)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『運がよければいいことあるさ(堺正章の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)