まえがき 乗数形の儚さ
夢の中で良いアイディアを思いついた。作詞のネタだった。でも、忘れてしまった。朝、覚醒しつつあるときに思いついたネタだったのだと思う。でも、まどろみながら、もう一度寝てしまった。
二度寝から目が醒めたとき覚えていたのは、思いついたアイディアの外側、つまりそんなようなものが存在したなという余韻だけだった。
夢というのは儚い。忘れるのも儚い。夢で出会ったものを忘れてしまうというのは、儚さが入れ子になってしまったみたいだ。まるで乗数形である。
曲について
作詞・作曲:大瀧詠一。1976年、吉田美奈子のアルバム『FLAPPER』に収録されました。1977年にはシリア・ポールの歌ったシングルが発売。その後も多くのミュージシャンによるカバーが生まれます。
鈴木雅之
シリア・ポール
作者、大滝詠一。
吉田美奈子『夢で逢えたら』コーラスの語彙
The Ronettes『Be My Baby』を思い出します。イントロのドラムスとクラップのパターン。
細かく絡むフルートオブリガードが流麗です。曲中、頻繁に耳を引く光る演奏です。本曲においてパーカッションと兼任(参照元)の浜口茂外也氏の演奏。作曲の大家・浜口庫之助氏のご子息と知り驚きました。二代に渡り音楽に愛されています。浜口茂外也は忌野清志郎と組みトーサンズ名義で『パパの歌』を発表してもいます。仕事スイッチオン・オフ時の父親の姿をコミカルかつ愛嬌いっぱいに描いた歌、作詞は糸井重里。
浜口茂外也に逸れた話を『夢で逢えたら』に戻します。
大サビ後のサビで私の好みのツボ、高鳴るカスタネット。大瀧詠一氏のサウンドでしばしば出会う音色です。クレジットをみるに、演奏はYoshinori Nomi。納見義徳さんでしょうか。
コーラスに厚みがあり、そのパターンも機知に富みます。
ヒラウタにみられるコーラスのパターンにご注耳ください。このパターン、荒井由実『ルージュの伝言』のサビやエンディングにみられるコーラスのパターンにちょっと似ています。
『ルージュの伝言』のコーラスには山下達郎、大貫妙子、伊集加代子、吉田美奈子が参加しているようです。
一方、吉田美奈子『夢で逢えたら』はどうでしょう。コーラス・アレンジは山下達郎。コーラス(バックグラウンド・ボーカル)は山下達郎、吉田美奈子、伊集加代子、大貫妙子……ずばり、まんま一緒です。そりゃ似るわね。
【出典】
Wikipedia>FLAPPER (吉田美奈子のアルバム)
アレンジは音楽の語彙のようなもの。ひとつ持っていればそれはほかでも使えるのです。どんどん使っていきましょう。似ていてつまらないなんてことはありません。あちらで聴いた特徴(遺伝子)がこちらにも感じられて、別々に認知していた音楽の世界があちこちつながって楽しいではありませんか!
吉田美奈子『夢で逢えたら』コード進行をみる
ヒラウタ(ヴァース?)はトニックから始まるパターンです。
|Ⅰ|Ⅵm|Ⅱm|Ⅴ|Ⅰ|Ⅵm|Ⅱm-Ⅴ|Ⅰ-Ⅰ♯dim|
サビのパターンです。
|Ⅱm|Ⅴ|Ⅰ|Ⅵm|Ⅱm|Ⅴ|Ⅱm-Ⅴ|(Ⅰ)
サビはサブドミナントから始まります。1〜2小節目や5〜6小節目では2小節かけていたⅡm-Ⅴの動きですが、7小節目では同じⅡm-Ⅴの動きが1小節に凝縮しているのが好き。結果として7小節になり、つぎの小節のアタマでのトニックの解決が、そのまま間奏パターンの頭と重なります(最後の繰り返すサビ・エンディングは別)。吉田美奈子のボーカル尻に、フルートのオブリガードが重なって入るのです。間断なく夢のバトンを継いでいくようです。
その小さな間奏のコードパターンも小粋。
|Ⅰ-Ⅰ6|ⅠM7-Ⅰ6|
第5音を全音ずつ上行させ、メージャーセブンスを頂点にまた戻す動きです。
Cメロのコードの動きもまた面白いです。
|Ⅳ-Ⅲm|Ⅳ-Ⅲm|Ⅵm|Ⅱ7|Ⅱm|Ⅱ7|Ⅵm-Ⅵ♭|Ⅴ|
特に珍しいなと思ったのが、4~6小節目の進行です。
ⅡマイナーをⅡメージャー(Ⅱ7)に変える動き、よくあります。
Ⅱメージャー(Ⅱ7)をⅡマイナーに変える動き。これもある。
ⅡメージャーをⅡマイナーに変えて、それをまたⅡメージャーに戻す…?!
これは私、初めて見ました。
音楽の4小節単位のまとまりを意識します。4小節目まででいったん線引き。|Ⅳ-Ⅲm|Ⅳ-Ⅲm|Ⅵm|Ⅱ7|でひと呼吸。
そのあとに、5小節目以降のまとまり|Ⅱm|Ⅱ7|Ⅵm-Ⅵ♭|Ⅴ|を意識します。こいして区切って見れば、ただのⅡm→ⅡM(Ⅱ7)を含む動きです。これなら、ほかにも例がありそうです。
お尻にⅡ7を置いた4小節と、頭にⅡmを置いた4小節が連続したために起きた、物珍しい長→短→長のⅡでした。
そういう意識で大瀧詠一氏が作曲したかどうかは別ですが、共通する低音を敷き、上声の間隔を移ろわせることで、翳ったり明かりが射したりと響きが変化する綾を味わえます。大瀧詠一氏の音楽の語彙の豊かさ、『夢で逢えたら』録音ミュージシャンらの確かな手腕を思います。
蛇足ですが、大サビのおしり付近、|Ⅵm-Ⅵ♭|Ⅴ|のベース半音下行進行も粋です。
サビの歌詞
“夢でもし逢えたら 素敵なことね あなたに逢えるまで 眠り続けたい”(『夢で逢えたら』より、作詞・作曲:大瀧詠一)
今、あなたが逢えていない人は誰でしょう。離れたところにいる現在の恋人かもしれませんし、かつて恋人だったけれど今はもう違う、しかし恋しい誰かかもしれません。
肉親や兄弟・親類かもしれませんし、もう亡くなってしまったから逢えない人かもしれません。あるいは、特定の誰かとは違う仮想の存在。
眠り落ち、夢を見ることで、そこで逢えたらいい。そうすることでしか逢えない誰かがいるかもしれません。
それを欲し、望むとしたら、眠り続けるのみです。
でも、現実にはいつまでも眠り続けるのは無理です。
目が覚めてしまうでしょうし、身の周りの社会がそれをあなたに許してくれないかもしれません。
眠り続けられるのは、あなたが永遠に眠るとき……それまで逢えなかった誰かのもとに近づくときかもしれません。
仮に恋しい人に逢えたとしても、その人はあなたが恋したその人であって、その人ではありません。人は、刻一刻と変わるのです。昨日のあなたは、今日のあなたとは少し違います。屁理屈でしょうか。
屁理屈によれば、つまり、今この瞬間のあなたに逢えるのは今この瞬間だけなのです。今この瞬間以降は、もう、どんなに欲して眠り続けようとも、もう今この瞬間のあなたには二度と逢えないのです。
そんな屁理屈を考えていると、“決して叶うことのない望み”という切ないテーマが『夢で逢えたら』には見えてきます。
屁理屈にお付き合いいただき、ありがとうございます。もう二度と、同じ屁理屈にも逢えないでしょうからどうかご容赦を……。
後記
時間を置いて再聴すると、その都度違ったイマジネーションの花開く『夢で逢えたら』。
この素晴らしい録音物は固定されたものであるにも関わらず、聴くたびに私は違った感慨を胸の中に映します。
未来のあなたに逢うのを、いつでも眠り続けて待ってくれている素敵。
青沼詩郎
ご笑覧ください 拙演