左にアコギ、右にエレピ……かと思ったのですが右のものはよく聴くとエレキギターでしょうか。トレモロがかかったような揺らめきがあり、アタックのやわらかくてほどよく潰れたような丸い印象がエレクトリックピアノにそっくりです。プレイのはしばしにみる質感やその機微から、鍵盤でなくて竿物、エレキギターのそれに思えます。エレキギターとエレピはこんなに似ている音を出しうるのだと意外に思いました(と、ここまで言っておいて実際はどうか)。
コチコチと、機械時計の動作音……とも違うのですがそれしか例えが思いつかない音がリズムの基盤として重要な扱い。アナログの木製のメトロノームのようなテクスチャーにも思えます。なんの音なのでしょう。プログラミングで入れたのでしょうか。ドラムスも入っており、柔和で的確なプレイで太さと臨場感を演出、シンバル類の出す華やかではじける印象は必須の役割に思えますが、先述のコチコチいう恒常なリズムがむしろ、リズムの一番奥のほうで手ぐすねひいている黒幕。可愛くて素朴で懐かしいサウンド。バンドの音、おふたりのメインボーカルとそれを載せる最も重要で実寸にあった舟としての「アコギ」をつなぎます。
“家に帰れば ロックがぼくを 待っててくれる ボリュームあげるよ 歌ならいつだって こんなに簡単に言えるけど 世の中歌のような 夢のようなとこじゃない”
(『ぼくのお日さま』より、作詞:佐藤良成)
コミュニケーションに難がある……とまでいえるかわかりませんが、主人公は、自分の思いを他人に表現するときにつっかえがちなのを思います。
“ぼくはことばが うまく言えない はじめの音で つっかえてしまう だいじなことを 言おうとすると こ こ こ ことばが の の のどにつまる”
(『ぼくのお日さま』より、作詞:佐藤良成)
佐藤良成さんが歌うほうのボーカルパートが「こ こ こ ことばが の の のどにつまる」の、ほんとうに詰まってしまう感じを実際に表現しているようです。
「ぼくのお日さま」の主題は、音楽のことなのではないでしょうか。主人公は、自分の思いを他人に向かって表現するときの反射神経がこじれているような印象を受けます。こじれているというのもまた私の押し付けがましい、ひどい偏見。これが、主人公のデフォルトであり、個性そのものなのです。
「うまく言えない」と、主人公は客観し自覚してもいるようです。ですが、それが、普通と比べてうまく言えないんだ、なんて解釈を、私はそっと否定してあげたい。普通ってなんだ? という話になってしまうではありませんか。あなたが、何を成すときに、どれくらいの負荷を克服するときにそれを達成できるのか? そのときに消耗するエネルギー、その負担感はどれくらいのものなのか? それはまさに、個人によってピンキリ。さまざまです。ある人にとって、数段の階段を登ることは一瞬で済むミッションであっても、別の個人にとっては、それは達成しえないほどの難関かもしれません。
あまり、個性が多様であることをおおげさに強調しすぎるのも気持ちの悪い感じです。ここで私がお伝えしたいのは、主人公が、そうした自分の個性を、ある程度客観して自覚しているというところ。
そして、そうした、「うまくいかないしんどさ」みたいなものがつきまとう境地から救ってくれる「お日さま」のような存在が、主人公にとってのロック・ミュージックであり、「歌」の世界であり、音楽なのではないでしょうか。
ハンバート ハンバートの基本とする単位、歌とギター。この様相からフォーク・デュオなる形容を付されることの多そうなお二人ですが、その原動力といいますか、原風景は、おのれの個性と世界のあいだの摩擦に抗うエネルギーを燃やすロックの畑なのかもしれません。
そういうギャップ、差異がおどろきや新鮮な感動を生んだり、あるいは耐えかねるような苦痛や負荷を生じたりするところで、音楽を広く眺め通して創造活動を抽出している。その姿こそが、ハンバート ハンバートの魅力の一面なのだと感じています。
青沼詩郎
『ぼくのお日さま』を収録したハンバート ハンバートのアルバム『むかしぼくはみじめだった』(2014)
ライブの『ぼくのお日さま』を収録したハンバート ハンバートの“ライブ音源バラード・ベスト”『WORK』(2019)
HUMBERT HUMBERT
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ぼくのお日さま(ハンバート ハンバートの曲)ピアノ弾き語り』)