作詞・作曲:尾崎豊。編曲:西本明。尾崎豊のアルバム『十七歳の地図』(1983)に収録後、シングルカット(1991)。

透き通る歌が危うく儚いです。不安定だとかそういう批評ではなく、彼の心のまま、そのままが顕現したようなセンシティブな歌に私はまったく入っていけない。理解できないとか良さがわからないの意味ではなく、心を揺さぶりすぎて畏れ多いという意味です。

甚大な数のファンを魅了したでしょう。たくさんの人に愛され、大事にされ続けている歌で、最も知名度のある素晴らしい楽曲のひとつです。

図:尾崎豊『I LOVE YOU』歌い出しのボーカルモチーフ採譜例。1小節目の強拍で和声音の長2度下にぶつけるおしゃれなメロディ。上行して主和音の第3音に解決します。16分割のリズムを基調にした細かいボーカルメロディですが、直接的に語り掛ける”I LOVE YOU”の部分では音価や休符をゆったりとっているところが優しげで愛らしい。本当に、目の前のあなたに語り掛ける臨場感です。

サビ前の“Woo woo woo”……。サビの“悲しい歌に”……の歌唱。ファルセットというのか、その種の境界を要するわけでもない。「これはこういう歌唱法です」なんて分析が馬鹿げて思えます。どこまでも、尾崎豊さんそれそのものを感じるのです。私がこの楽曲を歌おうものなら、ただの真似事未満。私が稚拙で未熟なだけだと一言、片付けてしまえればそれは楽です。尾崎豊さんの歌は、どこまでも尾崎豊さんの歌なのです。楽曲の存在を含め。

図:尾崎豊『I LOVE YOU』Bメロ~サビ前のボーカルメロディ採譜例。16分音符の同音連打が雄弁。そのまま熱量をあげて転がっていくかと思えば、繊細なトーンの”Woo…”の清涼感で昇天。直前の熾烈な16分音符を忘れるように音価も広がり、世界が反転するよう。”小猫の様な泣き声”の表現でしょうか。
図:尾崎豊『I LOVE YOU』サビのボーカルメロディの採譜例。16分のリズムが細かい。随所の1拍3連ふうのリズムで緩急をつけます。カッチリとした分割というよりは、流れの変化が豊かで情感たっぷり。かつ、確かなリズム感です。

繰り返し現れる、跳躍で至る上の主音、Aの音。コツコツと心の天井を叩くよう。不定の間隔でお腹に来る感じがセクシィです。感情をグラグラ揺さぶり、振り回す一因でしょうか。

書き起こしてみるとサビが9小節ふうになっているのが意外。不自然さをまったく感じません。特定のモチーフや音形をしつこく転位・再現するのでなく、複数のフレーズの成す揺らぎ感、連なり、その変化や起伏の「意外性」が楽曲の魅力の秘密かもしれません。図中、1段目から2段目にかけて6小節と7小節目以降の間で一度区切って解釈するのもよさそうです。

1コーラス目のサビに関しては、末尾の“しまわぬように”の余剰な拍、宇宙に放り出されてしまったみたいなはみだした一瞬のブレイク感が絶妙。私の理性をなおもグラグラ揺さぶります。「5拍の小節」っぽく感じてみました。

『I LOVE YOU』の楽曲の高い独創性についていうなら、たとえば最近私が鑑賞した楽曲でいうに長渕剛さんの『乾杯』であったり……多くの人に愛され、大衆の唇から唇へと渡る存在であると同時に、どこまでも、彼(長渕さん)自身による、彼が誰かのために歌う絶対領域の歌なのです。私の狭い知見でいえば、たとえば小山田壮平さんや、長澤知之さんといった稀有なシンガー/ソングライターにもこうした圧倒的な近寄りがたさ(遠さ、高さ、儚さ)を感じます。もちろん、こうして列挙するのが愚行に思えるほどに、それぞれに違って多様な方々なのは大前提に。

尾崎豊さんの『I LOVE YOU』の話に戻ります。空間を広げ、抜けていく残響。彼の歌が真ん中にあり、主役であることを確かにしたうえで、空気との接着感・浮遊感の塩梅が心地よいサウンド。

ポルタメントする音は、コーラスのようなモジュールだか残響系のエフェクトをかけたエレキギターをボトルネック奏法などして収録したものなのでしょうか。キーボードなどをトーンベンドして演奏したものでないか……キーボードはキーボードで入っていますからやはりギターでしょう。鳥山雄司さんの演奏でしょうか。

楽曲の印象として甚大な存在のピアノは尾崎さん自身のものでなく、西本明さんの演奏とのこと。

図:尾崎豊『I LOVE YOU』1サビ明けと2コーラス目をつなぐ間奏のモチーフ採譜例。音価や音高、歌唱の情感の振れ幅でノックアウト寸前(あるいは昇天済み)の私を平静に救急搬送するような8分音符、モチーフのあそび(すき間、余裕)が優しい。2コーラス目を迎える心身の「ととのい」を与えます。尾崎さんによる歌詞の歌唱部分とは対照的に、音形の丁寧な反復で作編曲家的な所作・意匠を感じます。
図:尾崎豊『I LOVE YOU』イントロのピアノモチーフ採譜例。16分割の絢爛な動きはボーカルメロディの質感を汲み取り、間奏のようなおおらかさある8分割で華やいだ街を遠くにみるようにボーカルの歌い出しにつなげます。浮遊感あるメロディ(モチーフ)のポジショニング、私の注意を溶かすトリッキーな跳躍と順次進行の揺さぶり、カデンツの間の取り方のフックがすこぶるおしゃれ。圧倒的なカリスマを鑑賞するための適正な遠近感をくれるイントロです。

Wikipediaにみる、西本さんが仕事を共にした名前の一覧をみるだけでもめまいがします。ここでいいたい(こうした周辺情報をまじえていいたい)のは、尾崎さんの、尾崎さんのまんまの歌(どこまでも高純度な歌)を、あくまでサウンドとして一級の仕事人との協働によってパッケージし届けてくれた商業音楽界よありがとう(業界のイもロもハも知らない門外漢の私ですが)ということです。尾崎さんという稀有で唯一無二の資源がそれとして存在するだけでは、現在のようなかたち、これから先のかたちで『I LOVE YOU』が知的財産として出回ることはないのだ、という当たり前のこと。

個人の心のかたちはそれぞれで、ぎすぎすしたりどろどろに溶けていて指と指のすきまから流れ落ちてしまったり、そうやすやす他人のあいだで共有して取り扱えるようなものではありません。音楽(楽曲)は、そのある突出したところを中心に掬い取って、かろうじて扱える「形のない形」にできる一縷の望みです。

尾崎豊さんの楽曲、たとえば『I LOVE YOU』の前では、日がな私が音楽の細部に注目して心を躍らせて一喜しているのがちっぽけに思えます。そう言いながら、明日も私はここに帰ってくるのですけれど。

いつもこのサイトを訪れてくださるあなた、初めてのあなたも、読んでくださってありがとうございます。

後記

“それからまた二人は目を閉じるよ 悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に”

(『I LOVE YOU』より、作詞:尾崎豊)

音楽は雄弁です。その歌詞が訴えるセンシティブな内容に、その場にいる人間は影響を受けてしまいます。たとえばスピーカーを通して音源が再生されている、という程度の場への干渉であっても、そこにいる人間の感情や思考を強く揺さぶるものです。

同時に、いつしか場や環境のテクスチャーに対して鈍感になってしまう私の粗雑さを思います。それを老いというのか、成長というのか。

子供だった私は、ヘンなテレビ番組が、夕食どきの家庭のリビングをしらけさせたり凍り付かせたりするのを感じていました。その場にいた親のほうは、案外平気でいた。でも、私の心はヒヤヒヤしていたのです。

「悲しい歌」が届くあなたの心は、青くて美しい。

青沼詩郎

参考Wikipedia>I LOVE YOU (尾崎豊の曲)

参考歌詞サイト 歌ネット>I LOVE YOU

尾崎豊 (@official_ozaki) · X

尾崎豊 ソニーミュージックサイト

西本明 website

『I LOVE YOU』を収録した尾崎豊のアルバム『十七歳の地図』(1983)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『I LOVE YOU(尾崎豊の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)