はじめに
一枚の写真から連想して音楽を求めてみるのもいい。
これは、家で私の妻と私の子どもが、プラパック(マフィンか何かの焼き菓子が入っていた包装容器)に水を張って、庭で摘んだ花を浮かべて凍らせたところを写したものである。
「きれい!」と私は嘆いた。冷たい飲み物の入ったグラスにこの氷を浮かべたら、見た目がたいへん愛らしくなると想像した。けれど、単にお遊びで凍らせただけだそうだ。これらの花は食用じゃない。液体が透明のカクテルなんかに使ったら、見た目のかわいらしさに感激してしまいそうなのに。ちゃんと食用の花を買って、実現してみるのもいいかもしれない。
この写真から、私は『アナと雪の女王』劇中歌の『Let It Go』を連想した。
我ながら発想が単純だ。ほかにもうちょっと何か思いつかないか? とも思ったけれど、とりあえず音楽を聴いてみることにした。
作品は、あまりにも有名だ。世界中の子どもたちと大人たちの間に、毛細血管を流れる血液のように浸透した作品ではないだろうか。かくいう私も、映画を観た。そのときは、借りてきたDVDだった。
再生の自由がきくので、日本語バージョンと英語バージョンを切り替えて、合計3回くらい鑑賞した覚えがある。1度は、家族みんなで。1度は、もうひとつの言語で。さらに1度は、おかわりである。物語(構成)が非常にコンパクトで、何度でも観れてしまうのだ。
話を戻して、私は家族がつくった花の氷を被写体にした写真から「アナ雪」の『Let It Go』を連想した自分の発想のフック(ひねくれ)のなさに不満だった。観たことがある映画の劇中歌だし、あまりにも有名すぎる。
でも、まあいいか。文句は聴いてから言おう。もう知っている、鑑賞したことのある作品だけれど。
そう思って、いつものストリーミングサービスで何気なく再生した。お粗末にも、スマホのスピーカーでテキトーに聴き始めたのだけれど、妙に感動してしまった。
…エエ曲やん(単純)。
そのままむさぼるように私は何度もYou Tube上の動画を再生した。(私の耳にはがっつりイヤホンが挿入された。)
ふたつの言語
英語バージョン。日本語バージョン。ふたつを繰り返し交互に再生した。
字幕も、それぞれある。
また、英語の歌詞を日本語訳した字幕と、日本語の歌詞がぜんぜん違う!
それぞれに味わいがある。英語バージョンのテキストには、より主人公の芯の強さを感じる。
(その言語をつかう文化圏、そこに生きる人の気質があらわれるのかもしれない。その土地だからこそ、そういう言葉になったのだろう。地理が、文化が、風習が、そこに生きる人が、その土地の言語を培う。)
イディナ・メンゼルさん(英語)と、松たか子さん(日本語)のボーカルが素晴らしい。イディナ・メンゼルさんの歌には鋭さを、松たか子さんの歌には飛び抜けた艶を感じる。
主人公(エルサ)の意志と教会旋法
調性とイントロ
A♭メージャーがこの曲の主調だ。冒頭のピアノのフレーズはあまりにも有名だろう(何回「あまりにも有名」を言っても気が済まない。この作品があまりにも有名だからだ)。空虚な完全5度のピアノの低音の響きが、孤独や寒さの表現に思える。
教会旋法
私がこの曲でいちばん音楽的に気になった紹介したいポイントは、曲が始まっておよそ2分半が経過したあたりの部分だ。
D♭メージャーのコード上で、レ♭、ミ♭、ファ、ソ♭、ラ♭、シ♭、ド♭といった音程が歌われる。
これは、A♭を主音としてみた場合、(ラ♭、シ♭、ド、レ♭、ミ♭、ファ、ソに対して)ⅲ(ド)とⅶ(ソ)が半音下がっていることになる。「ドリアンスケール」だ。
でも、この部分のコードの響きとしてはD♭メージャーの和音なのだから、D♭を主音としてみると(レ♭、ミ♭、ファ、ソ♭、ラ♭、シ♭、ドに対して)ⅶ(ド)のみが半音下がった「ミクソリディアンスケール」と判断するのだろうか。
あるいは、G♭メージャーに向かうためのドミナントモーションなのか? G♭のメージャースケールはソ♭、ラ♭、シ♭、ド♭、レ♭、ミ♭、ファなので、仮にこの解釈を採用するのならば、すべて調の中の音だとみなせる。ナチュラルの「ド」が歌メロには一瞬出てくるが、メロディが「レ♭ドーレ♭…」という動きなので「レ♭」に解決する非和声音とみなすのは屁理屈だろうか。
音階(scale)や旋法(musical mode)について、私の理解は不十分だろう。解釈の前に心得るべき前提なども欠けている気がする。引き続き学ぼう。
信仰と意志
話が迷走したがとにかく、主調にはない音がここで出てきて独特の味わいを出していますよ〜と私は言いたいだけだ。しかも劇中のこの部分で、主人公は魔法で氷の城のようなものを築く。高いところまで吹き抜けていて、「教会」とか「礼拝堂」にも似た城だ。
「広い空間」を表現するのに、先程ちらりと名前を出した「ドリアン」だの「ミクソリディアン」だのいう「教会旋法」の類いは有効なのかもしれない。あるいは、教会旋法によって暗示される「信じ、仰ぐこころ」は、劇中でのその場面での主人公(エルサ)の信条(心情)、「意思(思い、志)」の表現なのかもしれない。
そう考えると、ここで、そういった音楽的に「異色なトーン」が用いられたことは、決して偶然なんかじゃないと分かる。「狙いすました、見事な設計である」とでも思わないことには、作曲者のロバート・ロペスさんとクリステン・アンダーソン=ロペスさんに失礼である! …と、ちょっと興奮してしまった。失礼しました。
むすびに
映画にしても、いち『Let It Go』にしても、作品を鑑賞したことがあったし、知っているつもりでいた。けれど、私の知っていた魅力は、まだまだ氷山の一角でした。改めて「解凍」して聴いてみるもんですね。(もちろんコンテンツとしてはずっとホットです。『2』も公開しましたしね。あまりにも有名な作品。…また出た。)いや、聴いて良かった。てか、めちゃめちゃ良かった。
世界中の少女たちが、「エルサ」になりきってましたよね。
青沼詩郎
(Apple Musicリンク)
『レット・イット・ゴー』(『アナと雪の女王』より)イディナ・メンゼル
いろんなモード(音階、教会旋法…ド旋法、レ旋法…)についての解説が参考になる『作曲の科学 美しい音楽を生み出す「理論」と「法則」 (ブルーバックス)』