最近ソウル・フラワー・ユニオンのレパートリーをよく聴いていた。アイリッシュ音楽の重要人物・ドーナル・ラニーと彼のバンドとの共同名義のアルバム『MARGINAL MOON』には『満月の夕』『潮の路』といった私の好きな作品が入っている。また、『アリラン』『竹田の子守唄』と、民謡に心を委ねる態度も感じる。

『竹田の子守唄』は赤い鳥のレパートリーとしても私は認知している。『翼をください』をB面にした、彼らのシングル曲でもある(『翼をください』のほうが合唱曲として学校教育の中で親しんだので、B面というのが意外だった)(あまりAやらBやらに差異もないか)(両A面なんてのもある)。

『竹田の子守唄』は子守奉公の少女が主体になった唄である。労働歌でありブルースのようなものでもあると私は認識している。実際に京都府伏見の竹田に伝わる唄だったものを、尾上和彦が採譜しそれがフォーク・ミュージシャンたちのあいだで広まった。赤い鳥のアンテナにもひっかかり、彼らが演奏したり発表したりして赤い鳥と竹田の子守唄の結びつきも強まった。そんな風に私は認識している。

子守奉公とは。貧しいときは、子供が家から出て行った方がその家としては経費(くいぶちなど)が減って楽だろう。そうやって実際に「奉公」に出された時代があったようで、私の祖父がその世代だ。奉公の仕事内容が「子守」であればそれが子守奉公。裕福な家の幼児の面倒をみる、ちょっと年上のお姉さんという感じだろうか。しかしこれもまたつらいものがあるだろう。お姉さんといってもあどけない少女そのものだろうし、必ずしも幸せを感じる奉仕環境とは限らないだろう。むしろ辛く厳しいものだったからこそ『竹田の子守唄』のような哀歌が生まれたのではないか。実家に帰りたくても帰れない、望郷の唄でもあるのかもしれない。

『竹田の子守唄』はそんな、奉公に服す少女が主体になった唄であるが、実は「子守り」をされる側の目線で描かれたあまりにも有名な歌がある。それが『赤とんぼ』。

作詞者の三木露風は両親の離婚を経験している。祖父の家で育ったそうだ。そこに、子守奉公の少女、つまり曲中で歌われている「姐や」がいて、幼い(幼いというよりは児童くらいの年齢か)三木露風の面倒をみた。曲中ではその姐やも嫁に行ってしまう。「曲中では」というか、三木露風の実話だろう。実際に彼は「自分の思い出を書いた」といった事実がわかる資料も存在するという。

曲中で「お里のたよりもたえはてた」と歌われる部分があるが、これは「姐や」の嫁ぎ先から発せられる「姐や」からのメッセージではなく、離別してしまった三木露風の実母が送り込んだ(仕向けた?)子守奉公の少女である「姐や」づてに三木露風に伝わる彼自身の実母に関わる音沙汰のことであるとする説がある。実母がつかわした「姐や」づてに、三木露風少年は実母のようすやメッセージを知ったのだ……という説だ。姐やが嫁ぐことで、その音信さえなくなってしまったという状況だったのだとしたら切ない。

そういったことを、後年の主人公が、いま目の前のさおの先にとまっている赤とんぼを見て回想している……という解説が立つ。時間や情景のスケールの移ろいを表現し、豊かで秀逸な曲想を獲得した。名曲とするにふさわしい(「名曲」という表現はみだりにつかうと本来の尊さを損ねる繊細な誉め言葉なのである)。

美空ひばりによる歌唱。童謡としてすでにイメージが築かれ別格の知名度ある『赤とんぼ』でさえ、美空ひばりが本家かのように曲が平伏してしまう。既存曲の発表は価値を再定義してこそ。見習いたい。

参考サイト

Wikipedia 赤とんぼ (童謡)

Webサイト 池田小百合 なっとく童謡・唱歌

参考書

野口義修『歌い継がれる歌と、消えゆく歌の違いとは? 「童謡の法則」から学ぶ作詞・作曲テクニック』(2018年、全音楽譜出版社)

富田千種氏による歌唱。

『赤とんぼ』ほか収録、『美空ひばり入門』(2009)

『決定盤 山田耕筰 歴史的名唱集』。初めての『赤とんぼ』の歌唱といわれる変声前の児童期?の金子一雄と山田耕筰のピアノ伴奏による演奏や、山田耕筰指揮・コロムビア交響楽団の伴奏による原信子の歌唱など複数のバージョンの『赤とんぼ』を収録。

『さだまさしが歌う唱歌・童謡集[アルバム「にっぽん」より]』。『赤とんぼ』をさだまさしの歌で聴きたいと思ったら実際にあった。さだまさしの童謡・唱歌カバーアルバム『にっぽん』(1992)、『にっぽんⅡ~通りゃんせ~(唱歌・童謡集)』(1996)からの選23曲にオリジナルを2曲加えたアルバム。

さだまさし 公式サイトへのリンク

『赤とんぼ』ほか多くの童謡を題材に作詞・作曲を学べる野口義修氏の著書『歌い継がれる歌と、消えゆく歌の違いとは? 「童謡の法則」から学ぶ作詞・作曲テクニック』

ご笑覧ください 拙演

後記

1オクターブと完全4度という広い音域を赤とんぼが空に舞うみたいに一気にかけあがる稀なメロディ。それなのに歌いづらくない、滑らかで美しい旋律。シューマンの『序奏と協奏的アレグロ ニ短調 op.134』に、これにそっくりの旋律が出てくるとWikipediaで読んで聴いてみたら後半のほうにくりかえし現れるメロディが確かにそっくり。山田耕筰ともあらば、当然先人の音楽の研究にも熱心だったのではないか(たまたまかどうか知りませんけれど)。

知ろうとすることもなく知っていた名曲『赤とんぼ』を今さらどう扱っていいものか。でも自分の好きな音楽をただひたすらに辿っていたらいろんな関連が見えてきた。この曲のモチーフに子守奉公という史実(現実)があり、それはこの国の世や社会の様子を物語り、裏付ける記録としても機能している。そのことを知らずにこの曲の何を知っているのかと今の私なら昔の私に言ってやれる。当時の世を見てきたわけじゃないし、なんにも知らないのは一緒なんだけど。

青沼詩郎