先日このブログで紹介したキセル。京都出身の音楽ユニットだ。辻村豪文(つじむらたけふみ)と辻村友晴(つじむらともはる)の兄弟で、辻村豪文がお兄さん。

わたしが最初にキセルを知った曲、『ハナレバナレ』。ふわふわと漂う和声、ローファイな印象の単調なビート、やわらかいリズムを添えるギター、視線を動かすポルタメントするシンセ。バックグラウンドボーカルの喉が耳元にあるみたいに近い。柔和だけどポジションの高いメインボーカル(兄・豪文さん)が儚げ。

キセルのメンバーは素敵な楽曲を素敵なミュージシャン・歌い手たちに提供している。また、彼らのオリジナルをほかのミュージシャンがカバー、共作したパターンもある。

斉藤和義によるカバーの『ベガ』(『紅盤』(2007年)で聴けます)、YUKIとの共作『砂漠に咲いた花』(『Commune』(2003年)で聴けます)が真っ先に私の頭に浮かぶ。

斉藤和義ベガ』。ドラムス、アコギ、ハーモニカ、斉藤和義のボーカルがけだるげに歩調を合わせる。もどかしい響きはイントロ〜メロの転回形のベースのせいだろうか。ぽつねんとしたくちぶえに孤独な夜道の情景を想起する。終わりのない哀愁が耽美。
YUKI砂漠に咲いた花』。アコースティックベース、アコースティックギター、クラヴェス(拍子木)、タンバリン……ベーシックリズムが暖かく寄り合う。コヨコヨとよじれたトーンはシンセか。ギターもコーラスで強く揺らした個性的なトーン。YUKIのボーカルがハーモニーし、まるで幻想に包まれた響き。

それから原田知世くちなしの丘』(作詞・作曲:辻村豪文)。叙情的で素敵な曲。

原田知世による『くちなしの丘』は『music & me』(2007年)収録。『音楽と私』(2017年)でも別バージョンが聴ける。

原田知世くちなしの丘』(2017)。アコースティックギターの繊細な線が素顔を思わせる。原田知世のボーカルもスケッチブックの素描のように隣に座っているみたいな存在感。出会うようにピアノが現れ、寄り添う。スレイベルやシンセがやさしく音場を奥へと広げる。収録アルバム『音楽と私』(2017)特設ページでアルバム制作にまつわるインタビューが読める。

ひとえに私はキセルのファンである。持っているCD『SUKIMA MUSICS』(2011年、カクバリズム)にキセルによるセルフカバーバージョンの『くちなしの丘』が収録されていて聴き及んでいた。原田知世バージョンとはまた味わいが違い、キセルらしい宅録の空気はアイディアが生まれる瞬間との近さを感じる。

原田知世の『くちなしの丘』は、キセルバージョンと違って絹のような耳触りのバラードがまぶしくほろ苦くせつない。

ふと間奏(3:11頃〜3:32頃)に聴くチェロの順次進行の上行音形にThe Beatlesの『Hello Goodbye』を思い出す。『music & me』プロデューサーの伊藤ゴロー氏、ならびに作曲者の辻村豪文の音楽の引き出しに想像が及ぶ。The Beatlesへの視線はどんな音楽を聴いていても度々感じるのは私の偏見か(『SUKIMA MUSICS』disc2 track02ではキセルチック(?)なThe Beatlesのカバー『Sun King』が聴ける)。

ご本家The Beatles『Sun King』。インスト曲? かと思わせる悠久な時間から、まるで転生の産声(0:52頃)。リゾート地で聴きたい向きもあるがその響きは敬虔で神妙で、畏れ深くもある。傑出した独創のハーモニー。

『くちなしの丘』は、ボーカルの音域がきれいに1オクターブにおさまっている。メロやBメロに順次進行あり跳躍進行ありの豊かなメロディ。サビでは、8分音符を連続してやさしく置く。これがグルーヴを生む。贅沢さとは違う豊かさがある。原田知世のメインに辻村豪文の歌詞ハモが極上。

間奏部(3:12頃〜)では、ミュージカル・ソウがきこえる。ポルタメントが魅力の、字のごとく音楽につかうノコギリ。キセルの定番サウンドだけど、これを演奏するのは弟さんの辻村友晴。原田知世『くちなしの丘』も、兄弟で参加しているのか。ベースの演奏もそうなのかな?

イントロで聴けるベースラインはキセルバージョンの『くちなしの丘』でアコギの音だったものが転位したよう。順次進行を基にした、やさしい旋律。

原田知世『くちなしの丘』のMVが素敵。ぜひご堪能ください。キセルもこの通り素晴らしいミュージシャンなので、これから知る方にはぜひ深く掘っていただきたい。

青沼詩郎

Harada Tomoyo Official Site
http://haradatomoyo.com/

Kicell Official Website
http://nidan-bed.com/

ご笑覧ください 拙演